高2の時の読書感想文「正欲」

こんにちは。私は今年の4月から大学生のギリJ Kです。本が大好きなので、読書記録のような感じでnoteを書いていこうと思ってアカウントを作りました。まずは、試しに高校2年生の時の読書感想文を載せてみようかなと思います。これは、朝井リョウさんの正欲を読んで書きました。稚拙な部分もありますが、温かい目で見てくださいね。


あらすじ


この物語は3人の登場人物が中心となって進んでいく。

不登校の息子をもつ検事の寺井啓喜。啓喜は息子を学校に行かせたいと思っているが、息子は不登校ユーチューバーの影響を受けて、YouTubeを初める。

ショッピングモールの寝具店で働く桐生夏月。
他人との接触を避けていた彼女だが、高校の同窓会である男に再会する。

トラウマにより男性が苦手な神戸八重子。
大学の文化祭で多様性を称える『ダイバーシティフェス』の企画を提案する。

この3人の運命が重なり、ある事件につながっていく。

読書感想文

本との出会い


「多様性」という言葉を発していると、まるで自分が人格者になったかのような錯覚に陥る。「個性を大切に」「みんな違ってみんないい」多様性は嘘のない、美しい言葉だ。そう思っていた。この本に出会うまでは。

夏本番に入り、猛暑日が続いていた。白く
照り返す歩道を、日傘に隠れで歩く私はとことん夏に向いていない。日差しから逃げるようにして本屋の軒下に立つと、自動ドアが開いて一気に人工的な冷気に包まれる。閑散とした店内に並ぶ平積みの中から、紺色を背景に墜ちていく鴨が描かれた本を見つけると、私は迷わず手に取って足早にレジへ向かった。

本文

街に出ると、多様性を連想させるものが多く目に付く。それは都心に返づくにつれて量を増す。メディアは尚更だ。こうして世の中が私たちに考えさせようとしている「多様性」という概念は一体何なのか。とくにLGBTなどの性的多様性については少なくとも私の周りに該当者は見当たらない。私にとって多様性とはみたことのないものにつけられた美しい言葉であり、その言葉は確とした輪郭を持たない。私は多様性の輪郭を見つけられる書籍を探していた。そこで目に止まったのが朝井リョウの「正欲」だったのだ。この本のテーマは「多様性」と生きる原動力としての「性欲」だ。本書の中には「本当の多様性とは自分の想像力の限界を突きつけられる言葉だ」とある。つまり、現在使われている多様性という言葉は、マジョリティ側が想像できる範囲内のことしか表現できていないということだ。私たちには想像もできないだろうが、世の中にはマイノリティの中のマイノリティ、少数派にすら入ることのできない人たちが存在している。本書に登場する人間の性愛の対象は、男女という性差を軽く飛び越えて、もはや人間ですらないのだ。かなりの突飛さに驚くとともに、人間の想像力の限界を痛感した。

人間が生きていく上で欠かせない三代欲求である「性欲」。欲求の形が至ってシンプルな睡眠欲や食欲と違い、性欲には私たちの想像を超える多彩な欲求が存在する。中には罪に繋がるものや他人から理解を得られないものもあるのだ。
性への欲求は、生への欲求である。また、それらの欲求は全て正しいということを書名は指し示しているのではないだろうか。誰しもが行きたいという欲を抱えて生きている。それは自明の理である。多様性の社会を謳うなら、特殊な性癖も犯罪になるもの以外は認められて然るべきだろう。にも関わらず、なぜそうした欲求は迫害、または無視されてしまうのか。やはり私たちは自分が不快にならない許容範囲までしか多様性として認めていないということだ。本当に気持ちが悪いと感じるものには、蓋をしてみないふりをする。それが世間である。

「性欲は誰にとっても後ろめたいものだ」と本書には書き記されていた。性に関して比較的オープンな時代になりつつあるが、どうしても拭いきれない後ろめたさを感じてしまう。だが、何をみて性的に感じるかを自分で統制することはできない。かつて、私のスカート丈の短さを指摘して「痴漢の的だね笑」と笑った友人がいた。あれは男性に性的消費されることへの警告のつもりだったのだろう。しかし、仮に私の足を見て性的だと感じる人がいて何の問題があるのか。もちろん、どんな性癖の人でも法に反すること、人を傷つけることはしてはならない。だが、感じることや思うことは自由であるべきなのだ。

世の中は多様性の一部にだけスポットライトを当てていることに気づいていない。その外側には私たちの想像をはるかに超えた可能性が潜んでいるというのに。結局多様性にはキリがないのだ。多様性の社会を謳ったところで、私たちの想像力は高が知れているのだから、本当の多様性を理解することはできない。そもそも、理解しろと強要すること自体が、多様性という概念に相反するだろう。

「正欲」を読み終えた時、今までの人生で培ってきた哲学や価値観が崩れ落ちるのを感じた。私はまた振り出しに戻って1からやり直さなければならない。読まなければよかったと思った。読まなければ、ただ美しいだけの多様性を朗らかに歌いながら、平和に生きていけたのに。

真の多様性の意味を知ってしまった今、現代の多様性はマジョリティ側のエゴにしか感じられない。しかしその一方で、「正欲」に出会えたことにより、今まで見えていなかった多様性の輪郭をようやく掴めた気がしている。

私は街を歩く。生きたいという欲求を心の隅に抱えて。いつか全ての多様な「生欲」にスポットライトが当たることを願いながら。

あとがき


いかがでしたでしょうか。これ夏休みに2週間以上かけて書いたんですよ💦今読むと、少し恥ずかしい感じがしますね笑
結局お前何が言いたいの?って感じの文章ですが、今の私と言いたいことはあまり変わってないのかな。この頃の私、友人に痴漢の的だと言われたことをなかなか根に持っていて、ネタにしてやる!って思って書いてるみたいです。

正欲はほんとに今までの価値観とかぶち壊されるような経験をさせてくれる本でした。特にジェンダーとかに興味ある方は読んだほうがいいです。自分の浅はかさを知れるというか、なんというか、、。
性がテーマで、しかも多様な性を描く作品ってあまり無いですよね。最近はLGBT Qの方達を描いたものも増えていますが、それ以外を描くというのは難しい。なかなかそこまで想像が至らないからです。また、性欲をテーマとするとなんとなく官能の要素も入りそうに見えますが、この本はそれが全くありません。私的にそこがすごくよかったです。官能的な作品も大好きですが、性欲を生きる欲として真摯に捉えている感じが伝わってきて、感動を覚えました。官能的な作品が性欲を真摯に捉えていないというわけでは無いです。私はむしろ、官能こそ正義と思っているタイプなので笑ただ、官能性を入れない極端な描き方の方が読者には伝わりやすいということです。

今は性にオープンな時代になりつつありますが、性欲というと真剣に捉えて、考える対象から外される感じがします。だから、日本の性教育は遅れているのだと思います。性欲を恥ずかしがったりふざけたりせず、真摯に捉えることが足りていないのです。

ネットフリックスのセックスエデュケーションというドラマご存知でしょうか。母親がセックスセラピストでからかわれてきた少年が、高校で自らもセックスセラピーを始め、たくさんの人の悩みを解決していくという物語です。この物語にはいろいろな性の悩みを抱えた登場人物がでてきます。日本では放送できないディープな内容です。でも、悩みもリアルなものが多く、高校生がいかに性について考え、悩み、苦しむのかが描かれています。性欲、生きる欲と付き合っていくために皆悩むのです。日本の学生も同じはずですよね。ですが、日本全体にある性欲への後ろめたさによって、性教育の改善は滞っています。そのため、マジョリティでもマイノリティでも自身の性について語ることができないのです。それは多様性の広がりをも妨げることになります。まずは、性への偏見を無くさなければ、多様な性へ寄り添うことなどできないでしょう。

多様性。感想文の中で、現代の多様性はマジョリティ側のエゴだと書きました。しかし、多様性という言葉に救われている人も存在する。この言葉に内包される意味を増やしていくこと、それがマイノリティを救うことにつながるのでは無いでしょうか。


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