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待ち人

 知り合いが働いている小洒落た飲み屋に酒の1杯でも飲もうかと向かうことにした。気圧によって重くなった扉を開けるとその人は私を見るなり出迎え奥のカウンターに案内した。

 店内を見渡すとデートと思しきカップル達が仲睦まじく話していた。どうやら店の中で1人で飲みに来たのは私だけのようであった。席につくとおしぼりとメニューが差し出される。おしぼりからシトラスの香りがした(ペパーミントだったかもしれない)。

 食前酒にどうぞと、果実の香りがするビールだったかを勧められる。注文したゴルゴンゾーラと何とかチーズのニョッキを待つ間大事そうにお酒を飲む。ニョッキが来る。ニョッキを食べ酒を飲む。ニョッキを食べニョッキを食べそして酒を飲む。順序なんてどうでもいいのだ。結局ニョッキと酒は胃の中で巡り会う。体の中はそういう風にできて世界は同じような法則で動いている。 

 大根と豚の角煮を注文した。つくづく人間で良かったなと思った。豚よありがとう。と同時に人間の私がここまで旨味を出せるのかと疑問に思った。豚はビールを飲んで成長などしないだろうし。ビールが蓄積した24歳の男の体など旨みの1つや2つあるのだろうか。おそらくないだろうな。まずは豚がビールを飲んで条件をフェアにする必要がある。こんなこと飯を食ってる時に考えることでは無い。

 店にいる時は基本的に何もせず時のゆくままに過ごしている。店の中を眺めたり、働く人を見ている。形はどうあれ私たちは同じ労働者階級で今は店員と客。どちらかが神様というわけでもない。そういった生活に努めていると本来なら見えないものも見えてくる。

 楽しく談笑しているカップルがいた。20代だろうか。若い印象を受けた。素敵な料理と燦々と輝くワインを嗜みながら2人は談笑していた。男がトイレへと席を立った。残された彼女の方へ目をやるとカバンからスマホを取り出し何かを見ていた。

店内は暗かったためスマートフォンの明かりが女の表情を映し出す。一体何を見ているのだろう。SNS?ブログ?出会い系アプリ?なんだかひどくつまらなさそうな表情をしていた。毎月郵便ポストに届く光熱費の支払い用紙を見た時のように。さっきまで楽しそうな顔はいずこへ。

 男が戻ってくると女の人は何事もなかったかのように楽しそうな表情を浮かべ先ほどと同じような時間を過ごす。

 この女性は役者だと思った。誰かといるときの顔と一人でいるときの顔を上手く切り替えて使い分けている。そうして彼女は上手いこと生きていくのでしょうね。今までもこの先も。

 私は相手がいなくなった後も相手の帰りを待ち侘びている人がいたらどんなに素晴らしいことかと思った。席を立ってトイレに行った際にスマホという名の別の世界に飛び込んでいる人よりも現実世界で相手の帰りを待ち侘びている。帰ってきたらまたたわいもない話を続ける。


 人生の中で誰かと話し価値観を共有し他者理解、自己理解に努めなけれなならない。どんな情報でもゆくゆくは自分とは何かみたいなことも見つかる手段になりうる。そんな可能性を求めて生きなければならない。人の人生は短いのだ。




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