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クリエーターは、 なぜ島に移住するのか

絵描きは、島に渡る。ゴーギャンのように。
作家は、島に渡る。ヘミングウェイのように。
そして、今ではペインター、グラフィックアート、フォトグラファー、ステンドグラス作家、鉄細工作家、Webデザイナー、染色家、テキスタイルデザイナー、ミュージシャン、ダンサー、書道家、いろいろな種類のクリエーターたちが、住居と仕事場を島に移している。

都会には、できたものを動かしている人たちが多い。
都会には、ルールを作る人たちが多い。

実体のないものをサイバー空間で右から左に移すことが仕事の人もいる。
それはそれで重要で、必要があるから仕事として成立している。
彼らは得体のしれないリスクというものと戦っている。

島では、実体で動く。
具体的なスイカ、具体的な踊り、具体的な運動会。
神様にだって、会うことができる。

島に移住してきたクリエーター達と話をしていて気がついた。
私たちが作っているものは、人工物である。
納まりがいいものに私たちは安心を感じる。
クリエーターたちは納まりの良い『一点』を探って思考を重ねているのだ。

都会の建物の多くは納まりが悪い。
現在の自動車たちのフォルムも納まりが悪い。
多くの電化製品も納まりが悪い。

自然の風景や、生き物たちのデザインは納まりがいい。
それは、何十万年、何万年をかけて納まってきたデザインだからだ。
山の稜線を見てみよう。
手つかずの山、再生した山のラインのなんと美しいことか。

だから、クリエーターたちは、自然の造形やバランスや色をお手本にする。
色の組み合わせや光線の強さによる陰影を作品に取り入れる。

自然に近い環境で、自然のリズムに寄り添いながら発想を巡らし、納まりの良い点を探る。
クリエーターにとって至福のひと時だ。

震災は、どこで何に触れ自分たちの時間をどう過ごしていくかを考えるきかっけとなった。
僕たちの暮らす地球は微妙なバランスの上にあり、少し表面がずれただけで、大津波が発生し、一万人以上という人が流される。
安定は幻想である。
これまでもそうであったように、『これまで』と『これから』は違う。
自分で考え、選択し、動くことが生活の基本である。

マーケットの近くで効率化を求め、人工物に囲まれ情報に埋もれて暮らすことは、クリエーターにとっては、さほど価値がないことがわかってきた。
マーケットの近くにいる必要があるのは、マーケッターだ。
なんとなく、みんなで都市に向かって行ったのは何の重力だったのだろう?

都市には人の作り出した魅力的なものがあった。
でも、自然の造形に比べれば、まったく太刀打ちできないことが島に来ればわかる。
満月が海から立ち上る時、その光景はどんなイベントホールでも再現できない神々しさがある。

今、島でもネット環境が整備され、島で暮らすクリエーターたちの発信が都会のクリエーターたちに届くようになった。
考える毎日、感動する毎日、納まりのよい造形に囲まれる毎日、鳥の声風の音美しい夕陽、コミュニティの中で関わり合いながら暮らすこと。
自分も行ってみようかと、旅で島を訪れ、島人や先輩クリエーターと酒を飲み、歌を唄う。
奥さんに「ここいいよね。住んじゃおうか?」と問いかける。
「私も、そう言おうと思ってたの。」と答える。
後ろで、小さな子供たちが地元の子供たちと走りまわっている。

島で仕事がありますか?と聞かれることがある。
ありません。あるいは、人と人のつながりの中にしか仕事はありません。
自分で仕事を取ってこれる人、あるいは島の人と関係性を持ってその中で見つけないと、島で暮らすことはできません。

島に移住してくるクリエーターたちの多くには、力があり、実績があり、人脈がある方が多いです。なので、名指しで仕事が来ます。
ネットや電話で依頼が来ます。

時たま島を出てマーケットに足を運び、都会の状況と人脈をメンテナンスすることにも気を使っています。
価値は、作り手と買い手の間で発生するのです。
自分でスタイルをマネジメントできるクリエーターたちが島に移住しています。

こうして、島には素敵なクリエーターが集まっている。
クリエーター同士のコラボレーションが起こり、ますます素敵なモノやコトが産みだされる。
あなたも一度家族を連れて、島に来ませんか?
自分と家族のこれからを選択する良い機会になります。

クリエーターたちは、自分の場所と時間と空間をみつけ、こうして島に移住する。

二〇一三年 初夏 奄美大島 笠利町にて

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