映画『フラガール』は見ていてつらかった

奥さんから「感動するよ!」とオススメされて見た映画『フラガール』は、見ていてつらかったというお話です。

この映画は、東北の田舎文化の閉塞感を的確に表現しすぎていて、コメディというジャンルでは少なくともないかなと思いました。

親の理不尽によって辞めさせられた少女の描写がありました。
その少女は、フラダンスをやりたいと初めに言った言い出しっぺであり、誰よりも情熱的にダンスに取り組んでいました。
しかし、炭鉱の仕事をクビになった父親の腹いせで、殴られ、髪を切られ、ダンスを辞めさせられ、どこかに引っ越しさせられます。
東北にいる私の父もそういった人なので、いろいろなトラウマが呼び起こされ、見ていてとてもつらかったです。「家の王」として振る舞い、ほかの家族のことを恫喝と暴力で支配する人でした。
結局、引っ越しさせられた少女は主人公に贈り物を郵送してはきますが、ハレの舞台には顔を出しませんでした。

父親が事故に会い危篤状態のときに、プロ根性で舞台に立った女性は、家に帰って父親の死に目に会えず「この親不孝者っ!」と親族から罵られます。
ダンスが遊びだと思われていたのかどうかはわかりませんが、彼女たちも必死にがんばってきた仕事と、待っていてくれるお客さんたちに真剣に向き合った結果として舞台に立つことを選びました。
その後、罵った母親が、父親の遺影を持って娘の舞台を応援する描写は入っていますが、娘の話も聞かずに「親不孝者」と罵った言葉は私のなかに刻みつけられ感動にはつながりませんでした。

最終的に、少女たちは苦難を乗り越えて夢の舞台に立ってめでたしめでたし…となりましたが、その後の人生を想像するとつらかったです。
彼女たちはひとつの苦難を乗り越えて、ダンスは街の一部の人に認めてもらいました。
しかし認めてくれたのは一部の人であり街全体の価値観が変わったわけではなく、認められたのもダンスというひとつの事例のみです。
主人公の少女の母は、「親の言うことに逆らうなら家からでていけ」と言う人です。少女のがんばりを見てダンスは認めてくれたようですが、これからも様々なことで親の権力を振りかざすことでしょう。

「よそ者はでていけ」と言われたダンスの先生は、生徒たちからの必死の引き止めで結局残りましたが、街によそ者が受け入れられた描写は結局ありませんでした。一人だけ一時的に味方してくれた男性はいましたが、味方してくれた意図は描写されませんでした。

東北の田舎でそういった文化の中で育った私としては、映画『フラガール』は残念ながら「田舎つらい…」という話に思えてしまい、最後のダンスシーンで感動するところもありましたが、つらさの方が極大に大きかったです。
感動できるのは結局、外から見ているからなのかなーと思いました。
実話をもとにした話なので「街の人がみんないい人になってハッピー」という描き方ができなかったのかもしれませんね。

立場が変われば見る角度も変わり、私には残念ながらそう見えてしまったという話でした。多くの方とちがって感動で終われなくて申し訳ない罪悪感のようなものもあります。
うまく楽しめなくて、勧めてくれた奥さんにも申し訳なかったです。

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