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めんどくさいから逃げない

  昔から嫌な出来事に遭遇すれば、あー面倒くせえなと逃げ出す癖がついていた。喉元過ぎれば熱さを忘れるというように、たとえどんな苦しいことでも時間が経てば全部解決すると思っていた。人間関係のいざこざであったり或る人から好きだと告白された時でも返事をしないでほったらかしにしてきた。
 
  結局のところ23年間生きてきて向き合うべきのことに向き合わず、ただただ時間が過ぎることで多くのことは解決できた。いや、解決できたというよりも解決できたと自分に言い聞かせる自己暗示の類ではないか。今思えば実際には何一つ解決していないんじゃないかと最近思うようになった。そうした逃げ続けた生き方、正直逃げるというのは楽だ。見えているものに対して目を閉じる。見えるのは暗闇だけ。そこには何の光すらもない。希望もない。

  この生き方を続けた結果自らの意思を持たない人間になった。誰かが言ったことには大方賛同してしまう。気になる人がいたとしても自分から進んでデートに誘ったり、遊びに行く用事など立てられない。好きだと思っていても自分から言えない。昔からそうだった。小学生の時好きだった女の子がいた。大人になってから知る人間の欲から来る好きと違い真っ白なキャンバスに描かれた好きという表現。ただただ純粋な好きだった。でも何もしなかった。好きだということは周囲には知られていたが小学生特有の冷やかされるあの雰囲気が嫌だった。だから逃げた。その人とは話した思い出はなく好きという状態が三年ぐらい続いた。その後の学生時代も同じ高校であったりしたのに一度たりとも話した経験はない。

  私は今年で24歳になる。24歳、小学生6年生2人分の年齢だ。小学生の自分が今の自分を見たら何を思うんだろうか。私は誰かが期待した自分にはなりたくないが昔の自分が期待する自分にはなりたかった。もう少し利発的に動いている人間になる。こんな逃げ続ける俺を見て失望するかもしれない。そして言う、こんな大人になりたくないなと。

 生き方を変えてみようと思う。面倒くさい出来事に直面しても自分はどうなんだ、誰かが言うことに従ってはないか。意見を言わないのが格好いいと思ってないか。結局何もしないというのは自分のためではなく相手のためでもない。これからは人に対し自分に対し誠実な生き方に努めてみようと思う。


 


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