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58.古巣の大阪へ

2000年。会社を退職して10年目の年。仕事はますます忙しくなっていきました。

担当する専門学校が2つ増え、日帰りで島根県まで講義に通うようになりました。講義や講座や研修の毎日。
そして、10年前に苦労して取得した『秘書技能検定試験』の準1級面接試験を実施する事務局のお手伝いもするようになっていました。

自分の取得した検定試験を、「受ける立場」から「審査する立場」になるなんて思ってもみなかったことでsじょた・徐々に受験人口が減少し、人気の資格から外れていった資格ですが、わたしにとって、この資格が原点だから、どういう形であれ携われることを幸せに思いました。

そんな中、以前勤めていた物流会社の本社か、突然連絡が入りました。

「女子社員のスキルアップ研修の講師をやってもらえない_?」
連絡をくれたのは、同期入社で入社以来ずっと人事部に勤務しているNさんでした。
 
「Fさんから聞いたよ。いろいろ活躍してるんだってね。それで、うちの女子社員の研修をお願いできないかな?って思って…」

それは、管理職に昇任する候補になっている女子社員を対象に、リーダーシップ能力を高めるための研修でした。
勤めていた会社の研修が担当できる!しかも、10年前、私自身が受けたかった昇任研修を担当させてもらえるのです。

「それは 私のほうからも、是非お願いしますって頼みたいくらい嬉しいよ!でも、どうしてそんな話になったの?」

「Fさんから、研修をやるんだったらムネちゃんに頼めって言われたのよ。K部長にも相談したら、それは是非ってことになってね」

Fさんは、女子社員との勉強会を終えて間もなく本社に異動になり、子会社の常務になっておられました。Nさんからの電話を切ってすぐ、紹介てくださったことのお礼を言おうと連絡すると、

「そうか、担当することになったんか!よかったなぁ~。広島の女子社員たちが、ほんとにいい研修を受けることができたって、あのあともずっと言ってたんやで。あんなボランティアみたいな安い金額で、何回も足を運んでもらって担当してもらったんだし、そのお礼もしたかったからなぁ~。本社が相手なんやからしっかりお金はもらうんやで!で・・・それが終わったら、うちの管理職たちにも、ぜひ研修してやってほしいんや」

あんなふうに啖呵を切って会社を飛び出したというのに、あの頃変わらずに接してくださっていることが本当に嬉しかったです。
それから少しして、Nさんと打ち合わせをするために、大阪の本社を訪れました。

会社が入居しているビルの周りは、あのころよりもさらに開発が進み、立派なオフィス街になっていましたし、本社に勤務している人たちの顔ぶれもガラリと変わっていました。

担当窓口になってくれる同期のNさんは、同期入社の10名の女子社員の中でたった一人会社に残った女性です。何年か前に昇任試験を受け、管理職として部下を持つようになり、人事のエキスパートとして活躍していました。

わたしの果たせなかった夢を、同期入社の彼女が果たし、女子社員の先頭を切って走りつづけているのだと思うととても嬉しく思いました。
10年前のあのころは、よほどのことがない限り、女子社員は管理職になれませんでした。しかし、今は、結婚しても、出産しても、女性が仕事を続けるのは当たり前、管理職になることにも積極的な女性がたくさんいるのだというのです。

「時代はずいぶん変わったんだね。今、わたしがこの会社に勤務していたら、そんなに苦労せずにキャリアアップできたかもしれないし、会社を辞めずにずっと働きつづけていたかもしれないなぁ」

「それはどうかな(笑)?ムネちゃんは、あのころでも、今でも、会社を飛び出してたと思うよ。研修講師という仕事には、きっと出会っていると思うし、枠にはまって仕事するような人じゃないしね」

「そうかな?案外、小心者なのよ。いろんな仕事をさせてもらってきたけど、失敗の連続だし、まだまだ未熟な部分が多いし、プロと呼ばれるようになるには、もっともっと経験を積まなくちゃいけないなって思ってる」

「そうね。でも、そういう気持ちの持ち方を是非、後輩たちに伝えて欲しいのよ。あのころに比べたら、働く環境はずいぶん整ってきた。でもそれが当たり前になってきて、自分で何かを切り開いていこうっていう意欲を無くさせているような気がするのよ。彼女たちが、自主的に何かに取り組んでいかなければ_って思ってくれるような内容を、たくさん盛り込んでもらえると嬉しい」

働いてきた環境は違うけど、彼女とはずっと同じ時代を一緒に歩いてきたのです。会社のために働くのではなく、自分自身のために働くことが大事だという思いで、一緒に壁を乗り越えてきました。そんな彼女と10年ぶりに再会して、変わらない姿勢で働きつづけている彼女から、仕事の依頼を受けることができて心から嬉しく思いました。

「しばらくだったね。活躍はいろんなところから聞いているよ」

Nさんと打ち合わせをした後、K部長にお会いしました。

「働くのは人だからね。企業は人を大切にするところでないと…。この会社は、意欲がある人には、10倍も20倍も仕事のチャンスを与える会社です」

就職活動でこの会社を訪問した時、K部長との個人面談で話してくださったその言葉が心に響いて、わたしはこの入社を決めました。

在職した8年間、K部長とは、一緒に仕事をする機会はありませんでしたが、かったけれど、K部長は私のことを、遠くからずっと応援してくださっていました。

会社を辞める年に、今までの実績を評価していただき、創立記念式典の日に「社長銀賞」という賞をもらったことがありました。マタニティドレスで表彰式に出席したわたしに、今後のことを聞いてくださり、「頑張りなさい」と励ましてくださった。

育児に余裕ができるようになって、この仕事を始めた頃に、母校である京都の大学から就職セミナーの
講師依頼が入ったことがありました。誰からの紹介だったかを聞くと、卒業生の動向調査をしに本社を訪ねた大学の就職担当者に、K部長が、「大西が仕事を始めたようなので、何か出来ることがあれば、つかってやって欲しい」と頼んでくださったのでした。

「ご無沙汰しています。このたびは、研修を担当させていただくことになりました。ほんとうに嬉しいです。頑張ってきた甲斐がありました。持っているものをすべて出し切って、一生懸命担当させていただこうと思っています」

「そうか、よろしく頼むよ。約束の10年がたったわけだからね」

この会社を離れるとき、私の気持ちの中には、“ココにいても やりたいことをやらせてもらえない””だれも、私のことを正当に評価してくれる人はいない”という思いがありました。

妊娠を理由に、昇任研修の候補からはずされ、悔しい思いもしました。

“こんな会社に さっさと見切りをつけて、やりたいことを自由にやってみんなを見返してやる”という気持ちもありました。

そんな気持ちがエネルギーになったから、10年頑張ってこれたのです。でも、感情剥き出しでわがまま放題に振舞って、その関係を断ち切ろうとまで思っていたわたしのことを、周囲の人たちは、いつもあたたかく見守り応援しつづけてくださっていたんだと気づきました。

この会社に育てられたことに、感謝の気持ちでいっぱいになった本社訪問でした。

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