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『かわいそう』と感じる事

~きっかけ~

先日長男が左腕を骨折した。
その話を職場でした際『あら、かわいそう』と言う言葉をいただいた。

気持ちはわかるし、ありがたいし、悪気は全くないのだと思う。
不快とかではなく、なんだか引っかかった。
『かわいそう』ってなんだろう?という疑問が頭から離れなくなった。

息子は怪我で左腕が今は使えない。だがしばらくすれば治る。でも生まれながらに腕がない方もいる。事故で失う方も。腕に限らず。

はたしてその方たちはかわいそうなのだろうか?

私の結論は
『それはその人にしかわからない』
である。

~基準~

片腕がなくとも、とても幸せな毎日を送っている人はいると思う。その人に『片腕がなくてかわいそう』と言うのはとても失礼な事ではないだろうか?
『私は幸せだよ!』とその人がいくら言っても他人が勝手にかわいそう認定してしまう。悪気はなくとも。

それは自分を基準に考えているからだと思う。

『私は両腕が使える、それが普通。あなたは使えない。だからかわいそう』

そういう事ではないだろうか。とても悪く言えば勝手に不幸と決めつけて下にみているという事ではないだろうか。

幸せや普通という感覚は人による。その人が幸せと感じているならばかわいそうなんかじゃない。余計なお世話なのではないか。

もしかわいそうな人がいるとしたら、それはその人自身が自分はかわいそうだと感じている人だけではないか。

そんなような事を考えた。

※もちろん、つい『かわいそうに』と言ってしまう気持ちもわかるし、悪気なんかないのもわかる。

~最後に~


かわいそうかどうかは他人が決めて良い事ではないし本人にしかわからない事だ。
例え悪気はなくとも勝手に人をかわいそうな人認定したり自分のものさしだけで判断しないように気をつけよう。そう考えさせられた長男の骨折であった。

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ちなみに長男は大変そうですがおかげ様で笑顔で元気です♪

かっての違いにも慣れてきて、フルーツがかけた

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