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【田村亮一】自身初のリベンジに燃えるゾンビ 日本チャンピオン返り咲きのその先へ 2022年12月26日

日本スーパーバンタム級王座決定10回戦

1位 田村亮一(JB SPORTS) 22戦15勝(7KO)6敗1分
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2位 古橋岳也(川崎新田) 39戦28勝(16KO)9敗2分

器用なゾンビ、田村亮一

殴られても、殴られても、表情一つ変えずに相手に向かっていく。ニックネームは“ゾンビ”。2017年7月、日本タイトルに初挑戦した久我勇作との試合に敗れたあと、DANGANプロモーターの瀬端幸男氏から「お前、まるでゾンビだな」と言われたのが始まりだった。

「最初は倒されてもいないのになんでゾンビなんだ?と思いました。そうしたら久我選手の次のフィリピン選手との試合で、リングアナウンサーが勝手に“ゾンビ”田村って紹介したんです。あのときは納得いかなかったんですけど……」

 やや気分を害したものの、発想を転換してそれを逆手に取るのだからしたたかだ。

「(世界3階級制覇の)八重樫東さんの“激闘王”が浸透していて、ゾンビって3文字だし覚えやすいかなと思ったんです。外国に行っても分かりやすい。ゾンビだから打たれ強いというイメージが定着すれば、レフェリーも(ちょっとくらいピンチでも)試合を止めにくくなる。ゾンビ、いいじゃないかって。次の試合はゾンビのお面をかぶってマイケル・ジャクソンの『スリラー』で入場しました」

 ゾンビと聞いてディフェンスの悪いブルファイターをイメージするかもしれないが田村は違う。打ち合いを辞さない気の強さを武器にしながら、状況に応じてさまざまな戦い方を使い分ける、どちらかといえば器用なタイプのボクサーである

小学5年生でボクシングに出会い、大学卒業まで継続

小学生でボクシングを始めたと聞けばそれも納得だ。新潟県で生まれ、2歳から東京の板橋区で暮らした。小学校5年生の春、父親の仕事の都合で静岡県に引っ越す。大手電機メーカーに勤める父が静岡鉄道・新静岡駅の建設プロジェクトに携わったからだった。

 学校からの帰り道、夕方になると「チーン、チーン」と聞こえる建物が気になっていた。近づいてみるとそれがボクシングジム。興味を引かれて何度かのぞいていると、「おい、入ってこいよ」と声がかかる。ボクシングと出会った瞬間だった。

「外からずっと見ていて、これがボクシングかと。小学生ながら人を殴るようなケンカをしょっちゅうしていて、何かルールに基づいて殴るってかっこいいと思ったんです。空手とかもあるけど、手だけというのはシンプルで分かりやすい。池田ジムに入って、半年後からは平石ジムにお世話になりました」

 中学2年生で東京に戻り、古口ジムでボクシングを続けた。高校は古口哲会長の母校でもある栃木の名門、作新学院高に進学。下宿生活でボクシング漬けの毎日を送った。大学はこれまた名門の日大に進学。ところが上下関係の厳しい体育会の体質になじめず、ボクシングに身が入らなくなる。当然、結果も出なかった。

大学では若気のいたりが強すぎて、洋服とか、音楽とか、友だちと遊ぶとか、そっちばかりになってリーグ戦も出てません。ただ、4年生の最後の全日本選手権に向けてはめちゃめちゃ練習したんです。清水聡さん(ロンドン五輪銅メダリスト、現東洋太平洋フェザー級王者)と対戦して負けたけど1ポイント取れたのかな。それが最後になるはずでした」

 大学卒業後は希望していたアパレル業界に入ったが、やはりどこかで完全燃焼していないという思いがあったのだろう。自分よりも年上の選手が新人王戦に出ていることを知り、「いけるんじゃないか」と思ってプロ入りを決意した。

3年前の古橋戦の様子

アパレル事業との両立、プロボクサーとして再開

2013年5月、26歳でデビューしたものの、初戦の判定負けに象徴されるようにパッとしない試合が続いた。ブランクの影響というより、本人曰く「プロ意識が薄かった」のが原因だった。

 風向きが変わったのは5戦目の久保賢司戦からだ。元キックボクシング王者の久保に勝ちたいと練習に熱が入り、勝利を手にすることができた。次戦に敗れたものの、この時期に帝京平成大で栄養学を学んだことで競技人生はさらに好転する。1年かけて勉強し、4試合分のデータを集め、自分に合った食材、減量法を把握するとパフォーマンスはグングン上がっていった。

 ボクシングにできるだけ集中できる環境を整えようと15年に自ら「oztique(オンスティーク)」というブランドを商標登録し、個人でアパレルの仕事を始めた。スポーツ選手や大学サークル、企業からオリジナルTシャツの製作を請け負い、何人かのスタッフも使って事業を軌道に乗せた。それ以外にもボクサーとしてのキャリアを生かして、法人を相手にボクシングトレーニングの指導、食生活のアドバイスをするという仕事も手がけている。

こうして19年1月、2度目の挑戦で中川麦茶との王座決定戦を制し、念願だった日本チャンピオンとなったのである。

 さて、今回の試合は田村にとって王座返り咲きをかけた試合である。もう一度、日本チャンピオンになるというモチベーションは? そう問うと、田村は「いや」と断って、今回の試合のテーマを説明した。

「何としてもリベンジ戦に勝ちたい。それだけです。自分は久我選手と3度対戦して、負けた理由が分かっていたのに2度のリベンジ戦に失敗した。それは自分がブレてしまったことが一番の原因だと思っています。だから今回は覚悟を決めて、絶対にブレない。いままでできなかったリベンジを必ず成功させます

 田村は日本タイトル陥落直後の19年9月、日本王座挑戦者決定戦で古橋に判定負けした。振り返れば日本チャンピオンになって少し満足した自分がいた。こんなところでホッとしてしまった自分が情けなかった。それが前回、古橋に負けた要因の一つにもなったと感じている。でも今回は違う。まだまだボクシングがしたい。まだまだ上を目指したい。はっきりとそう思う自分がいるのだ。

本当にボクシングが楽しいし、まだ退きたくないし、勝ち続けたい。東洋とか、WBOアジアパシフィックとか、海外で試合をして世界ランキングに入るとか、やりたいことはまだまだいっぱいあります

 アパレルの事業も、ボクシング指導も、ボクサーとして勝ち続けるからこそ説得力が増す。 35歳のゾンビが棺桶に入る日はまだまだ先だ。

(取材/構成 渋谷淳)

ライブ配信情報
 ▷配信プラットフォーム:
ひかりTVdTVABEMA
 ▷ライブ配信:12月26日(月)18時00分~試合終了時刻まで
 ▷料 金:有料


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