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手触り

気がつけば、ロックダウンは解除され、緊急事態宣言の制限も緩和がフェーズ4まで進み、タイ国内での感染者ゼロはあと少しで1ヶ月。7月からの緊急事態宣言解除に向けて、学校の再開準備なども進んでいます。

とはいえ、制限が解除されてからの方が、どこまでならば大丈夫なのかという物差しが曖昧になり、むしろ手探りの感覚が強くなったような。

そんな覚束ない手探りの感覚の中でも、どうにも気持ちが悪かったのは長くなってしまった襟足。暑季から雨季の端境期の一番暑い時期のチェンマイでは、そこに熱がこもって汗ばんで、なんとも居心地わるく、鏡を見ながら自分でカットしているのにも形を整える限界に来ていたところだったのです。

規制緩和が始まった時、かなり早くその対象になったのは、美容室。営業が条件つきで許可された直後、こわごわと、でもいつも行くのは、個人経営の小さなお店だから、と出かけました。

お店(といっても住居の一角)は、まるで温室のように緑が沢山。休業中にガーデニングをしていたら、気づいたらこんな風になっていた、とオーナーであり、ヘアデザイナーの彼女は、ゴーグルとマスクをつけて笑っていました。そんなお店の空間や彼女の様子に、ああこれなら大丈夫とまず少しほっとしたのでした。

そして、肝心のシャンプーとカットです。
なんだか図らずもとても、心地よくほっとしてしまったのです。
人に丁寧に接してもらうこと、体に触れたり、互いの気配を感知できる適度な気配で立ったり、所作を行うことで伝わってくることどものなんと豊かなことか。
2mの隔たりで、私たちはいかに遠くなってしまっているのかとちょっと泣きそうな思いになったのでした。

一方で、離れて暮らす家族や友人との連絡が普段よりこまめになったり、互いの消息を知ろうと積極的になったことは、思いがけない賜物ではあったのですが。

それにしても、息遣いや手触り、匂い、そんなものが、私たちが互いを感じるための見えざる支えになっていたことに、改めて気づいたのでした。

なんだか名残惜しくお店を出た後、家に帰って真っ先にしたのは、留守番していた白いふわふわのお腹に顔を埋め、胸のふわふわを思い切り撫でることでした。

思い返せば、このあたりに見えない障壁に覆われた中で、思いきりふれたり、互いに寄り添ったり匂いを嗅ぎあったりできたのは、あと少しで2歳になる、体重30キロの大きなパピーでした。
そういえば、このコロナの困難を超えるために、犬はいいよとイアン・ブレマーも言ってましたっけ。

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