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若い頃は自分も死ぬとは思ってなかったから

もちろん、死の概念は理解していたけれど、自分には関係ないというか遥か先の、起こるかもわからない事のように思っていた。
交通事故で身近なクラブ仲間が17で亡くなった時でさえ、自分にもあり得ること、なんて考えもしなかった。
自分は死なないという謎の確信があった。

アホで低レベルな漫画ばっか描いてるからか、知能指数的にあまり年食ってるように思われない私だが、実際は結構な年である。
先の記事にも書いた天命を知る年齢を超えると、さすがに見るもの触るものが永遠ではないと思い知らされ、近所に毎年咲く梅すら愛おしく、この景色は後何年見れるんだろうかとか、この道はあと何度歩けるだろうか、とかじじくさいことばかり考える。
数十年後のこの辺りはどうなってるんだろう。この店はまだ残っているだろうか。継ぐ人がいなくなって、あの店のように無くなってしまうのか、など。

自分だけじゃなく、いつかはみんな死ぬ。そこに永遠はない。
たまに、家にあるものを全部捨てたくなる。墓場に持っていけないものは全部いらない。
マインドが終活ゾーンに入ることが増えてきた。
老眼の度数は年々上がっていき、ついこの間までiPadで漫画を描いていたのに、もうだめだ。
スマホは画面が小さすぎて見えない。

未来に向かって目標を立てたり、20代のころに思い描いた「家を買う」みたいな大きな目標は持たなくなった。あと、今思うと買えなくてよかったし、買わなくてよかった。独身子なしに家は必要ない。

死に向かって生きるのに必死に足掻くのが嫌だ。
これ以上、何かを得るのが面倒くさい。
別れが辛くなるから、大事なものなんて持たない方がいい。
未練になるようなものはなるべく減らしたい。
今は、普通に飯が食えてればそれでいい。

自キャラで一番近い感情を持っているのは廣謜先生かもしれない。

とりあえず、Apple Pencil売ろうか。

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