ぶるうたすの事とお笑いスター誕生の事。

最近訃報ばっかりだ。尊敬する先輩やら仲間やらの死はたえられないよ。死なない生物なんかいやしないけど。歳をとっていくってことにはつきもので当たり前ってことはわかっているのだけどね。どんどん死に慣れていって、しまいにゃあ自分のにも鈍感になっていって、諦観っていうか悟りの境地みたいなももを獲得していくんだろうなあ。
でもまだまだ自分はそこには至っていないのでやはり知っている人の訃報は辛いなあ。

筋肉漫談で30年くらい前に売れっ子だった「ぶるうたす」という芸人を覚えておいでだろうか? 鍛え上げられた肉体で、「筋肉予報ーっ!臀部山岳地方では爆発の恐れがあります」とかいうナンセンスなネタで人気だった。なかやまきんに君の先祖みたいなものかなあ。自分にとっては山上たつひこ「がきデカ」に出てくる練馬変態クラブをおもいだしたけど。
その「ぶるうたす」が先日亡くなったと人力舎から連絡をもらった。もう「ぶるうたす」が所属していた時のスタッフはひとりもいないので自分に連絡をくれたとのこと。サムライ日本の及川のび太さんから聞いたのだと。早速のび太さんに電話をした。
聞けば、身体を悪くして入っていた施設で亡くなっていたという。家族に看取られることもなかったと。体を悪くして松葉杖をついているという情報は知っていたのだが。肉体で売っていた人がその状態は辛いだろうなあと思っていた。

「ぶるうたす」もまた面倒くさい人だったなあ。わがままで天然でそれを全部自覚していた。イジリ所満載だった。
「ぶるうたす」は日本テレビ「お笑いスター誕生!」出身。漫才ブームを牽引した番組だった。フジの花王名人劇場とかは、もう10年20年選手ばかり出ていたし、やすきよは関西では超売れっ子だったし(ツービートは新鮮だったけど)、スタ誕は半素人が出てきたり、全然知名度ないがおもしろい芸人が発掘されたり、勝ち抜き方式だしタモリさんが審査員だし、毎週何かしら発見のある番組だった。
総合演出は日企の赤尾健一。現会長。怖かった。天皇なんて陰口たたかれていた。収録準備が長引いて出演芸人がダラダラしてブーたれはじめた時に、芸人さんたちのケアしろやとみんなの前でADをビンタして居合わせた全員の背をピンとさせたのを目撃した。
左手で頬を固定して逃げられないようにしていたのよ。怖いなあ。後でそのADに聞いたら、状況を理解していて、ここは殴られなければならないと腹をくくっていたらしい。
ちなみに現社長の河野さんはさる有名暴走族の特攻隊長だったらしい。今は柔和な顔でいじられキャラみたいになっているが…。赤尾さん、剛腕。最強。一時期よくメディアに出ていた新宿のゲイバーまえだのママの娘さんが奥さんだというのがまたギャップでいい。
それはさておき、自分がこの業界に入った時はもう10週勝ち抜きシステムではなく、サバイバルシリーズだった。その時は火曜日が番組のネタ見せ/オーディションだったのだが、ここについていけば色々な芸人さん(関西も含めて)を見ることができて良い勉強になったなあ。またいい交流の場にもなっていた。関西の芸人とも交流できていた。終わった後は雀荘か居酒屋へ直行ね。ブッチャーブラザーズのぶっちゃあさんが、この時期関西芸人を何人かそのまま自分家に泊めたりしていた。当時ぶっちゃあさんは、ミスター梅介さん宅ビルの一階に住んでいた。もうずうっと芸人まみれ。

この日テレの稽古場で何人か売れっ子芸人が誕生していく。ぶるうたすもそのひとり。最初はただのモノマネをやっていただけなのだが、何か物足りない。面白くない。そこで赤尾さん、君身体ムキムキだけど何かやってるの?ときた。ボディビルやってます。見せて。凄いなあ。それで何かやれよ。
はい、筋肉漫談出来上がり。
ミスター梅介も同じ。最初は得意の三味線を抱えて漫談をやっていたが、法学部出身で司法試験挑戦中と聞いて、それでやれと。はい、法律漫談出来上がり。もっとも内容は人力舎先代社長がだいぶアイデアだしをしていたと聞いている。
ことほどさように赤尾さんのアドバイスで出来上がっていった芸人さんはたくさんいたのだ。

これはまた別の話なのだが、スタ誕が紅白戦とかオープントーナメントとか、だいぶ内容が変化してしていった時に、スタ誕出身の芸人、シティボーイズとかコロッケさんとかブッチャーブラザーズ、でんでんさんとか笑パーティーとかを集めたことがあった。何かと思えば、全員で劇団的なものを作って公演をしたいとのこと。ひと通りの説明が終わる。みなお互いの顔を見回して探りあっている。面白そうだなあと呟く声も。
その時、すいません、自分こういうのはちょっと…。という声が。
自分、芸人というより職人だと思っているし、ずっとひとりでやってきたし、こういったお祭りみたいな場所に出ていくのはちょっと…。お断りします。失礼します、と。
イッセー尾形さんだった。
場の空気が一瞬で変わった。
当時はなんかテイストの違う芸人がいっしょくたにされ、ベタなからみを強制されるのがなんかかっこ悪いと思っていた時期だったし、そういった主張を「天皇」と呼ばれた人に言いのける事ができるのがかっこいいと思った。
確かにお芝居のフィールドからお笑い番組に出て、お笑いの糖衣をつける事で、知名度を上げる事ができたのは、お世話になったの一言以上に得るものが大きかったと思うが、あくまで番組と出演者はウィンウィンの関係だと思う。芸人という括りでいっしょくたにされるのもいやだったのだろうなあ。同じ思いは自分もシティボーイズで感じていた。もうスタ誕時代のシティボーイズとはセンスもヘ表現も違うのよ。だから、かっこいいと思ったのよ。
では失礼します、と言って帰っていくイッセー尾形さんの姿を見ていてはぁぁぁ!と思った。やばい。すぐに大竹(まこと)を見た。こういった展開にはすぐ反応するタイプ。何よりカッコつけするタイプ。芝居を観にいってもつまんないと思ったら途中でもすぐ帰るタイプ。なんでもかんでもまずは反対してマウントをとるタイプ。
大竹さん、真似して帰っちゃうんじゃあないか? ここでイッセーさんにのっかっちゃったら一番嫌われるう。頼む。黙っていてください。黙っていてください。黙っていてください。
と思っているうちに赤尾プロデューサーから、まあ、考えておいて、と。閉会。
セーフ。
後日、この話は立ち消えになった。

話を元に戻す。
赤尾さんは面倒見も良かった。
とんねるずのみならずスタ誕出身芸人は何かというと自分の番組によんでくれていた。ビックリ日本新記録とかにも。
だいぶ後のこと。ぶるうたすの仕事が減ってきた頃。何か仕事を入れたいが、せこいイベントの話しかなかった時にレギュラーをいただいた。現社長の河野さんがプロデューサーのテレビ東京深夜の帯番組「ぽかぽかドボン!」。一般参加の素人さんが丸太状の橋の上にまたがり反対から来た相手をウレタンの棒で叩き落とすだけのシンプルな競技。もちろん下はプール。
ぶるうたすはロープで宙吊りになりながらのレフリー役。収録中は何時間もずうっと宙吊り。これが実は人気番組だったんですよ。ぶるうたす、少し息をふき返す。
さて、ぶるうたすに話は戻った。
そのぶるうたすのおかげで今の自分に至る道ができていったのだあ。

この話は次の機会に。

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