見出し画像

2022年11月の日記~人が「取り残されている」と感じるものの正体は何だろう~

11月*日
友人に「引き合わせたい人がいる」と誘われて、島根県大田市にある群言堂に行った。
果たしてお会いした松葉大吉さん、登美さんは、廃れる一方だった石見銀山を、揺るがない信念と自分たちにできることを地道に積み重ねることで、回復させた張本人だった。二人の影響を受けて、何やらますますやる気になったのだから、我ながら分かりやすい。
でもそれ以上に心を動かされたのは、彼の地で働く山碕さんとの再会したことだった。遡ること3年前。人からの紹介で出会い、私が企画したイベントにゲストとして来てもらった頃、彼女は悩みの底にいた。東京で働くことに上手く馴染めず、その要因が自分でも良く分からず、何かを変えたくて、流れるように群言堂に転職した直後だった。
この度、群言堂に行くことになり、「彼女は元気かな?」と思ったが、わざわざ連絡はしなかった。すると、偶然にも宿泊した群言堂グループの宿で働いていて、チェックイン手続きをしてくれたのが彼女だった。
「名前を見て私は分かっていたのですが、覚えていらっしゃるか分からないので…」と話す彼女は、あの頃とは全く違う、実に清々しい表情をしていた。「最近どんな感じ?」と尋ねると、「ようやく、自分の居場所を見つけた気がします」と言って笑った。それだけで、群言堂という会社がどれだけ素晴らしい会社かが分かったような気がした。

11月*日
せっかく島根県まで来たのだからと、帰路、隠岐郡海士町に立ち寄った。
ここにある「風と土と」という会社で、友人が働いている。会うのは5年以上振りだが、連絡すると歓待してくれた。海士町も、今年の春に訪ねた神山町(愛媛県)や夏に訪ねた東川町(北海道)に負けない、地域活性の見本とされる場所で、友人もその一翼を担っている。
「せっかく来たのだから」とたくさんの人に引き合わせてもらったが、お会いした皆さんが自分ごととして島での役割を語っていることが印象的だった。まさに全員が町の生産者になっていると思った。
対して、船便の関係で前泊し、街歩きを堪能した対岸の街「境港市」は、ゲゲゲの鬼太郎で地域活性をはかり、一時は大いに話題を振りまいた町だが、今は、消費者だけが集まる町になってしまっている印象を受けた。
町も生き物だ。生産者がいないと廃れる。だが一方で、生産者が力を発揮すればするほどに消費者も増える。やがて、その二重構造に苦しくなり、生産者が消費者へ鞍替えしたり、町を去ってしまったりする。この、ある意味自然な「流れ」をどうコントロールするかが、地域活性においては鍵なのだと私は思う。

11月*日
アソブロックを卒業後、京都で「さりげなく」という出版社を立ち上げて頑張っている後輩・稲垣佳乃子さんの事務所を訪ねた。「一度来てください!」とずっと言われていた。
京都市営地下鉄・松ヶ崎駅から歩いて10分ほどのところにある事務所は、カフェとハーブ屋さんとの一体空間で、元は有名な経営者の方の別宅だったという。庭の管理も行き届いていて、大変素敵なその場所の奥の小さなスペースに、大量の本の在庫があり、そこが「さりげなく」の事務所だった。本の存在感がすごくて、事務所は全然さりげなくなかった。
「一体どうしてこんな素敵な場所に?」と聞けば、「事務所を探しています」というようなことを吹聴していると、紹介の紹介の紹介で、的な形でこの場所に巡り合えたのだという。オーナーも、カフェの皆さんもハーブ屋さんもみな本が大好きで、こだわった造作の本が多い「さりげなく」の出版物は、最後、ここで「みんなで」製本して出荷しているのだそうだ。
大事に思う人が、たくさんの人に応援されていることを知るのは、なんとも嬉しい。

11月*日
会社を経営していると、帝国データバンクや東京商工リサーチの調査に遠からず会うことになる。両社とも民間の調査会社で、企業の経営状況の採点をしたり、依頼があれば対象会社に直接出向きインタビュー調査をしてレポート作成をしたりする。伝統的な会社や上場企業などは、内規で「*点以下の会社は取引不可」となっていることもあって、無視・無関心ではいられない場合もある。
帝国データバンクから面談の申し込みがあったということは、どこかの会社が調査依頼をしたということであり、京急蒲田の喫茶店で会うことになった。調査といっても、警察の取り調べ的なものではなく、決算書をネタに楽しくおしゃべりすることがメイン。今日の調査官は、元銀行マンだった。
一通り話をした後、どうして新卒で入った銀行を辞めて調査会社に?と聞いてみた。すると「理想と現実は違ったから」だと教えてくれた。「銀行って、リアル半沢直樹でした」というのも、「貸しはがしや融資を断るのが仕事のようなもので、困っている人を目の前に、到底受け入れられる日々ではなかったんですよね」と言う彼。
そういえば先日、就職前から色々と話をしていて、悩んだ末に世の中的に注目されているフィンテック企業(IT×金融)に入社した後輩も、わずか3か月で離職した。その際の理由は「カッコいいことを言っているが、結局金儲けしか考えていないことに心底ガッカリしたから」だった。
「2~3年続けないと、本当のところは分からない」という言い方があるし、早期離職を「良くないこと」だと見做す人もいるが、「腐っているものは口に入れたらすぐ分かる」というのも事実だろう。会社って、難しい。

11月*日
コロナになってからめっきりお芝居を見る機会が減ったが、意を決し大好きな田村孝裕さん作・演の「カゾクマン」3部作を観に行った。これまで自粛していたのにいきなり三部作というのは、禁酒していたのにいきなり飲み放題、みたいなものなのだが、巡り合わせなので仕方がない。
月曜日の昼公演で「1」を、夜公演で「2」を、火曜日の昼公演で「3」を観た。田村さんの作品を最初に観たのは「ゼブラ」で、そこに描かれる家族の機微に魅せられた。向田邦子さんの作品を舞台化しているものも多く、何も起こらないけど何かが起きている、を描く力は秀でていると私は思う。出版社ホンブロックから発刊している「家族の練習問題」の舞台化を、田村さんの作・演で公演するのが、密かな私の夢でもある。
さて「カゾクマン」の話。これは「サザエさん」を創ろうとしたのだなと思った。人を虜にする「型作り」への挑戦である。話は単純で、地球の平和を守る「カゾクマン」が世界征服を狙う「怪人ミドラー」率いる悪者たちに立ち向かう、というだけのもので、家族の機微も何もなく「1」を観た後は正直「なんじゃこりゃ」と思った。ところが「2」「3」と進むうちに、「ここであれが来るな」「技を繰り出すときの表情が違うな」など、見方や楽しみ方を学習させられていった。結果「3」が一番楽しかったのは、見事にしてやられたからだと思う。

11月*日
「アソブロックとは何だったのか?」に寄稿もしてくれたアソブロック卒業生・平山ゆりのさんから連絡があり、地元・鎌倉のレストランに行き二人でランチを食べた。
平山さんは、私の前を史上最速スピードで駆け抜けていった人だ。大阪時代の私の先輩の紹介で、ある日アソブロックにやってきて、持ち前の愛想の良さでなんとなくオフィスに居付き、一方の持ち前である飢餓感で瞬く間にライティングや編集の知識を吸収し、気が付けば大手編集部へ旅立って行った。
本や雑誌が大好きで、新卒で出版社を受けたものの全滅、それでも本づくりに携わる仕事がしたいと大手取次会社に就職したが、理想と現実のギャップに落胆し退職。出会った頃は、背水の陣な毎日を送っていた。
アソブロックを卒業後も何かとやり取りがあったので、平山さんのことはまずまず知っているつもりだったが、今日は彼女のアイデンティティに関わることで全く知らなかったことを打ち明けられた。
「家族の練習問題」1巻に「過去・現在」というお話がある。著者が受け持つ大学のオープン講座を、とあるシニア男性が受講する話だ。著者は最初「定年退職者の学び直し」だと感じ「人生100年時代のロールモデルだな」と感じたと書く。だが、ある日のレポートで、その男性は、何十年も前に、自宅裏で起きた土砂崩れの影響で妻と娘一人を失い、その後の人生を残った娘のためだけに生きてきたことを吐露する。その娘も結婚し、「ようやく人に話せるようになったので」とレポートには記されていたらしい。
人が何を抱えて生きているかなど、実のところは誰にも分からない。「思いつめずに話せばいい」などと、安易にアドバイスすべきでもない。カミングアウトは大切だが、同じくらい相手とタイミングも重要だと私は思う。

11月*日
通算67回目になる家族理解ワークショップを東京海洋大学で開催した。参加者は16名。様々な場所で対人援助を仕事にする人たちだ。
ワークショップでは複数人でグループワークをするのだが、SC(スクールカウンセラー)の40代女性とボーイスカウトのリーダーをする50代女性と3人で話をしたときのことだった。
SCの彼女が、「相談に来るのに相談をしない中学生」の話をしてくれた。いくつかの学校を掛け持ちする彼女の出校日には、複数の中学生から「相談予約」が入る。当日、時間通りに来談に来た中学生。ところがいざ対面すると、なかなか相談をしないのだという。相談内容を聞き出すまでに、面談が3回、4回とかかることも珍しくないという。これを、彼女は「自らの信頼関係構築力の足りなさだ」と振り返ったが、聞いていた私は、果たしてそうだろうかと疑問を口にした。
ここには「相手に迷惑を掛けたくない」という気持ちがあるのではないだろうか。一般に「快適主義」とも呼ぶらしいのだが、自身が快適でいることに最大の配慮をする傾向が益々強くなっていると思う。バスのベビーカー持ち込み問題も、保育園の騒音問題も、快適主義の行き過ぎた一面だと思う。
快適主義の蔓延は、同時に「他人に迷惑をかけないように振舞う」ことを強いる面をはらむ。人は本来、人に迷惑をかけてしまうものなのに、それを恐れてしまう。配慮に配慮を重ねて生きているから、人から迷惑を掛けられることに弱くなる。この感覚は、個人主義の成れの果てだと私は思う。
中学生の話に戻すと、本来「相談する」ことが当たり前の場であるにも関わらず、「こんなことを聞いていいのだろうか」「先生を困らせてしまうのではないだろうか」というような気持ちを、今言ったような世情を背景に、感じさせていないとも限らない。話をしてくれたSCが、要因を内向きに求めようとするのも、ある意味個人主義のもたらす発想だと言えなくもないと思う。
ほどほどに迷惑をかけ合うのが社会で、その中で大迷惑を避ける術を学んでいくのが健全なのではないか。というようなことを話し合っていたら、ボーイスカウトのリーダーの彼女が「そういえば、高校生のメンバーにお願いごとをLINEですると、OKの場合はすぐ返事が来るのに、NGの場合は全然返事が来ない」という話をしてくれた。
これもまた、「NGって言うと気を悪くするかな?」といった相手への配慮が、レスポンスを躊躇わせる要因かもしれない。

11月*日
友人の西村佳哲さんとオンラインで話をした。異なる4人と西村さんがオンラインで話をするシリーズの最終回。事前に70人ほどの予約があり、実際は50人ほどが耳を傾けてくれた。西村さんとちゃんと話をするのは、3月の日記で書いた徳島県神山町への旅以来だった。
そんな出だしなのだが、ここで書きたいのは私の1回前、通算3回目の東野華南子さんと西村さんとの話で出てきた「じゃん負けを受け入れない」という話について。東野さんは、旦那さんと長野県茅野市で「リビルディングセンタージャパン」という古材リサイクルの会社をしている。
華南子さんは、会社で「誰がやってもいい仕事」「誰の仕事とは決まっていない仕事」「みんながちょっと避けたいと思うような仕事」の担当をじゃんけんで決めることを毛嫌いしていた。じゃんけんで決めるくらいなら、自分がやると言っていた。それは「負けがやる=そういう仕事」が自分の会社に生まれるのを避けるためだという。自分の会社は、誰かのやりたい仕事が組み合わさってできている、そういう環境を創りたいのかもしれない。
この考え方に、私はとても共感した。ただ、私の場合は解決方法が少し違ったので、その違いも面白く聴けた。
会社にはそんな仕事が必ずある。経験的に一番社内をダメにする解決策は「気づいた人がやること」だ。次によく採用される「当番制」もお勧めできない。前者は気遣い出来る人が苦しむ環境整備につながるし、後者は見張りに必要以上のコストがかかるからだ。加えていずれも「社内の雰囲気を悪くしがち」というおまけがつく。

11月*日
アソブロックのインターンを長く経験し、2年前に卒業、新卒で大手芸能事務所に入社したAさんを誘って夕ご飯に行った。インターン中から抜群のコミュニケーション力と懐への飛び込み力を発揮していたAさんは、どこに就職しても可愛がられ、力を発揮するタイプだと思っていた。実際にその通り、充実した日々を送っているようだった。
しかし、最近思うことがあるという。それは「クレジットについて」だった。芸能事務所で自ら志願し俳優やタレントのマネージャー業をしている彼女は、映画やドラマの現場に立ち会うことも多い。大作映画ともなれば、俳優とともに1か月以上に渡り、ロケ地に泊まり込み作品作りをすることもある。そこでの毎日は、モノづくりの醍醐味に溢れ、逃げ出したいほど大変だが、充実感も半端ないという。ところが、そうやって一緒に創り上げた作品のエンドロールに、自分の名前はないのだという。
「裏方だから」ということでもない。映画の場合は、裏方もすべてクレジットされるのが通常だ。例えば、お弁当の配達をピンチヒッターで二日だけ担当したようなスタッフも、「車両補助」等でクレジットされる。ところが、一方の慣例として「マネージャーだけはクレジットされない」のだという。完成試写会で作品を見る度に「自分はそこにはいない」ことを突き付けられ、そこから「あなたは代替可能なのだ」というメッセージを受け取ってしまうというAさん。
「決してクレジットされたいわけでもないんです。裏方でいいんです。だから、なんでこんな風に気持ちが揺らぐのかも良く分からなくて。でも無視できない空疎感であることも事実なんです」と言う彼女は、「あ、団さん、ちょっと、心配しないで下さいよ。単なる愚痴ですから」と言い、ビールを片手に複雑な顔で笑っていた。