バラバラ殺人小史

 戦前に発生した、首なし死体、バラバラ殺人など、死体損壊殺人を網羅した。なので、バラバラ殺人以外の事件についても記述している。バラバラ殺人は、顔を潰す、首を切断すると言った、隠蔽のための死体損壊の進化したものに他ならないからである。
明治~大正時代は、単なる人間関係のもつれであっても求刑は死刑が多く、判決も死刑や無期懲役とされるなど、非常に重く罰せられていることが解る。
 しかし、昭和戦前となると、求刑自体が死刑となるのはまれであり、判決が有期懲役の事件も目立ってくる。事件のセンセーショナルさ、死体損壊罪ではなく、事件の動機はどのようなものであったかという、本質的な面を見るようになったのだろうか。
 例外は、台湾や満州国と言った、日本の実質的植民地である。児玉邸事件、基隆バラバラ殺人事件共に、大々的に報道されたこともあり、見せしめ、現地の人々に示しをつけるために、過重に罰せられた可能性がある。両事件は痴情のもつれの事件であり、ことに児玉邸事件は、被害者が中園の愛人を脅迫したことが事件の原因となっている。一審は懲役20年となっているが、その程度の量刑が妥当な事件であったろう。
 また、死体損壊の方法も、年月とともに手の込んだものとなってきていることが解る。西導寺のバラバラ殺人は、東京でも大きく報じられた事件だったが、なぜか忘れられ、後世の殺人者に教訓は残さなかったらしい。バラバラ殺人手本となるようになったのは、山憲事件や六反池事件からである。また、お茶の水おこの殺しの、顔を潰すという手法も、後の事件の参考にされたらしい。

~明治~
<西導寺バラバラ殺人事件>
*被告人
 黒田水精(45)、黒田華尾
*起訴された主要な犯罪
 黒田夫妻は、水精の従弟を金銭目的で殺害することを共謀し、1896年12月、睡眠薬を飲ませて絞殺。死体をバラバラに損壊し、自分の寺である西導寺の境内に埋めた。1897年6月、黒田夫妻が逮捕され、被害者の死体が発見された。
*罪名
強盗殺人、死体損壊、死体遺棄
*求刑・両名に死刑
*判決
一審・1898年6月20日、名古屋地裁判決。両名に死刑。
控訴審・1898年12月16日、名古屋控訴院判決。両名とも控訴棄却。
上告審・1899年3月3日、大審院判決。両名とも上告棄却。
*備考
知られている限りは、日本初のバラバラ殺人事件である。
*参考文献
愛知県警察史

<お茶の水おこの殺し>
*被告人
 松平紀義
*起訴された主要な犯罪
 1897年4月下旬、松平は口論から、内妻を自宅で殺害した。その後、死体の顔を包丁で切り刻み、台車で運び、聖橋下の川へと投げ捨てた。
*求刑・死刑
*判決
一審・1897年12月1日、東京地裁判決。無期懲役判決
控訴審・1898年11月10日、東京控訴院判決。無罪。
上告審・1898年12月5日、大審院判決。破棄差し戻し。
差し戻し審・1899年4月4日、宮城控訴院判決。無期懲役。
第二次上告審・1899年5月19日、大審院判決。上告棄却。
*備考
第一次控訴審で無罪となった理由は、起訴された犯罪を行っていないと判断されたのではなく、検察側の手続きの不備からであった。
1917年に出所。
*参考文献
強盗殺人実話、明治犯罪史正談、続史談裁判、警視庁史

<高田馬場惨殺事件>
*被告人
一政米吉(28)
*起訴された主要な犯罪
 1897年9月13日、歩兵曹長であり教官でもあった一政は、金銭トラブルから男性を殺害。死体の顔面を切り刻んで潰し、その死体を雑木林に遺棄した。
*求刑・無期懲役
*判決
一審・軍法会議判決。無期懲役。

<福島信夫郡首なし死体事件>
*被告人
酒部カツ(43)
*起訴された主要な犯罪
 被害者男性が、自分の金を浪費した挙句、離縁しようとしていると信じ、殺害を決意。1906年6月15日、被害者を酒に酔わせて眠らせ、絞殺。死体の首を切断して、首は肥溜めに遺棄した。
*求刑・死刑
*判決
一審・1906年12月17日、福島地裁判決。無期懲役。
*参考文献
福島県犯罪史一巻

<小名木川首なし死体事件>
*被告人
中州長吉(35)
*起訴された主要な犯罪
 中州は1910年5月5日、痴情のもつれから、年上の愛人を殺害。首を切断し、首と首なし死体を、小名木川に遺棄した。
*罪名
 殺人、死体損壊、死体遺棄
*求刑・無期懲役
*判決
一審・1911年4月26日、東京地裁判決。無期懲役。
控訴審・1911年5月31日、東京控訴院判決。控訴棄却。
*参考文献
強盗殺人実話、警視庁史

<淡路首なし死体殺人事件>
*被告人
谷本半五郎(42)
*起訴された主要な犯罪
 香具師の谷本は、痴情のもつれから、1911年8月14日、香具師仲間の被害者を、日本刀を用いて殺害。首と両手首、その他身体の一部を切断し、死体を海に捨てた。1912年2月に逮捕された。
*罪名
殺人、死体損壊、死体遺棄
*求刑・死刑
*判決
一審・神戸地裁判決。死刑。
二審・1913年11月16日、大阪控訴院判決。無期懲役へと減刑。
*備考
 1926年に出所。
*参考文献
捜査と防犯


~大正~
<山憲事件>

*被告人
 山田憲(30)、渡辺惣藏(27)
*起訴された主要な犯罪
 両名は共謀のうえ、1919年6月、借金を帳消しにする目的で、東京の山田の自宅で米穀商の男性をバッドで撲り、首を絞めて殺害した。渡辺がバッドで殴り、山田が首を絞めてとどめを刺した。さらに、山田は自宅において男性の死体をバラバラにして、トランクに詰め、信濃川に遺棄した。
*求刑・被告人両名に死刑求刑
*判決
一審・1919年12月2日、東京地裁判決。山田に死刑、渡辺に懲役15年の判決。
控訴審・東京控訴院判決。山田の控訴棄却。
上告審・大審院判決。山田の上告棄却。
*参照
 山田憲公判実記、警視庁史、大正犯罪史正談、強盗殺人実話

<六反池事件>
*被告人
 佐藤忠助(44)
*起訴された主要な犯罪
 佐藤忠助は、同居女性の不倫と、それに絡んだ土地売買のトラブルから、同人に憤激し、1920年11月17日、衝動的に絞殺した。その後、死体を首、胴体、手足に切り分け、六反池に遺棄した。胴体は浮いてこないように、石を錘にして沈めた。1920年12月6日、死体は発見された。
*罪名
 殺人、死体損壊、死体遺棄
*求刑・死刑
*判決
一審・1921年6月29日、大阪地裁判決。死刑。
二審・1921年12月、大阪控訴院判決。控訴棄却。
大審院・1922年1月30日、大審院判決。上告棄却。
*参考文献
強盗殺人実話、三十九件の真相、大阪府警察史

~昭和戦前~
<広島生き胆取りバラバラ殺人事件>

*被告人
上高八郎(40)
*起訴された主要な犯罪
1931年7月22日、生き胆を取る目的で、被害者児童を殺害し、死体をバラバラにして山中に遺棄した。
*求刑・無期懲役
*判決
一審・1932年10月28日、広島地裁判決。無期懲役。
控訴審・広島控訴院判決、控訴棄却。
上告審・1933年7月8日、大審院判決、上告棄却
*参考文献
広島県警察史、防犯科学全集三巻、大審院判決

<玉ノ井バラバラ殺人事件>
*被告人
 長谷川市太郎(39)、長谷川長太郎(23)
*起訴された主要な犯罪
市太郎は、ホームレスであった被害者とその娘の境遇に同情し、家で同居するようになった。しかし、被害者は些細な理由から長谷川一家に暴力を振るうようになる。被害者の暴力から、妹も流産してしまい、長谷川一家は恨みを募らせていった。1932年2月、被告人二人の憤激は頂点に達し、被害者の首を絞める、スパナで殴打するなどして殺害した。その後、死体を切断し、玉ノ井のお歯黒どぶなどに遺棄した。
*罪名
 殺人、死体損壊、死体遺棄
*求刑
 市太郎に懲役15年、長太郎に懲役12年
*判決
一審・1934年8月6日、東京地裁判決。市太郎に懲役15年、長太郎に懲役8年。
二審・東京控訴院判決。市太郎に懲役12年判決、長太郎に懲役8年判決。
*参考文献
警視庁史、今だから話そう・法医学秘話、昭和犯罪史正談、昭和残虐犯罪史、日本のバラバラ殺人、法律新聞

<神戸生首ミイラ事件>
*被告人
 車次久一(33)
*起訴された主要な犯罪
 車次は、愛人の男性から些細なことで暴力を振るわれるようになり、1928年1月28日に被害者の頭部を斧で殴打し、喉を剃刀で切りつけて殺害。死体の首を切り落とし、胴体は家の床下に埋没。首は水瓶に入れて知人に預けた。昭和8年9月に、水瓶に入った生首が発見された。同年11月28日に逮捕された。
*罪名
殺人、死体損壊、死体遺棄
*求刑
 懲役12年
*判決
一審・神戸地裁判決。懲役8年。
控訴審・1934年4月13日、大阪控訴院判決。控訴棄却。
*参考文献
捜査と防犯、昭和残虐犯罪史

<児玉邸バラバラ殺人事件>
*被告人
 中園秀雄(35)
*起訴された主要な犯罪
 中園は児玉博士の妻、Kと不倫の関係にあった。Kは、別のAという男性とも不倫の関係にあった。AはKを脅すようになり、トラブルとなり、中園もKから相談を受けるようになった。1933年9月、満州国大連において、中園はAを殺害。死体をバラバラにしてトランクに詰め、知人女性の家の地下に埋めた。中園はKと共謀して、事情を知っているお手伝いの女性も殺害しようとした。
*罪名
 殺人、死体損壊、殺人予備
*求刑・死刑
*判決
一審・懲役20年。
控訴審・1934年7月6日、旅順高等法院判決。中園に逆転死刑判決。
上告審・1934年12月12日、旅順高等法院判決。上告棄却。
*参考文献
昭和史の女

<基隆バラバラ殺人事件>
*被告人
 吉村恒次郎(44)、房良シズ(31)
*起訴された主要な犯罪
 吉村は台湾の警官であり、妻子があるにもかかわらず、房良と愛人関係にあった。1934年10月28日、二人は共謀し、ヒステリー傾向のある吉村の妻を、基隆の吉村宅で殺害。死体をバラバラにした。
*罪名
 殺人、死体損壊、死体遺棄
*求刑
 吉村に死刑。房良に懲役15年。
*判決
一審・1934年12月27日、台北地方法院判決。吉村に死刑、房良シズに懲役15年。
上告審・1935年6月19日、高等法院判決。両名の上告棄却。
*参考文献
法律新聞

<人間コマ切り事件>
*被告人
 小林利平(25)
*起訴された主要な犯罪
 小林利平は刑務所から出所して間もない、前科三犯の青年であった。被害者夫婦が、軍人恩給で貯金を持っていると吹聴しているのを聞き、殺害してこれを奪うことを決意。1934年6月13日、寝ている被害者夫婦を鉈で滅多打ちにして殺害し、死体を寸断してドラム缶に詰め、隅田川へと遺棄した。手首を寸断するのが面倒になり、そのままドラム缶へと放りこんだが、被害者に前科があったため、身元が割れて逮捕へとつながった。
*罪名
 強盗殺人、死体損壊、死体遺棄
*求刑・死刑
*判決
一審・1934年9月19日、東京地裁判決。控訴せず確定。
*参考文献
警視庁史、防犯科学全集四巻、三十九件の真相、日本のバラバラ殺人、法律新聞

<福岡バラバラ殺人事件>
*被告人(仮名)
矢津精一(35)
*起訴された主要な犯罪
 1934年6月24日、友人が妻と密通していると疑い、出刃包丁でめった刺しにして殺害。死体をバラバラにし、せんべい焼の竈で焼いた。妻に犯行を目撃され、通報されて発覚した。
*罪名
殺人、死体損壊、死体遺棄
*求刑・無期懲役
*判決
一審・福岡地裁判決。懲役15年。
*備考
 審理は非公開で行われた。
*参考文献
実録福岡の犯罪上巻

<仙台連隊首なし死体事件>
*被告人
A(24)
*起訴された主要な犯罪
1938年1月24日、仙台連隊の井戸から、妊婦の首なし死体が発見された。犯人は軍人であり、妊娠して邪魔になった女性を殺害し、死体の首を切り落とし、首なし死体を井戸に捨てた。
*判決
一審・軍法会議判決。無期懲役。
*参考文献
宮城県警察史

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