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サブカルチャーから未来を作る〜懐古主義からの脱却、未来志向へのシフト〜

>宇野常寛さんの「若い読者のためのサブカルチャー論講義録」から下記、引用させていただきます。

「虚構」の二つの役割
(略)一つ目は「現実には実現できないものを虚構の世界の世界で実現すること」〜(略)〜二つ目の役割はというと、「いつかは存在、実現できるかもしれない可能性」を探り出すということです。この二つ目の役割を、僕らはいつの間にか忘れてしまっていたのだと思います。〜(略)〜この三十年間、サブカルチャーが「現実にはないもの」「ここではないどこか」を実現するために求められていたのは、マルクス主義が敗北してから「もう世界は変わらない」という絶望が先進国の消費社会を支配するようになったからです。〜(略)〜まだ存在していないけれど現実の可能性を探り出すための虚構、そういった想像力がこの先のサブカルチャーには求められていくのではないか。(cf.P381〜P386)

>80年〜90年代という虚構
まず前提に僕は80〜90年代のカルチャーが大好きです。今と違って、パワーに溢れている。そんな印象を持っていて、憧れの対象でした。
でも今回その考え方を変えなければいけないと感じた次第です。上記引用を用いながら考えてみます。
現実(現代)には実現できないもの(パワーに溢れた時代)を虚構の世界〔80〜90年代(のカルチャー)〕を見て満たす。それが今までの僕のあり方だったと感じます。2020年に生きる僕にとって、80〜90年代は過去≒虚構でしかないはずなのに。

>懐古主義からの脱却、未来志向へのシフト
上記は、”懐古主義”的な感覚に近いものだと思います。でもそれでは、未来は作れない。僕は先の引用をそのように捉えました。
”懐かしむ”ということ自体はとても心地いい行為で、なかなかやめられない。でもそれは、目の前の現実と未来を蝕む行為なのではないでしょうか。要するに未来に繋がらない行為なんだと思うわけです。懐古主義から脱却して未来志向にシフトしていくことが大切なんだと感じています。

>サブカルチャーは未来志向における、僕らの強い味方
僕が信じてやまないサブカルチャーの力。今まではどちらかというと、”日常を満たしてくれるもの”というように捉えていました。そして今回サブカルチャーにはもう一つ大きな力があると、宇野さんの本で気づかされました。
先ほどの引用からそのまま引っ張ってくると、「いつかは存在、実現できるかもしれない可能性」サブカルチャーはそれを見つけ出すための想像力を僕らに与えてくれるのではないでしょうか。

文中ではドラえもんの話が例に出てきます。面白いですね。

https://www.google.co.jp/amp/s/iphone-mania.jp/news-39693/amp/
(参照: 34年前のドラえもんにiPhoneの登場を予言していたひみつ道具があった!?)

妄想を現実にできるだけのテクノロジーが現代にはある。SFがSFのままで終わらないのがこれからの時代ではないでしょうか。
”想像力”、”妄想力”が世界を変えていく。そしてサブカルチャーを愛する僕らにはその力を育む土壌がある、そんな風に思います。



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