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小説「ねぇ、太陽に恋するべきだったと思う?」


 花びらが散っていく様(さま)に意味を付けることは、人間のエゴだろうか。傲慢だろうか。


 今日の日付に赤く丸つけられた、八月のカレンダー。

 蝉は地を揺らす。
 空は疑うことなく青々と広がる。
 結露したコップの中で氷は首を傾げる。

 あの頃と同じような三年前の、あの日。



 帰路の河川敷一面に、向日葵が咲いていた。西陽が私の目を焼いて、瞼の裏の水分が蒸発する。その強い西陽の差す方角から見れば、私は黄色い絨毯を歩いているように見えるだろう。そう思わせるほどに、向日葵たちは互いに頬を擦り合わせあっていた。ただ一輪を除いて。


 皆が太陽へ顔を向ける中、ただ一輪だけ、そっぽを向いている向日葵がある。

 その向日葵の花びらは主張する。自分の水源はこの方向にあると。

 白紙のまま提出した進路方針用紙の白さが脳裏をかすめた。私の青いセーラー服と黒い髪が、黄色く反射する。


「向日葵って、太陽の方を向くんじゃないの」

 一輪の彼女以外の顔が、一斉に私を見た。それでも私は、何の根拠もない意地だけのようなその強さから目が離せなかった。数に抗える確実なその意思から、目が離せなかった。


 季節の中で唯一夏だけが「終わる」。
 終わる癖して、夏は私の悩み事を置き去りにしていくようだ。


 担任に突き返された白紙の進路方針用紙。鞄の中であられもない姿になっていて、その相応さにため息が出る。

 置いていくなら置いていけ。そう全てを捨てられるわけもなく、無数に付いたしわを伸ばしながらコンビニへ向かった。

 時計が二十一時を指す。いつもの河川敷が夜に溶ける。しかし、踏み出した足はすぐ止まった。

 いつもの河川敷に、あの一輪の向日葵の姿がない。



 途端、私の見る景色に額縁がかけられて、その絵は完成されてしまったように見えた。創作の筆は止まり自由の行使は打ち止められる。胸の奥から熱く冷えあがったようなものが喉奥までせり上がっていく感覚がした。

 印刷後、まだ温かかった進路方針用紙を乱暴にポケットへねじ込み、河川敷にあるコンクリート状の階段を急いで下る。多くの向日葵たちと背を並べ、掻きわけるように中を突き進むと時折、向日葵たちが私の剥き出しな肌を引っかいていく。

「裏切者の一味が来たぞ」、彼らは身を揺らし轟く。


 頬に一線、絹糸のような傷を作った後、そこへ辿り着いた。
 彼女の体は強引に太陽のあった方へ向けられていて、根っこの土は不自然に固められている。そしてその身は急速に日数を経たように、茶色く縮こまり項垂れていた。


「そんな」


 私の声に茶色い花びらが呼応した。いや違う。命終わらざるを得ないその身を動かす動機があった。彼女がこれまで頑なに向いていたその方角へ、私も顔を上げた。


 私の水晶体に、一輪の花が咲く。光から遅れて体の表面を叩く圧倒的な地鳴りを心臓が吸収した。花火だ。

 「毎年飽きたんだよね」と、カレンダーに丸を付けることもなくなった、私の捨てた夏。

 私は証人にならなければならない。膝が汚れることに構わず、彼女へ身を、顔を、耳を寄せた。彼女と、その空間の酸素を分け合った。


「ねぇ、太陽に恋するべきだったと思う?」


 彼女はそう告げた途端、ひらひらとその花びらを地へ落としていく。明確に命の終わり続ける音が、無慈悲にも夜空に咲く大輪にかき消されていた。


 夏の夜の真ん中、恋した花火の下。彼女は太陽の上る方向を向いて、死に続ける。花びらは一呼吸の間に二つ堕つ。


 花火と彼女を二度ほど見比べて、はっと苦い空気を飲んだ。慌てて彼女の首を花火へ向けようとするも、触れれば力なく取れてしまいそうなほど脆くなったそれに触れる勇気がなかった。

 私は、自ら終わらせてしまうかもしれない命を背負うことができない。

 ポケットの中で進路方針用紙の奥に潜るスマートフォンを取り出し、花火へカメラを向ける。情けないシャッター音が私を嘲るように複数回鳴り響いた。画面に白飛びした花火と思われる発光体を表示して、彼女に向ける。


「ねぇ、見て。花火が見たかったんでしょ」


 彼女は動かない。


「だから周りなんて気にしないで私を見てたんでしょ。ねぇ、見て、お願い」


 枯れた向日葵は動かない。


「このまま逝かないでよ。ねぇ、見て。これが花火。お願い。私は貴方が」


そこまで言いかけて滑り続けた口を止めた。


 ”貴方が命を張ってまで花火を見たいという想いに勇気づけられてたんだからさ。”


 私の動機は自分可愛さのためだ。
 そこに、愛なんかない。


 やがてスマートフォンの画面は暗くなり「もういいですか」とでも言うように明かりは消えた。枯れた向日葵が茶色いかどうかももう、分からなくなってしまった。

 鼓動とは別のタイミングで、花火が私の心臓を打つ。私には心臓が二つあるのに、それを捧げることはできなかった。





 あれから三年の今日。
 今日も二種類のレンズを手にいそいそと身支度を進めている。

 一眼レフの電池残量を確認する最中、スマートフォンが通知で振動した。


「今年も花火の季節ですね。日輪さんのお写真が見れるのを今か今かと待ってました。楽しみにしてます!」


 ガラスの写真立ての中で繊細に咲く花火と、小物入れに佇む向日葵の種。例年通りの顔ぶれを背に、私は河川敷へと部屋を後にした。


 この三年。数多の太陽が沈む様を何度も見た。

 花を「散る」と表わした先人へ送る。






 すべての終わりに「愛があるなら」と飲み込める柔らかさが、貴方にあらんことを。



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