その救いはやさしさだったのか
少し昔の話をします。
息子が産まれた時の話。
それから息子が産まれて少し経った時の話。
どちらも同じ人に救われた話です。
①「告知」と「育て方」
2016年5月、息子が産まれた。
結婚してから順調に妊娠
そして順調な妊娠生活
そこから順調に出産
(僕の主観なので妻はどうかわかりません)
予定日よりだいぶ早く産まれたけども
週数的には問題なし。
さらに僕は常々妻のお腹に向かって
「長く一緒にいれるから、連休中に産まれてきてね」
って語りかけてたから
そこを守ってくれたとても優秀な息子だと今も思ってる。
産まれる前日には
たくさん友達が来てケーキをたくさん食べて。
産まれる時は
助産院だったこともあり
産気づいてから出産まで片時も妻から離れることなく見守る(だけしかできなかったけど)ことが出来た。
息子が産まれた感動もだが
妻が懸命に産みきった姿の方に感動してた。
立て続けに幸せと感動の波が押し寄せてくる時間。
産まれたのは夜中1時頃。
夜を過ごして朝。
小児科の先生がやってきた。
助産院の隣には周産期センターがあり
担当の先生はそこの所長でもある
この辺ではちょっと有名な先生(らしい)。
助産院の病室(という表現が合うのか?)は和室で、家族3人のんびりと朝を過ごしていたところに挨拶にきてくれた。
息子を優しく抱え上げ
撫でたり触ったり。
「どうだ可愛いだろう」
と内心自慢していた。
たぶんニヤニヤしていただろう。
ひとしきり息子を撫で触ったあと
先生は言った。
「キレイな子を産みましたね。この子はダウン症です。」
「!?」
突然の告知。
息子が産まれて10時間も経たない
起きてる時間換算だと5時間も経たない?
月並みだけど「雷に打たれたような感覚」とはこのことなんだろうという位の鮮烈な記憶。
思い描いていたこれからの生活の全てが
音を立てて崩れていく感じがした。
ダウン症
仕事で関わったことがないわけではない。
どういうものかもなんとなくは知っている。
でもなんとなく。
それは何も知らないよりも
思い込みに溢れているものであったことに
後ほど気づくのだがその時の僕にとっては
その「なんとなく」が全て。
涙が溢れ出てきた。
なぜだろう?
ショック
という使い勝手のいい言葉ではなく
その気持ちを言語化するとすれば
知らないことによる
漠然とした将来の不安
これが一番近い。
どんな症状なのか
どんな成長なのか
どんな将来なのか
振り幅の大きさに
心もカラダもついていけず
ただただ涙が流れた。
そして先生に尋ねた。
「どうやって育てたらいいですか?」
先生は即答した。
「普通です。普通に育ててください。」
共感ではなく
協調もせず
ただ、あっさりと、なんなら少し笑顔で
(ここら辺の記憶は曖昧だ)即答した。
この人、何言ってんの?
障害あるんだよ。普通ってムリでしょ。
と心の中で思っていた。
それから2日ほどは検索魔になった。
身体的特徴、起こりうる症状などなど
ネガティブな情報はインターネットに溢れ返ってっていた。
そもそもインターネットには
ネガティブな情報が多いということすらも
正常な判断ができない僕は忘れてしまっていた。
ひとしきり調べつくした。
そして覚悟が決まった。
それからは溺愛の日々。
障害があろうとなかろうと可愛いんだ。
可愛くて仕方ないんだ。
幸いしばらくは大きな病気をすることもなく
幸せな日々を過ごした。
(一度だけ生死を彷徨う事態があったのだがこの話はまた別の機会に)
どれくらいの時かは覚えていないが
息子が1〜2歳の間くらいの時だと思う。
ふとあの時の言葉を思い出した。
「普通です。普通に育ててください。」
あ、普通に育ててる。
特に障害なんて関係なく
いや、全く関係ないことはないけれど
それも含めて息子を育ててるから
障害も含めて息子なわけで。
多分いつの間にか僕の
「普通」の幅が広がってたんだと思う。
先生の言った言葉が腑に落ちた瞬間だった。
②「見立て」と「育て方」
また少し時が経って
息子が3歳位の頃だったろうか。
思い通りにならないと
怒って自分のほっぺを結構強めに叩くということが多くなった。
そこで、産後も定期的に通っている
助産院での子育てイベントで
先生に質問してみた。
すると先生はまたもや即答
「たぶん自閉症だね。」
!!!
それは、即答するものなのか!?
またもや先生は
共感ではなく
協調もせず
ただ、あっさりと、なんなら少し笑顔で答えた。
ダウン症×自閉症⁉︎
普通に育ててたのに
やはりこれからは難しいのか?
と思い、すがるように先生に尋ねた。
「どうやって育てたらいいですか?」
先生は即答した。
「犯罪行為や自分に危険が及ぶ行為だけはやめるようにしてください。あとは普通に。」
…それだけ?
それだけだった。
引き続き普通に育てる事になった。
犯罪行為や自分に危険が及ぶ行為は当然止めるが、そんなの当たり前だ。
結局普通に育てた。
そして、気がつけばほっぺを叩く行為は
なくなっていた。おそらく言葉の理解、意思疎通が上手くなったからだろうと思っている。
しかし何一つ特殊なことはせず本当に普通に育てた。なんならゆるめに育てた。
先生はどこまでわかっていたのだろう?
結局自閉症の診断をとることもなく
元気に支援学校に通っている。
僕はことあるごとに
個人を個人として見ずに
病気や症状でラベリングしていたのかもしれない。
先生はいつも目の前の子を
ひとりの人としてみている。
それが染み付いているように見えた。
産後にもらった言葉が胸に刺さった。
こうして、人生のターニングポイントとも考えられる二つのポイントで僕は先生に救われた。
今の活動のベースにもなっていると思う。
しかし、時々考える。
僕は先生のやさしさに救われたが
先生はやさしさを持って僕や妻に伝えていたのだろうか?
やさしさなんてものは
結局受けた側が感じるものであって
与えた側はやさしさだとすら思ってないのかもしれない。
でも僕も
そんなやさしさを与えられる人になりたい。
息をするように人に尽くし
当たり前に人に与える
それこそが究極のやさしさなんだろうな。
今は病院を離れて会うこともなくなくってしまったけれど、感謝しています。
先生ありがとうございます。
おわり。
このお話は
note×POLAの
コラボ企画に参加するために投稿しました。
皆さんの親切や思いやりについてのエピソードも楽しく読ませていただいてます。
そしてnoteを書いてない方も、エピソードあればコメント欄によかったら書いてください。
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