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田村芽実さんsolo musical『ひめ・ごと』を観た話

 田村芽実さんのソロミュージカル『ひめ・ごと』を観て感じたことを書きました。ネタバレ等の配慮はございません、ご了承ください。

solo musical 『ひめ・ごと』
"それは 花咲く前の 蜜の味"

企画・出演 田村芽実
脚本・演出 西森英行
音楽    遠藤響子
ビジュアル 赤澤える

ゆうき ひめ 17歳。
都会から遠く離れた、海の見える町。
小高い丘の上に立つ洋館で生まれ育ったひめは、自由奔放。
小さいころから、「お姫さま」と呼ばれて、
思うままに生きてきた少女。
そんな彼女は高校生。
ひとつ、またひとつ、人に言えない秘密が増えていく。
今日もひめはひとり、繭のような彼女だけの聖域で、
人形を相手に「秘めごと」をささやく。
誰にも言えない、邪悪な秘密。
ママにも言えない、艶めく秘密ーーー。
のぞいてみる?ここがわたしの秘密のお部屋

――田村芽実さん公式Twitterアカウント『ひめ・ごと』告知ツイート画像より引用

 観た後、読んだ後にいろんなことが頭の中を巡り続ける舞台や本が好きです。それが思考回路のエンジンになって、頭の中の温度が上がった状態になる作品が大好きです。『ひめ・ごと』はそんな演劇だったので久しぶりに楽しくキーボードを叩いています。

 企画・出演の田村芽実さんのファンだったので、彼女が『こういうことを考えています!形にしようとしています!』と発信された時にそれを目にし、この作品が産まれようとしていることを知りました。インスタグラムのライブ配信を通じて彼女は作品作りについて語ってくれ、それを聴いた私は、自分よりも年下の彼女が己の創りたいものをまっすぐに見据え挑戦しようと意欲を燃やす姿に見事ノックアウトされました。
「自分の中から『少女』が完全に消えてしまう前に、それを表現して世に残したい」
と、熱のこもった声で語っていらした記憶があります。今しかできないことを逃さない感覚の鋭さにも、感心するばかりでした。

【田村さんの演技について】

 お話が始まってからは「可愛い!」の連続でした。話相手のクマのぬいぐるみとの会話がもうたまらなくて、「綿全部出して干しブドウ詰め込んじゃうからね!」と悪態をつくひめちゃんの姿にニコニコしてしまいます。脅しているのに全然脅しに聞こえない。このひめちゃんならきっと、詰め込む前に全部ブドウを食べちゃうような予感がします。

 好きな人に『変な子』と思われたくなくて、彼への声のお手紙で話した「趣味は妄想」という部分を「想像」と言い換え撮り直すいじらしさ。ひめちゃんが歌い終わってまた台詞に戻ったときに、田村さんの頬には汗が伝っていて、全身で歌っているんだなぁと感じて感動しました。

 大好きなママを貶めようとする男への純粋な復讐心もとても良かったです。毒を盛るくだりは計画しているだけかと思ったらすでに行動に移していてゾッとしました。大人なら理性やその他諸々で思いとどまるところを、ひめちゃんはそのまま決行してしまうんだなぁと。ママに迷惑がかからぬよう、男が飲んだ瞬間に死なないよう量や種類を計算をしているものの、使っているのは手に入りにくい化学薬品ではなく周辺に生えている草木たち。手作りの毒に微笑ましさを抱きそうになりつつ、「あいつを殺せる毒はどれなの!」と半ば狂ったように本の頁を繰る姿から、思春期が放つ底の見えない恐ろしさを感じとりました。

 楽しそうな顔も、うつろな瞳も、憎しみの声色も、恋する目元も、憧れに思いを馳せて妄想の中で歌い踊る姿も全部素敵でした。表現する喜びにあふれているなと感じ、そしてその様子に心が動かされて、ボロボロボロボロと泣きました。動きや表情がオーバー気味でそれが本当に私は好きです。なんて舞台映えする人だろうと感じましたし、この方は舞台で輝く人だなぁと改めて思いました。田村さんは生命エネルギーを使って歌ってる感じが私にはしています。かつ、使った結果すり減らすどころか、歌う喜びでそのエネルギーを倍にして(自己生成して)いる気がしています。最初から最後まで生命力に溢れているからお芝居から目が離せません。

 それにしても、好きな人にだけカメラが向けられていて好きな人だけずっと観ていられて好きな人の歌が聴けて好きな人の芝居が延々観られる『一人芝居』って本当に贅沢ですね…(多人数の演劇と比較して、というお話ではないです!)。

【お話について】

 観終わって最初に感じたのは戸惑いでした。てっきりこのまま、可愛らしい夢見る少女のお話として、儚い甘さを後に残して終わるものだと思っていました。物語の最後、大好きなナギ君の元へ行くためにママの決まりを破って夜の町に飛び出していこうとした彼女は、次のシーンに移った瞬間、目を閉じ口元に笑みを携えて、ふかふかのベッドに横たわっていました。「もう神経の大事なところが繋がらないんだって」という、隣室から聞こえるひめちゃんのご家族の会話が私たち観客にすべてを悟らせます。

 どうしてあのラストにしたのか、すごく気になりました。人間がもう動かないという展開は嫌でも心に残りますし、残すことができます。印象に残る作品にしたいからという理由だけで用意されたとしたなら、かなり乱暴だなぁと。でもきっとそんな意図ではないだろうとすぐに思い直しました。何か彼女の伝えたい世界があるのだろうと。

 「女の子でいられるうちに」というご本人の言葉を改めて思い出し、次のように考えました。
 そうかこの舞台は、ただただシンプルに【少女性】を肯定しているのだと。そう思うと、ストンと私自身のなかに物語が落ちました。

 少女はあっという間に大人になるし、少女である自分は、ふと気が付くと消えてしまっている。"少女"というのは、少し目を離した隙に手を伸ばす間もなくいなくなってしまうものなのでしょう。

 作中の少女ひめは"大人”を知ることなく眠りにつきました。それはとても切なくて、恐ろしいことだと感じました。同時に、贅沢で、どこまでも羨ましいことだと思いました。ひめに17歳のまま目を覚まさない(※)という結末を与えたことで、見事"少女”を作品のなかに閉じ込めたと感じました。
※考察はいろいろできるかなと思うのですが、あえて時間軸を素直に受け取っています。


 田村さんの持つエネルギーや挑戦する心意気というのは、もはや少女のそれではないと私は思っています。ただこれは、田村さんが少女にしかない無垢さを失ってしまっているという意味ではありません。彼女は、無垢であった時間が己に与えてくれるかけがえのないものをしっかりと捉えて、自身の動力として据え続けられる人だと思っています。

【最後に】

 私が田村さんのことを知ったのはかなり最近のことです。2020年の春ごろ、TRUMPシリーズの『グランギニョル』のDVDを友人に借りて観た時からです。物語に浸る観客のその足首をしっかりと掴み、もう一段階下の深みまで確実に沈めるような、そんな存在感のある役でした。円盤を繰り返して視聴するうちに、途中にある歌唱シーンの歌声が忘れられなくなっていきました。
 田村芽実という役者が私の心に深く入り込んだ決定打になったのは、同シリーズの『マリーゴールド』でした。その作品で聴いた彼女の歌声は、地を這いうねりを上げてこちらを飲み込もうとしてくるかのような力があるように感じられました。そのあと私はすぐに田村さんが出していたアルバムを買って何度も何度も聴くようになりました。そうして今、本当に本当に微力ながら彼女の活動を見守り、彼女とその周囲の素晴らしい方々が作り出した作品を、目にすることができました。

 田村さんが、私の大好きなめいみちゃんが、作りたかったものをこうして形にして、世に発信したということ。『やりたい』ことを最後まで『やり遂げた』こと。そこに尊敬の気持ちを抱くばかりです。これからの田村さんの活躍が本当に楽しみです。田村芽実ちゃんに出会えてよかったなって毎回思いますし、毎回その気持ちが上の方に更新されるからすごいなぁと感じます。まだ一度しか観ていないので、期限まで繰り返してみて、もっと自分の中に落とし込めたらなぁ。


 『ひめ・ごと』がどこかの劇場で上演されることを、心から願っています。読んでくださった人がいたら、ありがとうございました。では、また。

観た日:2021年2月27日


追記:考察メモ

 冒頭から9時までのひめちゃんは全部、最後の赤い服のひめちゃんの頭の中のひめちゃんなのかな。ママが「朝ごはんよ」って呼ぶけど、そのあとの催促が一切ないことが気になって。劇中のママの声は、現実世界でひめを起こそうと、これまでと同じ呼びかけ方をする声なのかなぁ。
 ヤジマに騙されそうになるママを「ダメ!!!」って強く祈るひめの姿は、現実世界のママを救いたいという、心の深いところの願いだったのかな~。