いじめはなくなるのか?③ ~「いじめを止めない人も加害者」に潜む罠~
こんばんは!ダンです。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか(^^)
このテーマもついに第三弾です!
第一弾では「心の教育のジレンマ」
第二弾では「いじめ問題の正しいデータ分析」
について話してきました。
まだ見てない方は先にこちらからどうぞ☻
さて最終章のテーマ…
今回は、ようやく!(笑)
具体的ないじめ防止へのアプローチについて少しだけ私見を述べます!
まずいじめ問題へアプローチをかけるとき、その対象を大きく3分類にすると
①いじめ加害者
②いじめ被害者
③傍観者
になります。
今回は ③傍観者 について話していこうと思いますが、
そもそも "いじめ傍観者" とは
"いじめを見て見ぬふりをする周囲の人たち"
のことです。
この”傍観者教育”は、学校現場でも非常に重要だと言われてるんです。ただ…
「どのような教育をすればいいか?」
まではあまり深まらずに具体性に欠けることがあると、ちらほら耳にします。
そこで僕が思う傍観者教育の例をひとつだけお伝えします。
(全て語ると2万字になります😂)
学生時代を思い返してほしいのですが、
クラス内でいじめが起こったとき、先生からどんなお叱りを受けましたか?
僕の中学校では、いじめが起こるたびに臨時で学年集会が開かれて…
「いじめを黙って見てる人もいじめた人間と一緒ですよ! 自分が止める勇気を持ちなさい!」
とさんざん叱ってもらった記憶があります。
ほんとに素敵な学校だったなと感じます。
もしかしたら皆さんもこの言葉を聞いたかもしれません。しかし…
「そんなこと言われても…もし自分に何かあったら嫌だし…」
とほとんどの人が思ったことでしょう。
ほんとにその通りですよね(笑)
一丁前に正義感だけはある僕でもそう思いました😂
同調圧力が高くて、自分の意見が言いにくかった当時の学校環境のなかで、いじめが起こったときは「勇気を持って止めに行け」と言うのは暴論です。
これは子どものせいではなく、意見をきちんと発して自ら行動しようとする自主性の芽を摘んでしまった僕たち大人の責任です。
逆に言えば先生方は、例えば電車で誰かが喧嘩をはじめた場面に出くわしたとき、割って止めに入れるでしょうか?
もし僕が”傍観者を出さない教育”をするならば、「いじめを止める勇気を持って」とは言いません。
「いじめが起こった場所にいたらみんなは止めに入れる?」
と尋ねると思います。
「止めましょう」で済むほど世の中のすべてが綺麗ではありませんから。
もしも「止めます!」という返事が多数返ってきたら
「ほんとにできるの?」などと聞き返しながら、現実的かつ本音な話し合いを進めます。その後…
「いじめが起こったとき、皆それぞれができることはどんなことがあるだろう?」
と問いかけて、子どもたちで考えさせます。
例えばいじめが起こったとき、
「①直接割って入って止めることができる子ども」もいれば、
それはできないけど「②先生に言っていじめを止めてもらおうとする子」もいるでしょう。
また先生に通報するのは恐くても、「③いじめられた子にあとから寄り添って声かけをして、心の居場所になってあげれる子」もいます。
そして、「④いじめが起こりそうな場の雰囲気を笑わせたり、話を変えるなどして転換しようとする子」もいるかもしれません。
上に述べた4タイプのように、いじめられた子に対する援助行動は
「いじめを割って入って止める」だけではなく、解決に向かっていくための選択肢はたくさんあります。
人それぞれ性格や特性も違うわけですから、”声をあげていじめを止める”という選択肢だけを押し付けるのはナンセンスだと考えます。
子どもたちが「どうしたらいいのか?」「ほんとにそんな勇気はあるのか?」「自分にもできることはなんだろう?」と考えてみて、本音の話し合いをさせます。そして、自分にでもできる行動に気付かせます。
この過程には、今後社会で生き抜くための
「対話力」「洞察力」「問題解決能力」「自己決定力」「行動力」
といった”生きる力”がたくさん詰まっています。
子どもたちの思考の幅を広げてあげることができるのは大人であり、
逆に幅を狭めてしまうのも大人の責任です。
綺麗事だけ並べるような上辺だけのコミュニケーションから得られるものは、偽りの知です。
そして、本音の会話から得られるものは、ホンモノの知です。
そしてこの差は「当事者意識」があったかどうかです。
教育のカギは“当事者意識”を持たせれるかどうかです。
”子どもたちの中にある小さな当事者意識を大きくしてあげる”ことが僕たち大人の役割です。そして…
「自分で決めて行動できる人」
を育むことが、僕の考える教育です。
西山少年をはじめとした子どもたちも、
いきなり「いじめを止める勇気を持ちなさい!」と
ド正論かつとんでもなく高いハードルが目の前に現れたら、
元から持っていた”小さな当事者意識”すら無くなってしまうでしょう。
子どもたちの中にある当事者意識を、自分事として考えさせる過程を通じて、一段一段ずつ成長の階段を上らせて、主体的に行動できる人を育てていきたいですね。
次回が最終回の第4弾!のはずです(笑)
何とか終結できるようにまとめます…
それではまた。