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ホームドラマ『俺の家の話』は家父長制を肯定している?か! 親不孝を認容する世の中にクドカン怒ってんのかな。

『俺の家の話』すごかったですね。

私は、このドラマは"家族"のみならず、(現代社会で忌まれがちな)"家父長制度"まで踏み込んで肯定しているように感じました。
もっと言うと、個人主義的な生き方を否定するメッセージをバシバシ感じたということです。「クドカン怒ってんのかな」と思うほど強く。
ちょっとその話をします。
作品の内容にかなり触れますので、未視聴の方はご注意ください。










「私は、家族に囲まれて笑ってる寿一さんが好きでした。ちょうどよかった、私には。1人の人間として見たら…そこまで。みなさんを呼び戻してください。金持ちで、あたたかい深山家に戻してください!」

私はこのさくらのセリフが、クドカンの言いたいことの全てなんじゃないかと思うほど刺さりました。
最終話でさくらは上のセリフを嘘だった、本当は大好きと否定しています。
でもそれは、死んでしまったから言えることです。
ていうか、やり取り自体に意味はなくて、このセリフを視聴者に思い出させるためにわざわざ盛り込んだとさえ思っています。



"1人の人間"

"家父長制"
は、今回の文脈において対比される概念です。

"1人の人間"は、何にも同一されない個として生きます。何かに囚われることなく、自分の意志で人生を切り開き、どこにだって行っていいです。
対して"家父長制"は、そこに生まれた人間の人生を初めから決めています。その人自身の意志は関係ありません。女はいつか他所の家に出て行くから、数にも入ってないです。

先進的な現代社会では、どちらの考え方が尊重されるべきかは明らかです。

観山家は、古き良き…いや悪しき"家父長制"が生き残っている家庭ですよね。

長男の寿一は、家督を継ぐ者として厳しく、一度も褒められることなく育てられました。
長女の舞は、女だから仲間に入れてもらえませんでした。
次男の踊介は、次男だし芸も下手なので放任されました。
芸養子の寿限無は、実は宗家の筋なのですが、女中との間の子なので家族から弾かれていました。

こんな処遇は、本人の性格や態度によるのではありません(踊介は芸がめっちゃ下手っていう本人の要素もありますがw)。
長男だから、女だから、次男だから、嫡出でない子だから。
「そういうものだからだよ」。
いや、なんと理不尽なことでしょうか。
"家父長制"の悪いところがしっかり描かれます。

ありがちなドラマなら、こんな悪しき風習に一石を投じる流れになるのでしょう。
寿一が家出してプロレスの世界に入るあたりでストーリーが始まるんだろうな。
家を出るきっかけや、ケガをして引退するまでのプロレス人生がしっかり描かれる。
で、物語の結びはこう。
【家督を継ぐ決意をしてもなおプロレスへの情熱が捨てられず、こっそり覆面レスラー・世阿弥マシーンとしてリングへ舞い戻る。
試合を偶然見ていた寿三郎。帰ってきた息子に向かって世阿弥マシーンの体幹を絶賛し、あいつ能やったらいいのにな、とまで褒めた。世阿弥マシーンの正体が息子であるとは知らず。
寿一は間接的ではあるが、初めて父に褒められた。自分のやるべきことではなく、自分の選んだ道で、"1人の人間"として、父に認められることができたのだ。】
って感じで終わるんだと思います。
しかし、このドラマはそうではありません。



寿一の"1人の人間"としての人生は「厳しい家庭に嫌気がさして家出、プロレスの世界へ。プエルトリコでチャンピオンになるも、ケガをして帰国。家庭も築くも、殺気を放ちすぎて離婚。父が危篤と聞き、引退。」以上。
寿一は大好きなプロレスで成功はしたんだけど、外的要因で運命を翻す経験を何度もします。元妻のユカは寿一を「透明」「自分がない」と評しました。

寿一は古き悪しき"家督制度"を否定し、自分で人生を切り開いたはずです。"1人の人間"としての生き方を選んだはずなのに「自分がない」とは、どういうことでしょうか。

対して、家に戻った寿一は、めちゃくちゃスッと受け入れられます。
介護の担い手として必要だったのも大いにあると思いますが、「観山家の長男」の席は不在の間も名実ともに空けられていたのですね。

そして見てる側がついていけなくなる程に、寿一の家族への溶け込みようはすごい。
17で家出だから、20年以上いなかったんでしょ?なのに帰って早々、普通に上座で「いただきます!」の号令って通常ならあり得ないのだけど、他のメンバーは割とすぐ「やっぱり兄貴じゃなくちゃね!」的な姿勢。
寿限無も、もっと寿一と揉めていいだろ。生い立ちを知ってからは寿一に敵意が向き、跡継ぎ争いになるところでしょうによ。
何より寿三郎の受け入れっぷりよ。寿一〜と甘える姿さえありました。

他にも「え?」ってなるところいっぱいありますよね。
・出自を知り反抗期を迎えた寿限無、家族旅行で絆が深まり「俺も親父って呼んでいいかな!」以降、普通に親父呼び&タメ口
・女であるために不遇な思いをしてきた舞、父の女癖を一生許さないとまで言い放つも、最終話では軽口でいなす程度
・分家の当主にちゃっかり擁立された踊介を誰も責めない

これ、なんで丸く収まっているかというと、家父長制の基盤にしっかり皆んな両足着けて生きているからなんだと思います。
"家"の中で、自分が収まるべき席をそれぞれ持っているのです。
例え納得いかない処遇があっても、「そういうもの」と受け入れること。
それができたら何が良いかというと、家族の中で、家族として、家族と関わり合うことができるのです。
そうすると、自分の成すべきことがハッキリしてくるのです。



今は個の時代です。
"1人の人間"として成し遂げたいことを見つけて、自分の人生を自分でコントロールすることに価値を置きます。
親は先に死ぬんだから、自分の人生を優先させるべきと言われます。

でも、本当にそうなのでしょうか?
家の中で収まるべきところに収まって、家族のために自分を抑える人は不幸なのでしょうか?
少なくとも寿一は、家父長制の枠組みに囚われた可哀想な長男ではなかったですよね。むしろ、プロレスラーとして"1人の人間"だった頃より、観山家の長男として過ごした1年間の方が現実感のある(=ちょうどいい=実存的!)人間だったように描かれています。



自分がやりたいことをやるために家を捨てるのは、一つの尊重されるべき選択です。
過去にどんな仕打ちを受けていても、親だからという理由だけで大切にしなくてはいけない、とも言えないです。
ただ、家族のつながりよりも"1人の人間"としての生き方が優先で当たり前、という声はもっと疑った方がいい。
あと、親が先に死ぬとは限らない。

作中では、家よりも自分の人生を優先させた結果幸せになった人がいません。

さくらの言葉を、もう一度…。

「私は、家族に囲まれて笑ってる寿一さんが好きでした。ちょうどよかった、私には。1人の人間として見たら…そこまで。みなさんを呼び戻してください。金持ちで、あたたかい深山家に戻してください!」



厳しいな〜と思うのは寿一の最後。
よりによってプロレスで死なすのか…と。
引退試合なんだからこれで最後じゃん。これが終わったらもう完全に、"1人の人間"から観山家の長男に戻ったのに。
もう遅いよ、と、たいへん残酷に、これまでの親不孝が断罪されたように見えました。宿命を拒否した者の業とでも言うのでしょうか?厳しい…。

寿一と同じく能をやめた大州は、波乱の人生…というくらいで止めてくれましたね。
だけど、イケメンでイクメンのラッパー兼YouTuberというのは、救いというにはシニカルすぎませんか。これはこれで成功なんだろうけど、「自分がない透明人間」風ではありませんか。後継者となった秀生との描き方とはちょっと違いましたよね。
血筋なんて関係ない!と秀生を引き取ったユカの再婚相手は、薄っぺらーいキャラでしたし。
対して、舞は、秀生の学習サポートをします。実子でなく家の後継者のサポート、なんていかにも家における女性らしい役割ですが、受け入れます。
踊介は、さくらと結婚。下手くそ、馬鹿野郎と言われながらも稽古を続けます。
寿限無は宗家を継承し、芸術祭優秀賞を受賞。
どこまでも、生まれた家の宿命を拒否する者を否定し、受け入れる者を肯定する図があるのです(度合いは異れど)。

毎話泣きながら「今日もいい話だったな〜」と楽しんでいた私でしたが、じっくり振り返るとそんな風にも見えたりしました。
面白い!名作!



語り足りないところを何点か。

・母親が一度も出てこないのちょっと怖い
嫁いだ家の宿命を全うした母親は、やっと自由になって、もう家にはいないのかも。
寿一は「だって会いてえもん」って出てきたけど、観山家で虐げられた女である母親は、亡霊になってまで出る気なんてしないのかな、なんて…。
「母さん来てるかな」←多分来てない。

・家族旅行のメンバー宗家筋のみなの怖い
さくらもO.S.Dも参加しないの…。
はしゃいだ空気の中から、ほんのり排他的な香りがします。

・笑うとこじゃないけど笑ったシーン
「最期は自宅で家族やお弟子さんに囲まれ、人気者で迎えたい」という寿三郎の願いに盛り上がる深山家に、在宅医の先生がバサリ。
「在宅医療だってね。悪いけど管いっぱい着けるし、面会も制限しますから」
在宅医療に夢見すぎなイメージ、たしかにあるよね…。

・私のイチオシは踊介❤️
次男で、弁護士で、素直で流されやすくて、自分を大きく見せない。ちょうどいいよね…最後幸せになって嬉しかったわ。

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