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檀日記 #2 幸せについて本気出して考えてみたけどよく分からんかった

お久しぶりです。有言実行が大の苦手です。早くも週一更新どころか年一更新になりそうな勢いだったのでとりあえず急ぎ戻ってまいりました。I can not learn. 

前回まで連載(といってもまだやっとこさ3回なんですよね)の2作はちょっと構想がまだまとまらないので一旦お休み中です。方向性が定まってきたらまた書きます。くらいの意識低い系スタンスでもいいですかね…そういう物書きが1人くらいいてもいいと思うんです…(消え入りそうな声)

ところで、またもや唐突に爆誕させてしまった小説「射幸心」、このタイトルは、先日何年ぶりかに挑戦したクレーンゲームで失敗したことが着想のきっかけとなっています。−1000円くらいになって、このままやるか、もう諦めるか、というところでふとこの3文字熟語が頭に浮かびました。

私、今年はなんだか何をやってもパッとしなくて。でも周りの友達や知り合いは公私共に絶好調(あるいは、そう見える)な感じなんですよね。いつ見ても。

何となく年代的にも人生の中でそろそろひとつのターニングポイントなのかなっていう時期なんです。幸せについて本気出して考えてみろよっていう、そういう時期。

これは現代に限った話ではないと思うのですが、幸せアピールみたいなのをわざわざ宣言して他人に見せつけようとする人も正直一定数いるじゃないですか。最初はニコニコ聞き流していたんですけど、あまりにも自分の状況と違う世界すぎて全部シャットアウトしたい気持ちになることも多いです。

あくまでも個人的な見解ですが、基本的に苦しみばかりの人生の中で、本当に舞いあがっちゃうほど嬉しいことなんて一生に一度あるかないかだと思ってるし、人生にはバイオリズムのようなものがあって、ずっと同じ状態は続かないものだと思います。山の時期に散々マウント取っておいて、谷の時期に上手くいかないことばかりになっても余裕な顔をしていられるほど屈強なメンタルの人もいるのかもしれませんが、少なくとも自分とは違うなと思います。

特別なことは何もなく、ただ小さな登り下りを繰り返していくくらいが一番ちょうどいいと思うんですよね。でも、時に大きな幸福が降り注いでくれないかと願ってしまうのが人間というのもわかります。自分だけが足踏みしてるような日々のing形の苦しさ、その中で一筋の祈りのように煌めいた「射幸心」がそこにはあるんです。

想定していたより長くなってしまいました。相手が「夢」であれ「幸せ」であれ、実体のないものを追いかけなくてはならないのが辛いところですよね。私自身、自分にとっての幸せが何なのか、答えのしっぽを掴めない日々を送っています。この小説を少しずつ書き進めることで、辿り着けるかどうかは置いといて、とっ散らかった頭の中をいちど整理していけたらいいかなとおもいます。牛歩ですが…。よろしくお願いします。

最後に、好きな曲の歌詞を紹介します。スピッツの「スピカ」より、以下引用です。

「幸せは途切れながらも 続くのです」