音楽的 “救われる”と”依存する”の違い

Youtubeで某アーティストのMVのコメント欄を見ていたら「○○の曲に毎日救われてる😭、精神安定剤すぎる…」という書き込みがあった。

このコメントを読んだ時、なんか変な感じがした。
”救われてる”という表現が腑に落ちなかったのだ。

確かに俺も似たような経験をした事はある。
高3の秋、4年半付き合った彼女と別れた時は割とガチで落ち込んで、普段聴かない失恋ソングを聴き漁り、どこにも吐き出しようのない感情を耳から摂取して感傷に浸っていた。(恥ずい😖)
でも救われた気にはならなかったし、結局それを聴いている時以外は嫌なことばかり考えていた。

「考えたくないのに考えてしまう、無心になりたいのになれない」
そういった感情を一時的に無理矢理かき消すための外部的要因でしかなかった。ある意味オナニーだ。

精神的に弱った人間が違法ドラッグに依存するのと少しだけ似てる気がする。
俺の場合は失恋が原因になっているが、人間関係や欲求不満で悩む人も多分同じだと思う。

この頃から”音楽に救われる”と言う人間の大多数は救われているのではなく”依存している”と考えるようになった。

ただ”救われる”と”依存する”では雰囲気が異なり、
”救われる”はプラスで”依存する”はマイナスの意味合いに聞こえる。
人間は本能的に自分を良く見せようとする生き物だ。
自分を修飾する物にプラスとマイナスがあれば当然プラスの方を選ぶ。
これが世に蔓延る「○○に救われる😭」みたいなコメントを生み出すロジックなんだと思う。


まぁ別にどっちでもいい。
ちなみに俺は音楽に間違いなく依存している。

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