わたしという個性への考え

わたしはアルバイトをこれからするはずの実家暮らし25歳の女だ。
独身だし彼氏はいたことないし就職もしてなくて考え方が甘ちゃんなので周りとは一歩も二歩も人生が遅れてると思ってる。実際そう。
人並みの人生を歩もうと気がないとまでは言わないけど中途半端だということは間違いない。
だんだん個性への考えにちゃんと文が進んでいくかわからなくて不安になってきたけど書き進めていこうと思う。
話を戻して、個性というのはその人のキラキラした部分だ。と私は捉えている。
特別優れているところ、それが個性。特性。例えたらポケモンみたいな感じ。

悪いところは個性とは言えない。それはただの悪いところ。個性という言葉では庇いきれないはずだ。

「個性が強い」「個性がある」と言われたことがある。それは褒め言葉の場合もあれば冷たくも悪く評価されるときもある。とても複雑な言葉だ。

わたしは美術大学を卒業している。なぜ美術大学を志望したのか、その理由は母の言葉だった。
「あなたは変なんだから美術大学に行きなさい」
その言葉だけで私は大学へ進んだ。浪人してるけど。
純粋にわたしは母に”変”というイメージを持たれていること=変わっているという個性がある、特別なんだと思って入学した。

大学に入ったらあらま、びっくり。人の形なだけで”変”をもつ塊だらけだったのです。
戸惑ったわたしはもっと人より倍に個性を強く!と、一時期は”変”になろうとおちゃらけてみたりしたこともあったり。今もあるかもしれないけど。
思い返すと、本当に見た目も思考も個性がぶっ飛んでる人が多くて見るのに飽きなかった4年間だった。

それはさておき、美術大学なので作品を作るのはまあ当たり前です。が、本当に嫌だった。わたしは頑張っても個性がない作品しか作れなかった。面白くないのだ。周りがこんなに魅力的なものを作っているのに。個性のことで劣等感を持つことが悲しかった。
わたしのキラキラしたところは一体何なのか。あるのかどうかも分からなくて不安で仕方ないときも多々あった。

今もはっきりわかることはできていない。
でも時々評価をもらうことができてきた。わたしの作った作品で可愛いと言ってもらえたり、センスがあると言ってくれた子も中にはいた。他人がわたしの個性を、キラキラしたところを見つけてくれた。しあわせでしあわせでたまらなかった。
自分で見つけることができなかったことを発見してくれる、こんな嬉しいことがあるだろうか。
良いところなんてないと思ってた。個性なんてわたしにはない。
ちょっと前まで”変”な、変わってて考えがおかしいだけなんだと思っていた。個性というものがキラキラして見えなくて押しつけられる言葉に嫌気がさしていた。
けれどもしかしたらわたしにもキラキラはあるのかもしれない、そんな希望をわたしは持ちながら生きている。
最初の自己紹介ででてきた”わたし”も個性の一員になるといいなと思っている最近だ。今はまだ思えていないので。楽に考えられるといいな。キラキラしたいのである。

初めて自分の思いを吐き出してみたが意外と文章の繋ぎ方の難しいということを知った。
次に生かそう

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