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ふるえる

することが限られる空間がある。

例えば、移動中の乗り物の中。
例えば、学校の授業中。
例えば、入院中。
例えば、運動中。

つまり、進行中の何かの時にその空間が現れる。のかな。

最近、つまのお父さんの法事があり、お寺に行った。
親戚が控室に集まりだし、時間を待つ。
この待ち時間はとにかく故人の生前の話や、前の法事の話、健康の話、、、
沈黙が訪れないように順番性のように誰かが声を発している。

わたしとむすめはアウェイな空気を感じながら、コートを預かり
お茶を入れたり、かいがいしく働いて、声を発する代わりのことに
精を出していた。  話は脱線するけど、美味しくないお茶だった。

さて、時間が来てやっと解放されると思いきや、
暗黙の序列が部屋を支配していて、なかなかスムーズに移動できない。

それでも何とか本堂に移動して着席してお経が始まった。

きょろきょろする訳にもいかず、
畳の枚数を数えながらお寺なのに奇数でいいのかな❔
とか、
五芒星ではなくて六芒星なんだ。
とか、
坊さんはなぜ坊主なんだっけ❔
とか、
とか、
でも、お経を聞き取りその意味を考えることがこの閉鎖された空間、
今の時間の意味なのでは❔
と、よくお経を聴くことにした。

すると、あるときからお経が耳に入ってこなくなり、
その空間で唯一声を発してよいお経を唱えている主のこえが、
鳴らされる鈴のおとが、
鳴らされる木魚のおとが

空気をふるわせていることに気が付いた
そしてふるえている空気に圧迫されるような不思議な感覚。

いまそんなこと考えている人いるかな❔

いたらふるえるかな。

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