入社してすぐの話。

入社してすぐの頃の話。

なんだかつまらないと思っていた。
朝10時出社。事務所内を掃除。狭いのでそれほど大変ではない。雑巾が全部古くて臭いのには辟易した。買い換えたいのだが、デスクの今野さんは強い山形訛りでまだ使えんだろう?という。大正生まれらしい考えだった。
それが終わったら出社してきた今野さんの話相手。お茶をいれる。相槌をうち続ける。そして電話番。午前中なんかほとんど電話はない。たまにあっても相手がどんな人かもわからないのですぐ今野さんに代わるか連絡帳に伝言を書きとめる。時たま、なんだよおその人だったら俺に変わればよかったのにい、と強い山形訛りで文句を言われる。真剣に怒られた感じはしなかった。親戚のおじいちゃんの小言みたいだったな。そしてすぐに昔話。今野さんの昔話は面白かった。強い山形訛りで。
それでも仕事とは思えないただただ退屈な時間。
名刺ができたら先輩の相沢さんに付いて現場のテレビ局やらにも顔出してと言われていたのだが、いつも名刺を発注していたのは親子でやっている町の小さな印刷屋さんなのでできるのがけっこう遅いのだ。
ちなみに名刺には「労働大臣認可」の文字が入っている。こういうのが大事らしい。テレビ局とかでは気にもとめずむしろ珍しがられたが、イベント関係やらには信用されるツールみたいだった。なにしろ社名が「じんりきしゃ」だ。ダジャレでふざけていると思われがち。
メモ欄もある。
「なんかさあ、渡したら何か書込みされるから腹たってなあ。」と社長は強い青森訛りで言っていた。
暇なので録りためていたビデオの整理をしてみる。といってもオンエアされた番組をそのまんままるまるひと番組をただ録画したもの。VHSもあればベータもある。
雑じゃん。
それを芸人別に一本にまとめようと思った。売り込みにいいかもね。
時には徹夜もした。
若い方はベータとか裏ビデオとかわからないでしょうね。デジタルじゃないのよ。ダビング重ねるたびに画質が落ちていって裏ビデオみたいになるの。裏ビデオ、いや、ビデオすら知らない人いるでしょう。
それはさておき、大量のビデオを観て所属する芸人を少しは把握できた。
が、自分はシティボーイズに呼ばれて入ってきたのに何やってんだろうという気分だったことは間違いない。それまでやってきた大道具や雑誌編集などより全然仕事量が少なく肉体的にも楽過ぎた。頭も使わない。
芸人さんが来社してくることもあった。どんな人かよくわからなかったが、向こうの方からいろいろ聞いてくる。コミュ力高い人多いんだなあ。それはそれで楽しい時間。
それ以外は全然つまらんなあと思っていた入社5日目にやっと名刺ができた。これで表に出ていける。
その日にやっと作文を提出した。初めて事務所に行って入社を決めた時に言われた宿題みたいなものだった。この会社で何をやっていきたいのか?がテーマだった。
とにかくシティボーイズをああしたいこうしたい3人を使ってこんな番組を作りたいとかツラツラ書いてみた。
読み終わって社長が強い青森訛りで言う。
「今日夜メシ行こうか。」
そう言って社長は近所のパチンコ屋へ出かけてしまった。今夜は珍しく麻雀やらんのかい?
またビデオの整理を始めようとしたが、今野さんがテレビ前にどっかとすわって見入っている。あきらめた。
事務所から東中野駅に向かう途中のY字路の右脇腹に「多助」というおでん屋があった。癖が強めのおかあさんがひとりで切り盛りしていた。腕を軽く組んでタバコをふかす姿は往年の女優沢たまきさんみたいな雰囲気だった。
その時は緊張で全然そんな観察はできなかったが、のちにギャラ日になるとブッチャーブラザーズとよく行って、おかあさんのキャラクターを楽しんだりした店。
そこへ社長と2人で入る。
おでんをつつきながらいろいろ話をした。
で、作文の感想を聞く。
「君ねえ(この頃はまだ「君」なんていわれていた)、やりたいことはわかるけどな。芸人の生活のこと考えてないだろう?」
は?と俺。
「シテイ(発音のまま)の3人、あいつらな、3人とも妻子持ちでしょ。それぞれ月にいくら必要になるかわかるか? その3倍の金額に事務所の取り分を足した分を稼がなくちゃダメなんだよ。あいつらの生活を守ること。まずそれを考えなくちゃよお。」
お金のことなんか全く頭になかった。
自分はいまだに金銭感覚に疎いのだが、その時初めて「食わせてやるための仕事」という思想に出会ったのだ。それまでバイトばっかりで、自分で食っていくことだけを考えていた。社長の強い青森訛りで話は続く。
「なのによお、あいつらに稼がせようと入れた仕事を断りやがるのよ。」
は?
「せっかく取ってきた仕事をよお、そんなカッコ悪いの嫌だって言いやがるんだよお。」
そしてしばらく愚痴みたいなものは続いた。その後は俺への取材みたいな時間。
2日後、退社時間の直前に社長から、
「明日から朝出社してこなくていいから」と。
クビか?
「ここへ直接行って。」
住所と会社名が書いてあるメモを渡された。
何すればいいんですか?
「とにかく行っくてればいいんだよう。」と強い山形訛りで今野さん。
え?でもなにを?
「世間話くらいできるだろ?」
はあ…。明日からって?
いつまでですか?
「さあ?」
はあっ!?
「適当な時間に帰ってくればいいからさ。以上!よろすく!」
とりつくしまもない。
「帰ろ帰ろ。」
「あとはよろすく。」
と今野さんは帰り、社長は麻雀に。
このヤロー!教えてくれてもいいじゃんかよお!なんかの試験かよお。
試験なら試験でいいや。アドリブ力を試されていると思えばいいや。
何にも知らないまま次の日朝、といっても10時きっかりにメモの住所の会社を訪ねる。代々木のマンションの一室。
あのお、なんか行けばいいからって言われただけなんすけど…、それで来ましたけどお…。
応接のソファまで案内される。案内してくれた人の表情が険しい。お茶が出てくる気配もなかった。
社長に挨拶。名刺を差し出す。総髪で白髪。東郷平八郎か伊藤博文風の白髭だが顎髭は長くて真ん中分けになっている。
まことにうさんくさい。
マホガニーみたいな立派なデスクに座っていた。ニコリともしなかった。後ろには大きな日の丸。
あれ?日の丸?
その脇に墨痕鮮やかな「忠君愛国」の書。
あれれ? やばそうじゃない?
落款を見た。「児玉誉士夫」って書いてあるじゃねえか!
ロッキード事件で見た名前じゃん!
全身の血液が足下まで下がったような気がした。
鈍感なフリしよ。鈍感になればなあんにも怖くないはず。鈍感こそが身を守る。ホントのバカには腹もたたない。
いやあ、今日はあったかいですよねー。ここ来るまでにノドからからになっちゃいましたあ。
嫌々そうにお茶を出された。
こりゃ催促しゃちゃったみたいで。
催促したけど。
空気変えるため会話しようと思うが何を話していいかもわからない。
あの日の丸は洗濯とかするんですか?
んなこと言えない。
髭には何かポリシーでも?
んなこと言えない、。
児玉さんとは仲良かったんすか?
んなこと言えるわけがない。
頭を必死に回転させているが何も喋られない時間。
何かいくつか質問されたと思うが、それが何か全然覚えてない。
適当な時間に帰ってこいと言われたことを思い出した。
適当な時間っていつだ?と思っていたら、
「いつまでいるんだ?」と聞かれた。
適当な時間っていわれたんですよねー、ははははは。
「そうか…。」
また無音になる。
ここ全然仕事してないぞ。電話もかかってこないぞ。
2時間近くたってお昼時になる。
お!適当な時間ってこれじゃん!
もうお昼なんで帰ります。
「おう。そうか。ひょっとして明日も来るつもりか?」
はい!ニコニコと満面の笑み。俺は鈍感なんだ。俺は鈍感なんだ。俺は鈍感なんだ。代々木駅へ向かう。急に腹が減ってきた。駅前の回転寿司屋でえんがわだけが安くなっていた。
えんがわだけで腹いっぱいにしてやった。
事務所へ行く。
今野さん、なんなんですかあそこ!?
「えへへへへへ。」
勘弁してくださいよ。殺されるんじゃないかって、緊張しすぎてちびりそうになりましたよ。
「えへへへへへへ。」
俺、何しに行かされたんですかあ?
社長が出社してきた。
「あそこよお、サムライ日本の営業のギャラ払ってこないんだよお。」
え?なんだあ?
つまり「付け馬」っていうか、「取り立て屋」なら領収書くらいもたせてもいいだろう。それとも払うまで嫌がらせみたいに邪魔してくるってことかしら?
おう、邪魔すんでえ。
邪魔やったら帰って。
はーい、……ってゴラァ!
これは吉本新喜劇のギャグね。関係ない。

「だってギャラ払わない方が悪いでしょ。」
確かにその通りだけれども。
もーう、先に教えてくださいよう。
うわあ、嫌な仕事だなあ。けどしょうがないのかなあ。
次の日。気持ち的にはやや優位になっていた。
鈍感プラス図々しさで臨む。何食わぬ顔でね。
いんやあ、昨日駅前の回転寿司でえんがわだけ安くたべれましたよ。自分以前ここの近所にあった予備校で出してる新聞の編集の仕事やってました。事務の女の子が暗黒大陸じゃがたらのファンで…、あ、じゃがたらっていうのは云々カンヌン。
全部無反応だった。
3日目から午後に行くようにした。時間も短くしてみた。
そして次の週。5日目だった。
「もう勘弁してくれ。今日はもう帰って。今玉川に電話すっから。」
呼び捨て?
電話。とりあえず明日半額を振り込んで残りは早急にとのこと。
「もう来させないでくれ。仕事になんねえんだわ。」
仕事らしい仕事してないように見えたんだけどなあ。そんなに邪魔だったのかなあ?
とにかく明日からはもう行かなくて済む。
事務所へ行く。
「ごくろさん。」
5963と言ってるように聞こえた。
「最近こんなの増えてんだよなあ。たいていは大声出せば払うんだけどなあ…。」
遠い目しないでくれるかなあ。
払わないところ多いのか。大声出したりするのか。
そーゆーことか。お金を稼ぐって大変なんだなあ。30歳目前でこの感慨。
つくづく自分はお子ちゃまなんだなあ。
この頃の事務所の方針は、CMのような多額の仕事以外、仕事をした月には入金がある無しにかかわらず芸人にギャラを払っていた。「月末締めの翌月15日払い」ということだ。
電通方式が「月末締めの翌々月払い」だったため、どこの業者もその方式をとっていた。つまり、翌15日払いということは、その芸人に対しての支払いは事務所の持ち出しということになる。
業者からの入金が滞れば会社の金はどんどんなくなってしまう。
一度、入金あるまで芸人への支払いを遅らせたらどうか?という提案をしてみた。明らかに会社の預金が心許ないのか社長が銀行に融資の電話をしていたからだ。
「何言ってんだ、お前。仕事してすぐにお金もらわないとつまんないだろ?」
でも会社に金が…。
「かわいそうだろ!だめ。」
優しいってことなのかなあ…。
シビアな世界なんだなあと思わされた入社半月だった。

追記。
その後の話。
ある日社長が強い青森訛りで、
「おい、大変だ!会社に金が全然ないぞ!」
え!明日(月末の)給料日ですよお!
あちこち電話をかけ始めた。どうやら麻雀の誘いらしい。
夕方出かけて行った。
次の日の朝出社すると既に社長がいた。
真っ赤な目をしていた。
徹マンすか? 賭け麻雀やってきたってこと。いつものように
しわくちゃの万冊を封筒に詰めて強い青森訛りで、
「はい、これ今月の給料ね。」
徹夜で命削って稼いできたのかあ。
その後何度もこんなことがあった。
まったく何の会社に入ったのやら…。
お金を稼ぐのって大変なんだなあ。
はあ…。
だが今だに自分の金銭感覚は少しバグっている。

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