【辛い時に読む用】プロレスラーの怪我との向き合い方と欠場することの心情

木曜日なので特別記事なんですが、これを書き始めようとしたら曙さんの訃報を知ってしまいました。
思うところは多いです。
あ、別の意味でセンシティブな表現が出てくるので
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の中は覚悟して読んでください。
有料にするほどの話でもなく、苦手な人は苦手であろう表現が出てくるので。
忠告はしましたよ。

DDT両国国技館大会でタイトルマッチを曙さんと戦ったのは、やはり感慨深かった。
たぶん見ている人には伝わらない話で恐縮なのですが「見る側の感慨」と「やる側の感慨」というのはまた別なんですよ。
人間には自分史というものがありましてね。
自分が生きてきた年数…私で言うと46年分、私の目や耳などから通した記憶ってのがあるんです。
その中で、他人にとってはどうでもいいかもしれないけど、自分にとっては大きな出来事っていうのがあるんです。
長く生きててそこそこ長くプロレスをやっていると、自分の中では大きな出来事がいっぱい生まれます。
曙さんも、私にとってはそうでした。
相撲ブームの時の大横綱。
角界にハワイ旋風が起こっているときの第一人者ですね。
私の世代では、横綱=若貴曙ってイメージがあると思います。
そんな存在でもあった曙さんが20年後にはプロレスラーに転身してて、ただのプロレス好き高校生だった私がプロレスのリングで、しかも相撲中継で見た両国国技館でタイトルをかけて戦うことになる…そんなもん想像できるわけないじゃないですか。

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その日、私、たぶん昂り過ぎたんでしょうね。
私、ビッグマッチで初めて大を漏らしてたみたいなんです。たぶん入場の時点で。
マジで気づかなかった。
試合終わって、コメントブースから聞こえてくる曙さんの
「臭いよ~」
っていう声で、アレ?ひょっとして私?そんなバカな!
と思ったわけです。
国技館において神と言ってもいい元横綱に対して、ミソつけるなんてそんなわけ!
まあ一応トイレに行って個室入ってTバック確認してみたわけですよ。
漏らすとか、その上気づかないとかそんなことあるわけが

ミソついてた!

ビビったよね。自分の才能に。
横綱に対して結果的に一番殺傷能力が高い攻撃をやってのけるなんて。
それくらい、偶然が重なり過ぎて整った舞台で勝ちたかったんでしょう。
試合後謝りました。私ではなく私のパートナーだった大石さんが。

上記は色んな人から語られているエピソードではあるのですが、この度曙さんの訃報を聞いてフラッシュバックしました。

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人生って、こうやって自分の歴史を紡いでいくんだなって。
狙ってやったことではないにせよ、人として申し訳なかったと思います。
曙さん、すみませんでした。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。


さて、改めて特別記事なのですが、今週は珍しくサポートでリクエスト頂いたのでそちらについて書こうと思います。
テーマは「プロレスラーの怪我との向き合い方と欠場することの心情」です。
リクエストくれた方、ありがとうございます。
まず無料部分ではテーマに対する私なりの意見、そして有料部分ではさらにそれを俯瞰で人生単位で見た時の私の考え方を書こうと思っております。

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そもそも、私はあまり欠場するタイプの選手ではありませんでした。
あまり怪我しない。
仮に怪我しても、試合のテイストを変えて勝負することで負傷箇所に負担をかけないやり方でやってきた。
「休まない」ということを誇りにしてた時期もありました。
初めて大会に穴をあけたのはインフルエンザにかかった時でしょうか。
さすがに伝染病は自分だけの問題ではないので、断腸の思いで休んだ記憶があります。
そこから、持病の腰のヘルニアが大爆発して数か月休んだ時期もありました。
ここ数年も首が壊れたり、コロナにも罹ったり、鼻を折ったりで何かあったらそこそこ休むことがあります。

怪我はね、仕方がない。
プロレスである以上、怪我をするリスクは普通の職業よりは高いです。

というのはまあ一般論です。
怪我の問題って怪我そのものよりも心の問題が大きいのですよ。

私の経験から言うと、欠場レベルの怪我はやっぱ心が病みます。
プロレスラーって、基本的にはプロレスが好きだからやってる職業なんですよ。
昔は知らないです。
昔はプロレスが稼げる職業だったからやってた人もいるでしょう。
でも、今はそうではない。
もう、言ってしまうと「好きじゃないとやってられない」仕事です。
リスクと賃金が見合ってる以上に貰っている人は、そうそういないと思います。
全くいないとは言いませんよ。多くの場合は、です。
ということは、プロレスラーを選んだ動機がお金だけでない以上、「生き方」の話になってきます。
つまり、多くのプロレスラーはプロレスをやることで生きてる実感を得ています。
あくまで私の脳内調べです。根拠はありません。
なので、怪我をして欠場してしまう選手は、心がやられてしまいます。
休んでいると、置いて行かれた気持ちになってしまうんです。
自分が忘れ去られてしまうんじゃないか、そういう気持ちが生まれてきます。

同僚は、戦友でもありライバルでもあります。
たぶんだけど、同期が自分の欠場中に結果を出すと嬉しい半面で焦りも生まれます。
「自分は何やってるんだろう」と考えてしまう。

ぶっちゃけますね。

それ、正しい感情だと私は思います。
焦っていいと思います。嫉妬もあっていい。
ただ、問題はそういう感情を持った次の行動です。
ここが怪我で欠場している選手の運命を分けると私は思っていて。
つまり「焦りを覚えた後にどういう行動を選ぶか」。
ゴールの置き方の問題ですね。
現状は、同期やライバルが実績を積み重ねたことに間違いはありません。
差をつけられた。それは現実です。
ただ、ゴールはそこなんですかね?

例えば、私のゴールは「死ぬときに楽しい人生を送ったな」って思うことです。
そのためのプロレスであり、プロレスラーとしての日々です。
もちろん、目の前の戦いをないがしろにしていいって話ではありません。
むしろ、「楽しい人生だったな」と思うために毎試合大切にしているつもりです。
毎試合「もっとできたんじゃないか」という反省はあります。
その毎試合の積み重ねがゴールにつながると信じてやってます。
焦っても嫉妬しても構わない。ただ、今できることは何だろう?
一気に何かを手に入れることは出来ません。
いや、厳密には一気に何かを手に入れられる一戦が人生であるにはあるんですが。
ここがややこしいところで。
でも、それはなかなか訪れません。
決してそこら中に転がってるものではない。
むしろ、怪我している最中で臨んでいい一戦ではないのです。

その選手の一生を決めるのは、こういうひとつひとつの選択です。
焦っている時にこそ、正しく選択しなければなりません。
「焦るな」
は無理です。焦るし、不安な気持ちになります。
だから、私が言えることは
「最良の選択を」
です。

まとめます。
怪我はもちろん怖いです。
ただ怪我そのものよりも「怪我をしたことで生まれる選択の判断ミス」の方がもっと怖いです。状況がより悪くなる可能性がありますから。
なので、頂いたテーマに沿うと、私の意見としては
心情は「焦るし不安になるけどそれはしょうがない」、
向き合い方は「怪我した時ほど選択を慎重に」
ということになるでしょうか。

ひとまずはこんな感じです。
今もなお、髙山のよっちゃんも、大谷さんも大きな怪我と戦っています。
お二人の他にも、人知れず怪我と戦っているプロレスラーはいます。
みんな、偉大なプロレスラーです。
今の自分の状況を踏まえた上で前を向いている。
ゴールをしっかり見据えている。
そして、決して怪我をプロレスのせいにしていない。
お二人の生きざまが、本当にプロレスラーそのものです。
私も、二人や戦っているプロレスラーに負けないよう私の戦いを全うするつもりです。

さて、ここから有料になります。
今回の有料は変な話、今すぐに買わなくていいかもしれません。
もし、プロレスラーにとっての怪我をあなたがしてしまった場合。
つまりはなんか嫌なことがあってちょっと心が弱ってしまった時に思い出して買って読んでもらえれば、という内容です。
ここからは仮に、私と仲のいい後輩が怪我してしまった場合にこういう声をかけるよっていうことを書きますので。
…とうとう脳内の後輩との会話をnoteで売るという、いよいよ極まった商売に手をつけ始めた感がありますね。

では。

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人生はね、不公平なんだと思う。


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