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恋愛時代

恋愛とは何だろう。
辞書を引いたら書いてはあるが、人それぞれに違う定義も持っているだろう。

私にとっての恋愛とはどんなものか。

昔、“よく当たる”と聞いて見てもらった占い師に、「あなたにとっての最高の恋愛とは、片想いだよ。いつも誰かに片想いしているのが幸せなんだよ」と、言われたことがある。確かに、“片想い”は嫌いではない。これって、もしかしたら私だけでなく、他の“女子”にも当てはまったりするのではないか。では、もしも片思いが最高の恋愛であるとするならば、私は恋愛に何を求めているのだろうか。片思いが最高の恋愛とするならば、付き合ってしまえば、それは最高ではなくなってしまうのだろうか。

筆者は高校時代に、ずっと好きだった先輩がいた。彼は学校でもトップクラスのイケメンで、ミスターになるほどの顔面の持ち主である。初めて見た時に一目惚れしてから、高校時代の大半はその先輩を想って過ごした。その先輩を見れるのが楽しみで学校に通っていたと言っても過言ではない。その先輩と同じ部活に入り、筆者の高校は制服もなく、割と自由であったので、メイクや洋服に気を遣い、その先輩と校内でいつ会ってもいいように、お洒落をするようになった。そして、その先輩と釣り合う女子になるために、勉強そっちのけの毎日になった。ある日、その先輩に彼女ができたと知った。それは、隣のクラスのごくごく普通女子であった。その翌日は、ショックのあまりに学校を休んでしまった。

私にとって大きな存在だったはずなのだが、先輩とはほとんど会話を交わしたことがない。話す機会はあったのだが、恥ずかしいのと、自信のなさから避けていたのだ。好き避けというやつだろうか。ただ、いつか自分が、先輩と釣り合うような素敵女子になったら、振り向いてくれるかもしれないという、淡い夢をみていたのだ。ところが、先輩のハートを掴んだのは、あまりにも普通で素朴な女子だった。これにはショックが大きかった。

今だからわかるのだが、当時の私は、その先輩に自分の理想を投影させていただけではないか、と思う。なぜなら、ありのままの先輩のことを知ろうとはしなかったし、おかげで等身大の先輩にがっかりさせられることもなかった。最高の片思いは、最高のまま終わることができたのだ。そして、先輩という高い目標のために、自分を磨く努力をしていたり、何かを始めて、自分の世界を少しでも広げようと頑張る自分でいたくて、その原動力になっていたのだろう。それゆえ、自分の理想で高く崇めていた先輩が、意外と普通な女子が好みだったと知ったときはひどく落胆したのだ。

片思いは嫌いじゃない。でも一歩間違えると、相手ではなく、自分を見つめているだけかもしれない。それは、恋愛とは言えない。そして、恋愛に最高や理想を求め過ぎては、落胆してしまうし、求められた方は荷が重すぎる。なにより、恋愛はひとりでは始められない。理想を求め過ぎず、今の自分のまま、いつもよりもちょっとだけ頑張れちゃうような恋愛がしたい。そして、一人でも感じる幸せが、二人でいる事で、2倍にも3倍にもなっていくような関係になれたらいい。

ここまで恋愛のことを書き連ねてきたが、私自身、珍しく今は恋愛はしていない。誰かを想ってもいない。それは少し寂しい気もするが、そうゆう時期があってもいいと思う。ソーシャルディスタンスとか、新しい様式に変わり、200年ぶりに変わる時代転換の中にいようと、これからどんな時代がやってこようと、誰かを求める気持ちは変わらないと思うのである。

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