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熱帯の立春

熱帯と言っても亜熱帯。気候はサバナ気候に分類されるチェンマイ。一年中湿気とスコールに包まれているわけではなく、仏教の世界観に即した分け方で季節は暑季・雨季・寒季の三つに分かれています。

今はちょうど、冬にあたる寒季(ルドゥ・ナーウ)から暑く乾いた暑季(ルドゥ・ローン)へと移る境目の時期。気象庁からは、今年は2月下旬に寒季(冬)は終わり、暑季(夏)を迎えるでしょうという予報が出ました。

今年はキリが良く2月1日が立春の始まりでしたが、寒さが半ばまで続きました。太陽は高度を上げてきているので午後こそ30度を少し越えますが、それは日向のこと。ひがな部屋の中はひんやり、外も日陰は涼しく、何より朝は10度くらいまで気温が下がるので、まるで1日の中に1年の季節があるみたい。
おかげで朝はセーターにストール。昼前はストールを外し、お昼少し過ぎにセーターを脱ぎ、午後三時ごろにはブラウスの腕まくりする。そんなかんじです。

それでも寒い場所で育った身には、この日本にくらべたら優しい「冬」は、冬の装いをしたり、お風呂にじっくり使ったり、暖かい料理をたくさん作ったり、なんとも楽しかったのですが、とうとう3日前くらい、タイでは万仏節を祝う満月の前日から、朝の気温は15度とぬくみ、季節の変わり目によく起きる嵐の気配のせいか、強めに吹く風はぬるくて水と土の匂いがし、昼前には心なし蒸し暑く、とうとうセーターはもちろんストールもいらなくなってしまいました。
徐々に移ろっていくのではなく、ぱらりとまるでページをめくるか、舞台転換したかのように季節が変わってしまった風です。

1月中ばから、この突然のお天気の変化の前までは、明け方四時、南の空低くには、ケンタウルス座の前足のつま先にあたる、アルファ星とベータ星のハダリが並び、その少し右側には南十字星がちょうど真南に直立するように見え、冷えた空気のおかげで地上近くまで澄んでいる夜空に目を凝らすと、南十字の左下には石炭袋の漆黒も見え、「銀河鉄道の夜」の旅の眺めそのままに星が並んでいます。振り返って北の空を眺めると、やや西側にちょうど水をこぼす形に傾いた北斗七星が見えていて、まるで合から春がこぼされているよう。直立した南十字も、その位置がほぼ真南のせいか、冬の終わりか春の始まりを告げる印のように見えていました。

そんな風に明け方の夜空を毎日見ながら、白い毛皮族と散歩していると、この暖かいお天気が来る少し前から、空は少し霞んで南十字はおぼろとなり、路上にはハナモツヤクの鸚鵡の嘴のような形のオレンジ色の花や、シルクコットンツリーのふわふわの薄紙で作ったような黄色い花が降り積もるようになり、どこかから、暗闇のなか、チュベローズの優雅な春の温気のように滑らかな手触りに、白い靄のような微かな光が感じられる香りがし、さらにその狭間にふっとイランイランのグリーンノートとバナナが入り混じったような香りもするようになりはじめました。

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ああ、肌寒いとはいえもう春なんだとあらためて思うと、以前ならばよく聞こえていたリュウキュウガモたちの囀りがしません。とっくに北へ帰ってしまっていたのです。代わりに聞こえるのは、小さなフクロウやオウチュウ、インドカッコウたちが呼び合う恋の歌であり、恋猫たちの少し狂おしい鳴き声です。
空や花、動物たちは、人がそれと感じるより一足早く、季節の移ろいに感応していたようです。

ちなみに、春の暖かい空気の手触りのような香りのチュベローズ、タイでは寒い季節以外ほぼ通年花が咲きますが、その名をซ่อนกลิ่น(ソーン・クリン)、「隠す香り(香りで隠す)」といいます。この名の由来は、なんとお葬式で死臭を隠すのにこの花が用いられたからなのだと、ちょっぴり不穏です。

花からとれる香料は、稀少な薔薇の香料よりもさらに稀少ですし、尖ったところのないエレガントや香りのせいか、チュベローズをテーマにした香水も多く、大好きな香りの一つなのでこれを知った時は、いささかショッキングでしたが、香水にも、少し恐ろしいイメージを纏ったものも他の香りより多い気がします。
たとえばセルジュ・リュタンスの香水「チュベローズ・クリミネル(罪作りなチュベローズ)」は、チュベローズがインカ帝国では生贄の花冠に使われていたという話にインスパイアされて作られたといいます。(この香水、最初に一瞬香るゴムの樹脂のような香りといい、その後の花の香りといい、ほとんど本物のチュベローズのような香りです。)

タイでこの花が、かつて葬儀で死の匂いを隠すのに用いられたのは、冷蔵技術などもなかった亜熱帯では切実なことでしたでしょう。けれど、チュベローズの白い花の清楚な姿や、ヴェールのように柔らかく全てを包み込むようであり、とても特別だけれど、華やかというより、静けさがある香りは、死の匂いを隠す実用のあるかもしれませんが、人を悼み慰撫するにもとてもふさわしい、優しい手向けだったように思います。また、コカやチチャによって生じる恍惚の中で贄となっていくインカの少年少女たちには、この花の香りはその酔いや幻をさらに深め、異なる世界へ導く助けにもなったことでしょう。そう思うと、縁起の悪さや禍々しさを超越した優美さや優しさや気高さも感じます。

また、チュベローズに限らず、菊にしろ薔薇にしろ、死の匂いを隠し、あるいはその香りによって悪しきものから死者を守り、送るために用いられた花は国ごとにありますし、そもそも花は生命のある頂点であると同時に、滅びの始まりでもあり、またそれは次の生命への繋がりなのですから、チュベローズばかりを忌むのは酷な気がします。

ともあれ、そのような昔の使い方から、タイではある世代より上の人たちには、この花を好まれないといいますが、最近では花は花として愛でる人も増えてきたようです。実際、タイの花好きの人たちの集まるSNSでも「花は花だよ。その美しさや香りを楽しめばいいんだ」というコメントをよくみかけますし、八重咲きや少しピンク色の園芸種を売っているお店のウェブもあります。
そしてなにより、早朝の散歩の途中で、このチュベローズの香りが流れてきた庭の主はガーデニングが大好きな老夫婦なのです。古いロマンティックな歌謡曲のレコードをかけながら、庭いじりをしたり、その庭でご飯を食べたり猫と遊んだり、ゆったりと日々を過ごしている様子はそれは素敵です。そこに香るチュベローズは、幸せな庭の空気を更にふわりと優しくしている気がします。

今日で立春が終わります。明日からは雨水。朝から水気のある強い風が吹いていますが、その名のとおり、生命を目覚めさせる雨は降るでしょうか。その雨に、今度はどんな香り高い花が咲くのでしょうか。

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