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罵詈雑言の「ひとり言」


理性的でも感情的でも、自由に自分を表現するということは、大切なことだと思う。ただ、同じように、それを相手からも自分が受け取るということを、忘れているときがある。

時々、罵詈雑言の「ひとり言」をいうことがあるが、口から出た後、実に後味が悪い。
私はこういう罵詈雑言を人前ではいわないし、もちろん家族の前でもいわないようにしている。その理由は単純で、私自身がそういう言葉を吐くことが嫌いだからだ。
別に上品ぶっているわけではない。単に好き嫌いの問題だ。
私は瞬間湯沸かし器なので(気が短い)罵詈雑言に繋がる感情は、すぐに湧き起こる。だから自分を抑えるのに、私なりに努力している。そのお陰で、人は私のことを「常に冷静だ」と評価する。人の評価なんて当てにならない証拠だと思う。

罵詈雑言ではないが、人の生死に関わる言葉も、安易に使うことはない。小説や映画・アニメなどの影響かも知れないが、日常生活に使う言葉だとは私は思わない。

ついでにいうならば、解説不要だと思うが、誹謗中傷の類いも同じだ。

更についでだが、自分の「好き」を推すために、その比較対象を貶すこと、案外よくあることだけれど、これは誹謗中傷と同じだと思う。「好き」ならその「好き」を素直に推せばいいだけだ。


何だか、
自由に自己表現することって、
難しくなってきたぞ。

自由に自分を表現することは、とても大切なことだけれど、その自由には同じだけの不自由さ(責任)も併せ持つことを、忘れないようにしたい。

山根AKIRA|妄想哲学者🙄 さんの記事を読んで、記事の趣旨とは少し異なるかも知れないけれど、そんなことを考えた。





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