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自由に文章を書くということ

割と飽きっぽい方だけど、なんだかんだで20日分ちゃんと続いている。毎日の家事炊事洗濯をしながらの「すきなもの」noteの更新。
「すきなもの」の記事ではないけど、ここまでの徒然とした雑感を書きたくなった。

20日続けたけど、noteに溢れる意識高い系(って言い方古い?)の記事を見ては、私のすきなことについて書いた記事なんてゴミだなと思ってしまう自分がいる。

今日も、前職からお付き合いのある方に、「note」って媒体が面白いらしいですよ、とメールをいただいた。アラサーの私と一回り以上も離れた方だ。職場の人に聞いて、初めて知って興味を持ったようだ。
「私も書いてますよ〜」って、言えない。言う勇気がない。

20日分自分の好きなことを書きためてみて、書いているときは楽しいけど、まだまだ全然肯定できない自分に気がつく。好きなものについても、自分の文章も。

でも、自分の好きなことの傾向については、なんとなく前より見えてきたのかな、と思う。
そして、一時期全然書けなくなってしまった文章が、だいぶ書けるようになった。そして平均2000文字くらいの記事を書くのが早くなった。

少なくともここには、他人の文章の校正をする人はいない。
昔、Facebookにあげた長文を、母に校正され、めちゃくちゃ長いLINEで送られてきたのが割とトラウマだ。しかも、もう20代もなかばの話。恥ずかしくてなんかすごく悲しくて、でもそれは覚えがある感覚で、そういえば小さい頃から、絵や作文なんかでも、両親にいろいろな指摘をされてきたことを思い出した。全部真に受けなくても良かったんだけど、ほぼ全部聞いて、特には逆に意地になったり。それだけ真面目に受けてしまっていた。就活のときの作文なんかも親に見てもらっていたっけ。的確な校正はくるし、娘に時間を割いてくれて感謝しなくちゃいけないけど。

たぶんずっと長いこと「正解」を探して書いていた。

少なくとも、ここは自由だから、自由に文章を書き続けようと思う。少なくとも、書くことを継続しようと思う。
noteのテーマでも、今度書いてみようかなと最近は思ってる。

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