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ああ、こうふくだ。


 私の父は、運動会前日に冷蔵庫のエビフライを食べてしまうような人だった。母が怒り、父はうろたえるが逆ギレする。そんな騒動のタネになった食べものが、今までいくつあっただろう。
 だから私と弟は、冷蔵庫にあるプリンやアイスを「これは食べていいの?」と訊いてから口にするようになった。母はそれをちょっと嘆き、父は遠慮なく自分のぶんを出して食べていた。

 久しぶりに帰ったら、また母が怒っている。
「だって、こんなにかわいらしいラッピングがしてあるのよ? それで今、二月よ? 自分がもらったものじゃないのよ? どうして食べちゃうのよ」
 今回は、弟のコウジがもらったバレンタインチョコ。しかも、はじめてできた彼女にもらったやつ。
「もういいよ。オレもリビングに置いてたのが悪いし」
 コウジは笑っている。まだ彼が赤ちゃんだったころに起きた運動会エビフライ事件の話も、大爆笑で聞いていたっけ。
「ミカ、あんたは人のものを勝手に食べるような男は、やめておきなさいよ」
 口から乾いた笑いが出た。

 実は私も、楽しみにとっておいたティラミスを、同棲している彼氏が食べてしまったことに腹を立て、部屋を出てきたのだ。

 ティラミスは駅中の、月ごとに違うお店を出しているスペースで買ったものだった。人気があるらしく、残業続きの最近では、前を通るとケースはいつも空。その日はちょうどひとつ残っていたため、大喜びで買って帰った。
 彼氏のカズトシは在宅ライターをしていて、私が帰ったときも、まだ仕事をしているようだった。部屋には「立ち入り禁止」のプレートが貼られていたため、食事は先に済ませることにする。つくりおきのおかずとタッパーのごはんで夕飯をすませ、メールチェックをしたところで、眠気がきた。私はティラミスのことをすっかり忘れ、そのまま寝てしまった。
 目が覚めると食卓のテーブルで、カズトシが食後のお茶を飲んでいる。
「ごめん、寝ちゃってた」
「いいよ。疲れてたんでしょ」
 互いのペースを大切にしてくれるのが、カズトシのいいところだ。カモミールの香り。私も飲もうかなと思っていると、皿にのったフォークと、クリームのついたフィルムが目に入る。あれ、もしかして。
「ティラミス?」
「え、ああ。うまかったな」
「食べちゃったの?」
 思考が止まる。
「ミカは先に食べたんだと、思って、た」
 一気に目が覚めると同時に、いつのまにかカズトシに食べられていた、さまざまなスイーツが頭に浮かぶ。
期間限定のマンゴープリン。安売りしていた抹茶クリーム大福。仕事のおともにしようと思っていたミントショコラ。
 おまけで分担制のはずが、私の役割になっている風呂掃除。脱ぎっぱなしの靴下。すぐまちがえて使われる歯ブラシ。
 一気にまくし立てていたときは申し訳なさそうにしていたが、すべてを聞き終わったカズトシには、私の怒りが伝染していた。
「オレも悪いけどさ、注意力とか二個買ってくる気配りとかできてない、お前も悪いんじゃない? ていうか、そんなに食べるから太るんだよ」
 そう言うとカズトシは、食べた皿をそのままに、部屋に戻っていった。

 こうして私は荷物をまとめ、朝一番に電車に駆けこみ、実家に帰ってきてしまった。

 父は朝早くから散歩に出かけたらしい。コウジ曰く、家には居場所がないのだという。
「あんたは怒ってないわけ?」
「なにに」
「なにって、食べられちゃったバレンタインチョコ」
 コウジはまた、細い目を糸みたいにして笑った。
「だって、しょうがないじゃん。父さん、二十年もああなんだろ?」
「自分が用意したエビフライとか、大切な人からもらったチョコとか、食べられたらふつうは怒るよ。でも他の人が見たらおもしろい光景だと思うし、オレも笑っちゃったし、どうせなら楽しい方がいいんじゃないかな」

 口に福があると書いて、こうふくって言うんだよね。おいしいもの食べると、幸せになるし。
 つきあう前に、カズトシが言っていたことだ。
 カズトシとは、友だちと行ったチョコレートビュッフェで会った。プレートにひとつだけ残っていたロールケーキを取ろうとしたら、手が触れあってしまって。最初は譲りあっていたのだが、冗談で「じゃあ半分こしますか?」と言ったら、本当にナイフで半分にしてくれた。
 変な人だなぁと思っていたら、数週間後に行ったご当地プリンフェアでも、私の目当てだったかぼちゃプリンに手を伸ばす、彼を見つけた。さすがに無視できない縁で、なんとなくSNSを教えあい、グルメの情報交換をしたり食べに行ったりして、交際に至る。二年くらい経ったころ、同時に引っ越しを考えていて「だったら一緒に住まない?」となって、現在。

 ティラミス、食べたかったんだよなぁ。
 いつも同じようなパーカーかスウェットしか着ないのに、ケーキをチョコにするか抹茶にするか、五分くらい悩む。大概のことでは表情を変えないけど、甘いものを食べてるときは口角が上がりっぱなし。そんなところが、かわいいなぁと思って、好きになってしまった。
ティラミス、どんな顔して食べてたんだろう。
 ふたつある日に買ってくればよかった。食べてしまったとしても「そっか、好きそうだもんね。食べたいよね」「今度はふたつ買ってくるからね」と言えればよかったのに。
 口に福があって、こうふく。食べものだけじゃない。言葉だって気持ちだって、とげとげより優しい方が、怒っているより笑っている方がいいに決まっている。
 
 父は昼食前に帰ってきた。驚いたことに、散歩中に買ってきたらしいチョコレートをコウジに渡して、謝っている。コンビニ袋に入ったままのやつだけど。昼食はオムライスだった。父と弟の卵にはチーズが入っているのだが、母は乳製品が苦手だ。なにも言わず、チョコレートのことも忘れてしまったかのような顔で、食事をする父。ああ、二人の溝を感じる。

 もう一日いるつもりだったが、そわそわしてしまって、夕方に実家を出た。部屋につくころには、外は暗くなっていた。リビングには、ソファーに座ったカズトシがいる。
「おかえり」
 まだなんて言おうか、考え中なのに。まぁ、家にいて当たり前なんだけど。
 と考えていると、白い袋を渡される。開けてみると、ティラミスの店の箱だ。
「ごめん、楽しみにしてたんだよな。オレ、今までもミカの買ってきたもの、勝手に食べてたくせに、成長しないよな」
 ティラミスはふたつ入っている。私より上出来じゃないか。
「私もごめんね」
「いや、オレが勝手に人のもの食べて、逆ギレしてただけだし」
 それがずっと、二人の間の溝になるケースだってある。味覚が似ていて、やってしまったことはきちんと謝れる。最近お互い忙しくて、おいしいもの食べに行ってなかったなぁ。また行ってくれるかな、これからも一緒に。
「ねぇ、結婚しようか」
 母の言葉を思い出す。人のものは食べてしまうけれど、いいところもたくさん知っている。
「はぁ? なんだよ急に」
 反省の表情が、また怒りに染まる。というわけでもなさそうで。
「オレが先に言いたかったのに……」
「うそ」
「もうつきあって長いし、そろそろプロポーズしようかな、どうやってしようかなって、ずっと考えてたよオレ!」
 告白したのも私からで、そのときも「オレが言おうと思ってたのに!」と怒られてしまった。カズトシを振りまわしているのは、私の方なのかもしれない。
 ごめんごめんと言いながら、つい笑ってしまう。カズトシもつられて笑い出した。


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