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これは、ダンス以前の問題だ!

○「これは、ダンス以前の問題だ!」
ダンスと言えば、音楽番組や野外イベント、祭りや儀礼といった機会で一見、どこでも誰にでも踊られている。既存のダンスは、日々生まれ変わり、進化をとげ、新たなダンスは日々、生まれ続けている、かの様に見える。でも、巷に溢れるダンスは、繰り返し披露されてはいるけれど、実際どれだけ今時分の状況をアップデートし、練り直され表現されているか。新たなダンスは生まれ続けているのか、と疑問に思う日があるし、もしかして、既に今あるダンスは血が通ってない(死んでいるんじゃないか。)と、心配にすらなる日がある。

こんなダンスに溢れた時代でも、私はダンスは未だかつてない程の危機にさらされている、と感じている。なぜなら、ダンスする立場の人間にしたら日本はどんどんダンスの生まれづらい国になってるから。

今こそ、ダンスすることを考える以前にダンスされる環境の変化に目を向ける時が来ているんじゃないか、と思ってる。手遅れになる前に、ダンス以前の問題を取り上げる必要があるんだ!!!

○ダンス以前を考える様になったきっかけ
   恋ダンスから、盆踊り、巫女舞から日本舞踊、ブレイクダンスに至るまでダンスや踊り舞が作られてきた背景には様々な時代の流れや人の思いがある。

既にスタイルや流派を持つダンスや舞踊は、少しずつ表現する人の美意識の変化なんかによって形を変えたり、変えなかったりしながら現在まで日々踊り続けられてきた。

その中には、踊り継がれることによって現存するもの、この世から次第に姿を消すもの、文化財保護法とかの法律の手を借りて保存されるものもある。ダンスって無形の文化だから、踊られなければ姿を消すし、かと言ってただ型だけを保ち守られたとしても、人々に必要とされ、心を揺さぶる様な力を含んだダンス、いわば必要のあって生み出された頃の形とビビットな生命力を同時に受け継ぐ形をもつダンスを踊ろうと思ったらひと苦労…なのさ。
なんでだと思う?
それは、第1にダンスが踊る土地を必要とするからなんだ。
第2にダンスされるには、ダンスする人が必要だからなんだ。

そんなの、当たり前だよ。
と、思うでしょう?

でも、違うの。
実は、もっとナイーブな問題なの。
例えばさ、労働歌ってあるじゃない?田植え唄なんかでもいいんだけれど作業する時に植える動作に勢いをつけて、大勢で動きを揃えて共同作業の効率化を図る様なもの。この動きを土台につくられた田楽踊りなんて、どう思う?
今時分も田植えの現場で作業効率を目的にして踊られてると思う?もしくは、カッチョよさそー、そんなダンスがあるなら私は見てみたい!僕も踊ってみたい!って思いますか? 思う人もいるし、思わない人もいるでしょうね。やってみたいか、見てみたいかは別として、ちょっとだけ考えてみてほしいんだ。

今となっては、田植えは機械でできるし、米もスーパーで買える。最近、ご近所さん総出で息を合わせて皆んなで田植えをするチャンスあった?忙しい中さー、効率よく速く田植えを終わらせたいから、唄歌わなきゃね!踊んなきゃ、田植えははじまらねーしっ!とかありえる?

まずないよね…

いや、前置き長くなったけどさ…今流行らなくなった踊りとか、保存の価値があるとか言われて守られようとしてる日本のダンスとか、そう言う背景がある訳。のっぴきならない訳があって踊られていたの。でも、多分だけどさ、田楽踊りを今ふつうに踊る必要がある人は想像だけど、少ないだろうし、踊る必要のある土地も少ないよね、きっと。
田植えの状況は、一気に機械化された訳ではないし、人の米作りに対するニーズや状況も次第に今の様な状況に変化してきたんだろうよ。
話しを戻すと、
だから、ダンスって思ってる以上にこの世から急に生み出されないし、消滅し辛いんじゃないかって、予想が立つわけ。

ダンスって、急に始まらないんです。
ダンスって、どこでも踊れないんです。
ダンスって、いつでも踊れないんです。

じゃー、ダンスはいつどこでだれに踊られるのさ?

私の場合、ダンスが踊られるには、
土地と踊る必要のある人がいたからじゃないかっ思う様になった。そんでもって、そんな事を考えてたら、じゃー、新しいダンスを生みだすには土地と踊る必要のある人が絶対条件になるんだって考えるようにもなった。

じゃー、聞くけどさ…
一体全体ダンスを踊りだしたくなる程の動機って何さ?この土地でしか、生まれないダンスって何さ?この状況でしか踊る必要のないダンスって、なんなんだ?

なんか、わかる?

で、私はこの疑問の答えを出そうと動きだした。日本各地へ出向き、自分の目と体を使って調査する必要が出てきた。
そうしたら、自分が踊りたいと唯一感じる土地の情景や光景が日本からどんどん無くなってる事に気付くようになった。だから、その土地らしさを残さなきゃと思うようになったし、自分を踊らせる土地独特の音も記録しておきたいと思いだした。

地唄や地唄舞は勿論出来る限り身体に染み込ませておきたいと決めたし、方言、唄も身につけて、その土地の人の様に暮らし、働きたいと思ってる。そんな行為がダンス以前、だと考えて行動してる。

そうしていつの日か、
このたっくさんの以前が身体に溜まって、のっぴきならない理由と場所からダンサーが生まれ、ダンスが立ち上がる。

うん。そうなんだ…

○ダンス以前の作品集をつくった訳

人柄、土地柄ってある様に土地の品格がある。この柄の数だけダンス以前があり、ダンスが生まれる、と思う。けど、実際どんな経緯をたどってダンスする者たちが土地の品格を察して、汲み取り、動きへ反映させているか、その辺りの流れってダンス未経験の方らには、まだまだ謎に満ちているようです。私は、「あの子は音がしたらひとりでに動き出す子…。」と、言われはじめてから30数年経った。だから、自分のダンスが生まれる段取りはいつでも再現、復元、破壊可能…だけど、ここ10年位は、これを共に経験する術はないかって考えてる。もしくは、ダンスが立ち上がる環境条件を満たす土地を探して人間がダンサーになる瞬間を目撃したいと、願ってる。

▶︎▶︎ダンスや舞踊について概念の薄い方へ▼▼▼

10月18日のダンス以前作品集リリースパーティーではこのダンス以前を体感してもらえる”しつらえ”を拵えてみる。ダンスを目でまじまじと観覧して貰うのではなく、ダンサーの体感しているダンス以前の気配を察して貰えるように。土地柄を身体の芯まで響かせた音の数々を経験して貰うことをキッカケにしようかと。

場所は、床の間と畳のある和室にて

小さな空間にて音と動きを身近に感じて頂く取り組みです。どうぞ、お気軽にお運びください。

詳細は⬇︎

https://www.facebook.com/events/1127605137444417/?ti=icl


GIDS(Gifu Indie Design Sessions)の三周年を祝うパーティーを開催します! また、それに合わせて、メンバー小林三悠による作品集「ダンス以前」のリリースパーティーを開催します。

会場: GIDS(岐阜県本巣市根尾樽見33番地1)
費用: 無料(一部有料パフォーマンスあり)
主催:一般社団法人メディア・アンド・クラフツ

ライブ: 赤神野ブラザーズ、コースケ+伊藤翔汰、小林三悠
パフォーマンス: 小林三悠(ゲスト マッスン)
ラウンジDJ: 中原淳

*駐車場は2台分しかありません。近隣の駐車場もありませんが、山奥なので何とかなるかも?当日スタッフに聞いてください。

*食品、酒類の持ち寄りは大歓迎です。

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タイムテーブル
20:00-21:00 ラウンジDJ
 20:45-21:00(小林三悠 作品集購入者限定パフォーマンス一回目)
21:00-21:15 赤神野ブラザーズ
21:15-21:30 コースケ+伊藤翔汰
21:30-22:00 ラウンジDJ
 21:30-22:00 (小林三悠 作品集購入者限定パフォーマンス2回目)
22:00-22:15 小林三悠 沖縄お土産パフォーマンス


* 小林三悠の「作品集購入者限定パフォーマンス」は別会場(GIDS奥座敷)にて行います。そのパフォーマンスのみ作品集「ダンス以前」の購入者だけが鑑賞できます。作品集(作家サイン付き)の販売価格は1500円(税込)です。




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