「世界は狭くなっている」という意識
おはようございます。
昨日は超久しぶりに一日家にいた息子。そんなわけで少しスタミナに余裕があったみたいで、これまた超久しぶりに家族みんなで夕食。
あぁ…ごはんって好きな人たちと食べると美味しさ倍増するね。
「メンタルという調味料は何にも変え難いスペシャルスパイス」
とか無駄にクサくてダサい言葉も簡単に頭に浮かんできてしまうほどに幸せに浸っていた。瞬時に口に出さない選択肢をとった自分グッジョブ。この幸せ、もちろんベースには妻の作る美味しい料理があってのことだけどね。
さて本題。
この世界は確実に狭くなってきていることを意識して過ごした方がいいって話。
先日プライベートでちょっとトラブルがあった。
このトラブル、双方にミスはあるところではあるが、どっちかというと僕の方がミス大きめ。そこに関しては早々に明確に詫びたが、相手は納得せず敵意むき出し。いい歳(多分50代)して、知人でもない初対面の僕にまぁご立派なタメ口、そしてアンタ呼ばわりしてバリバリに脅してくる。その勢いやチンピラを超えヤ◯ザのようだ。
仕事柄こういった対応には不慣れではないが、慣れていることと疲れないことはイコールではない。仕事でもそれなりに疲れる。ましてやプライベートの時間はある程度切り替えているのでかなり疲れる。
現在の状況、地域特性、職業、年齢、性別、生活背景などなどこういった言葉を放つ要因を想像してみて、仕方ない事だと割り切ることは出来るし、実際この日はそうした。
こういった相手には基本一切こちらからは感情を出さないのが僕のスタイル。起こった出来事を述べ自身の詫びるところは詫びあとは感情凪状態。まぁこの態度がこの手の人を余計怒らすことに繋がることがあり、今回はそうだったのかもしれないが、それでも相手のフィールドには絶対に入らないと決めている。
とりあえず事なきを得て解散した。
そしてその帰路で考える。
「あの人はこれから先、僕と付き合いがないと断定したうえであの態度なのだろうか?」
全然違うけど
僕がもし相手の所属する会社の太客だったら?
僕がもし相手の家族の勤め先の上司だったら?
僕がもし相手の子供の恩人だったら?
もしくは未来そうなったら?
などと言った想像はしないのだろうかと。
ここにも学びをしない日本人の特性が悪く出ているように感じる。何歳であろうと、最近の世界情勢や科学の進歩の浅瀬にでも突っ込んでいれば、世界は狭くなっていて、遠く離れていても一生会わないなんてことはない事もザラ。ましてや生活圏が近しいのであれば今後も何らかのきっかけで会う可能性だってあるだろう。
その時に今回の態度弁明できるのだろうか?
一時的な感情なのかどうなのかもわからないが、見ず知らず人にリスクの高い態度をとる意味はあるのだろうか?
少なくとも僕はそこら辺まではイメージして人と接するようにしている。
だから無理に背伸びもしないし、小さくも見せない。知らないことは知らないと言い、誰にでも敬意は払っているつもりだ。
それは性格の良さとか善意とかいった類のものではなくて、単純に誰もが誰もの未来に関わる可能性があるんだからという利己的な考えからだ。ちっちぇえやつである。しかしこの利己的な考えは結果として相手への感謝を産みやすいと自身の経験を通して感じている。
あくまでも僕の場合だが。
皆さんもどうだろう?
宅急便のスタッフに、
ガソリンスタンドで、
スーパーのレジで、
飲食店で、
一期一会と勝手に決めつけ失礼な態度とっていたりしないだろうか。
世界は確実に狭くなっている。だからこそその事を意識して日々を過ごしていくことをオススメする。
おわり。
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