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ラマダーン月をカイロで過ごす

まとめたらさっさと公表しようと思っていたのに、放っておきすぎてしまった。
以下の記事は、4月の上旬に書いたものだ。
今は9月。イード・アル=フィトル(ラマダーン月が明けの祝日)どころか、イード・アル=アドハー(犠牲祭。今年は6月半ば)も終わってしまった。
他にも途中まで書いたまま、投稿できていない記事がいくつもある。留学期間が終わる前に書き上げたいところだ。



ラマダーンをアラブ圏で過ごすのはこれが二度目だが、私にとってはまだまだ目新しいことばかりで、ラマダーンが始まる前のワクワク感や始まってからの賑やかな雰囲気の中を過ごすのが楽しい。ここでは、断食月が明けるまでの日々を振り返って見ようと思う。ほとんどが備忘録的な日記形式である。


1月下旬

1月下旬のある日、いつも通り週1の買い出しをするためスーパーに行くと、「Ramadan Karim(ラマダーン中に交わされる挨拶)」と書かれた壁飾りや食器類、大量のナツメヤシ、ナッツ類が特設コーナーに飾られていた。
先週までは確かにウィンターセールの商品が並んでいたのに、いつの間に、という感じだった。

他の店と比べると小規模な品揃え。
もっと大々的なセールの写真を撮ったはずが、どこかへ消えてしまった・・・。


イスラーム教徒やイスラーム神学・法学を学ぶ学生が多く集まるアズハルモスク周辺にも早々とラマダーングッズが並ぶ。
ファヌース(ラマダーンランプ)、ハヤメイヤ(エジプト伝統のパッチワーク。現在はハヤメイヤ柄を印刷した壁紙やプリント生地が多い)、ファヌースと三日月に「Ramadan Mubarak」の言葉をあしらった飾りなどなど。
まだ1か月以上も先なのに今から準備するんだなあと思い、日本の師走、年末年始の慌ただしくもワクワクするような雰囲気を思い出した。

だんだん、レストランやカフェのインテリアもラマダーン仕様の華やかな装飾になっていくので、眺めるのが楽しい。

カフェやレストランのラマダーン・デコレーションも見比べると楽しい。
アバースィーヤの臨時店舗。超巨大なファヌースも売られていた。

2月


2月も中旬になると、どこのスーパーでもラマダーンセットなるものが特設コーナーに並ぶようになった。
基本は米、油、パスタ、デーツやタマリンドなどのドライフルーツの詰め合わせのようだ。

長い長い買い物リストを眺めている人の買い物かごは、油の大きなボトルとパスタの大袋がてんこ盛りで、ラマダーンが近いことを知らなければ「何があったんだ?!」と驚くほどの買い物量。
ラマダーン月の間、キッチンに立つ人たちはどんなに大変だろう……。

ラマダーン月直前、ブーラーク近くのスーク。
ラマダーン月には欠かせないデーツやナッツ、お菓子を売る店がずらりと軒を連ねる。
こんなに大量のデーツを見たのは生まれて初めて。
目に入るもの全てがデーツデーツデーツ。
いろんな種類のデーツがある。
名前は忘れてしまった。

このころから、街中でもラマダーン風の飾り付けが目立つようになった。
商店の軒先や店先には大小様々なファヌースが飾られ、銀や金、緑などのキラキラしたアルミ紙の短冊がびっしりと路地裏に張り巡らされる。
家の屋根や壁、店の看板はイルミネーションのプチ電球でぐるぐる巻きに。
夜道を歩いていると、日本のクリスマスのようにバルコニーにイルミネーションをしている家々が並び、いよいよラマダーン月が近いこと実感する。

たなびくラマダーン飾り。
朝のズウェイラ門を南下する。
夕方のダウンタウン。

クリスマスや年末年始あたりの時期にも、「Happy New Year 2024 」や「Merry Christmas」(多くはない)、サンタクロースやクリスマスツリー、街路樹のイルミネーションを見かけたが、やはり日本や欧米諸国のそれよりもずっと控えめだった。
ラマダーンは賑やかなお祝いの月であることを実感する。

食べる楽しみ

エジプトに来てから初めて、ラマダーン月の時だけに食べられるお菓子や飲み物がいくつもあることを知った。
「断食月」と呼ばれるひと月ではあるが、日が沈んで最初に食べる食事であるイフタールやその後の団欒の時間に食べる甘いものは豊富にある。

例えば飲み物。
マグレブ(日没直後)の礼拝の時間が近くなると、町中にあるジューススタンドの前にはいろんな飲み物のボトルの山が並び、それを買い求める人たちで人だかりができる。
イチゴ、オレンジ、マンゴーなどのフルーツジュースはもちろん、カルカデ(ハイビスカス)、ソビア(ココナッツ風味のあまーいライスミルク)、キャロブジュースなど、ラマダーン月の間によく飲まれるドリンクのペットボトルが大量に並ぶ。

私のお気に入りは、ソビアとカルカデだ。
それまで、カルカデはティーパックで売られているものをお茶として飲んだことしかなかった。
後で考えてみれば、カルカデジュースとしてレストランのメニューに載っているところはいくらでもあったのだが、「カルカデはお茶」と思い込んでいたのでそれに気が付かなかったのである。
要は、お湯や水で出したものを甘くして、キンキンに冷やしたものがカルカデジュースとして出回っているのだが、これが美味しい。
ハイビスカスのサッパリとした酸味が甘さで中和され、ゴクゴクと飲めてしまう。
ソビアの方は、ココナッツ風味のバニラジュースを飲んでいる感じ。
虫歯になりそうなくらい甘いのだが、これがまた美味しい。
昨年も今年も、ラマダーン月に当たる3〜4月はエジプトではもう暑いので、こういう甘く冷えた飲み物が美味しく感じられる。

右はラマダーン中によく食べられる、ライヤーリー・ルブナーン(レバノンの夜)という名前の牛乳プリン。バラの香りがする。左はクレーム・ブリュレ。

こちらの写真は、カフク(カハク)と呼ばれるバターと粉砂糖たっぷりのほろほろクッキーで、イードの時に食べられるもの。ラマダーン中やラマダーン明けのイードでは、日本でいうお歳暮のように、カハクなどのお菓子を親戚や仕事仲間に配るらしい。

カハクのミニパック。ひとりふたりで食べきりやすいサイズ。お供にカルカデジュースを飲む。
ここに並ぶお菓子の殆どがカハク。くるみ入り、ピスタチオ入りなどの変わり種もある。

以下では、日記のようにラマダーン月を振り返ってみた。

2024年3月11日(ラマダーン月1日)

用事があったので、今年はイフタール(日没後に食べられる、断食を破る食事)直前の静かな街は見られなかった。
去年は、イフタールの1時間ほど前からタフリール広場やタラアト・ハルブ広場のまわりを歩いてみたが、皆イフタールの時間までに家に帰るためか、あたりは休日の早朝かと思うほど誰もおらず、車通りも路駐の車もほとんどなくて驚いた記憶がある。
今年は帰宅がてらイフタール後の街を歩いたが、やはりとても静か。
車も人通りもまばらである。ラマダーン月初日は祝日のような感じで休む商店も多いので、とりわけ静かな気がする。

イフタール後しばらくしてからのダウンタウン。

ラマダーン月の夜:2024年3月12日(ラマダーン月2日)

アラビア語の個人授業をしてもらう予定の先生と、イフタール後のマクハーで待ち合わせ。
ラマダーン月4日目までは皆家族や親族でイフタール後の時間を過ごし、外に出て夜の時間帯を楽しめるようなラマダーン月のイベントが始まるのは、ラマダーン月5日目からだと教わる。

確かに、この時期はまだ夜も比較的静かだった。
とはいえ、夜になると通りのあちこちで大砲かと思うほど大きな爆竹の音がし、近くのオープンカフェでは夜中の2時過ぎまで賑やかな声で通りが溢れる。

ラマダーン月の間は、真夜中の爆竹に慣れるまでが大変だ。
まさに寝ようとする時間、夜中の12時や1時に鳴るからである。どうやら、スフールの時間を知らせる意味もあるらしい。
爆竹だけでなく、「ドンドン、ドンドン」と太鼓を叩きながら通りを練り歩く声も聞こえる。
これもスフールの時間を知らせるもので、場所によってはこれを生業とする人もいると聞いた。夜中に外に出て確かめる勇気がなくて、どんな人が太鼓を叩いているのかまだ確認できていない。

ラマダーン月の間にできる地元向けの臨時スーク。政府の補助金で安く購入できる。

断食月でも仕事は仕事:2024年3月13日 ラマダーン月3日

紅海の街、クセイルへ旅行するため夜行バスに乗る。
夜中に出発し、着くのは翌日の朝9時頃の予定だったため、バスの運転手や乗客は断食が始まる前に食べるスフール(朝食)をどうするのだろうと思っていたら、早朝3時くらいにやや大きめのレストハウスに停車。
乗客は皆ぞろぞろバスを降りて行って、持参したヨーグルトやパン、レストハウスで買ったものなどをモグモグとしていた。
ラマダーン月でも仕事はいつも通りある。ただし、稼働時間は短縮される場合が多い。一部の観光地も、閉まっているところがある。

イフタールに招待される:2024年3月16日 ラマダーン月5日

旅行先のクセイルで、イフタールのご相伴に与る。
日中、クセイルの街を散策している途中で聖者廟に立ち寄った時、中を案内してくれた人が「うちでイフタールを食べていけ!」と半ば強引に誘ってきたので、せっかくだからと行くことにした。
「うちで」食べていきなさい、と言っていたので、てっきり誰かの家に招かれたのかと思いこんでいたが、案内されたのは近くの土産物屋。
そこの主人夫婦が用意した食事でイフタールをごちそうになる。あとで土産物を押し売りする魂胆ではないかと疑っていたが、そんなことはなく、ただ観光客を招いてくれただけだった。
マグレブの礼拝の時間近くになると、この土産物屋の主人や周りの土産物屋の店主などが道行く人やタクシー、バスの運転手を呼び止め、飲み物や食べ物を渡して回っていた。

通りかかるトラックにジュースを配る人。
子どもたちもそれを手伝う。
お土産物屋の夫婦が用意してくれた食事。
牛肉がとってもホロホロに煮込まれていて、
ナッツのソースと一緒に食べると美味しい。

イフタールの御裾分け:2024年3月17日 ラマダーン月6日 

この前日のクセイルに引き続き、旅先のケナー。
17時過ぎ、街歩きに疲れ果ててシーディー・アブドゥル・ラヒーム・モスクの外で座り込んでいたところ、あちこちから「食べ物や飲み物はあるか」「これを食べなさい」などと声をかけられる。
次から次へと人がやってきて、わざわざ水とデーツを持ってきてくれる人もいたが、最終的に近くでラマダーンテーブルを用意していた人たちに食事と飲み物をいただく。
断食中の友人と行動していたので、私も断食中だと思われたらしい。

ラマダーン月の楽しみ 夜のイベント:2024年3月22日(ラマダーン月11日)

ザマーレクのオペラハウスのラマダーンイベントで、スーフィーの儀式(ハドラ)で歌われる宗教歌やスーフィー詩を聞けるコンサートへ行く。
夜9時半にはじまって、12時に終わるという大夜更かしイベント。

特定のスーフィー教団に属している人たちが演者というわけではなく、エジプトのスーフィーたちが儀式で歌う歌や詠唱するクルアーン、スーフィー詩を後世に残そうという文化保護的な目的で結成されたグループだった。歌われる曲も、歌詞はともかく曲調はとても現代的なものが続く。
これはこれで面白かった。客層としては観光客も比較的多いようだった。

カイロイチ大規模なラマダーンテーブル:2024年3月25日 ラマダーン月15日

ちょうどラマダーン月の半ば。夜空を見上げれば、満月が見える。
この日には、特別なイフタールが催される。
ヘリオポリスの近く、マタレイヤのラマダーンテーブルもその一つである。

文字通り人をかき分けなければ前にも後ろにも進むことができない。

長い通りの端から端まで、道が二手に分かれるところでは更にその奥まで、ズラリとテーブルが並び、地元の人たちや外から来た人たちがぎっしり並び、イフタールの時間を待つ。
マグレブのアザーンが聞こえた瞬間、ものすごい人いきれと熱気が溢れ、大歓声があがった。

爆竹や小さな花火が上がり、風船が視界を覆う。通りの左右に立ち並ぶ建物の上から紙吹雪がまかれ、歓声が聞こえた。
みんなで食卓を囲み、みんなで食べ物を食べるという「共食」が人と人との結束感に強く作用することを実感する。

ラマダーン月の楽しみ アラゴーズ:2024年3月29日 ラマダーン月19日

イスラミックカイロにあるスハイミー邸でアラゴーズ(人形劇)を観る。
アラゴーズ自体が子ども向けの劇なので、当然観客も小さい子どもをつれた親子連ればかり。しかも地元客ばかりで、外国人は私と友人だけ。子供ばかりが並ぶ前の方の列に、大人二人がちょこんと座っているというヘンな図になってしまった。
「アラビア語が分からなくて笑いどころが分からなかったらどうしよう」と心配していたが、子ども向けなだけあって、司会者と人形のベタなボケ・ツッコミがほとんどの内容だったので、意外と大人でも楽しめた。
パペットを使った人形劇と、影絵芝居の2本立て。残念ながら影絵芝居の方のストーリーは忘れてしまった。

影絵だが、絵柄の色も綺麗に見える。
ラマダーン月のイスラミックカイロ。

シーラ・ヒラーリーヤ:2024年3月30日 ラマダーン月20日

シーラ・ヒラーリーヤ(「ヒラール族の物語」)という演目の語り劇を観る。これもあちこちでやっているラマダーンイベントのひとつ。
バヌー・ヒラールという遊牧民の一族が、ヒジャーズ地方を出て北アフリカへ渡り、放浪を経て上エジプトへ辿りつく、その旅路とその間の戦いを描いた物語。
今回みたものは、二胡のように弾くアラブの弦楽器、ラバーブとタブッラの伴奏に合わせて歌い、語るものだった。語り手の美声に聞きほれる。
観客とのやりとりでアドリブ的に話がすすむところもあり、楽器の演者と語り手との掛け合いで即興的に雰囲気が作り上げられていく。

定めの夜(クルアーンの最初の啓示があった日):2024年4月5日 ラマダーン月27日

ズウェイラ門方面からバーブ・ハルクを通り、ダウンタウンへと帰る途中、バーブ・ハルクの近くで比較的規模の大きいラマダーンテーブルを用意しているところに行きあたる。
通りを挟んで左右の歩道を占拠する形でテーブルとイスがぎっしり並び、男女に分かれて座っている。通り過ぎたときは、イフタールまでまだ1時間以上あったのだが、既に近所のひとたちと思しき人達が座り、イフタールまでの時間をひたすらに待っていた。
モスクの敷地内でイフタールの用意をしているときなどは、男女に分かれてテーブルが用意されているのをみたことがあるが、こんな風に左右の歩道で男女に分かれてテーブルが用意されているのを見るのは初めてだった。
4月の上旬とはいえ、日中の空気はもう暑くなり始めている。
ラマダーン月ももう終盤、やや疲れの見える人たちのわきを、そろりそろりと通り過ぎた。

少し遠くから撮る。手前が男性のテーブル。

イード・アル=フィトル ラマダーン明けのお祝い

ラマダーン月が明けた日、早朝からカイロのダウンタウンを歩き回った時のことをまとめている。


イードの中日には、旧市街の庶民街のあたりを歩き回った。
その時に見かけたのがこれ。
フィシーフという、ボラなどの白身魚を塩漬けにして、半年以上熟成させた発酵食品である。
この路地裏には、フィシーフをいれていた空樽が大量に積まれていたのだが、磯場がちょっと腐ったような、強烈な海の臭いが漂っていた。


ラマダーン月の間は毎晩ご馳走として肉が出てくるので、ラマダーンが明けると魚が食べたくなるものらしい。
古代から続くエジプトの春のお祝い、シャンム・ナスィームの時にも食べられるものだが、イード・アル=フィトルの間にもよく食べられるものだという。

本で読むだけでは気がつかないラマダーン月の生活を、実際に自分の生活の一部として過ごすことは、留学を終えたらそうないことだろう。そう考えると、2回もラマダーン月をエジプトで過ごすことができて、とても幸運だった。いつかまた戻ってきたい。

ラマダーン飾り色々。マタレイヤ。
クセイルの路地裏。素朴だが綺麗。
クセイルの聖者廟。ファヌースのミニライトが飾られている。
ラマダーン飾りを売る出店。夜でもキラキラ。
ケナーの街角。この街区の人たちで協力して作ったものらしい。鮮やかで綺麗な、他では見たことのない飾り。

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