自分の好きな舞台がどういうものか見えた話から考えた自己研究の話
タイトルが長い!!
一つ前のノートを書きながら、
そもそもこんな、己の好きを分析する(自己研究する)意味って?と自分から自分へ突っ込んだ質問をしはじめ、そこから長くなったので文章を分離させました。
※単細胞人間が見切り発車でモノを書くと、こういう単細胞生物の繁殖現象観たいな投稿が起こるのですね。
※単細胞生物に失礼ですね。
少し考えたけど、やっぱり意味はないですね。ただ自分がやりたいからやっちゃう。やらずにはいられないというだけのこと。
そもそも、
食べること、寝ること、歯を磨くこと、お風呂に入ること、トイレに行くこと
これら以外のことには、人生そんなに意味はなかったりするんじゃあないかなと、
わたしは思ったり思ったり思ったり、しているんですね。
人生は無意味だらけ、だから楽しい!
無意味なことに意味がある、だから楽しい!
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もちろん、己の『好き』を明確にすることで自分自身に発生する弊害も存在していると、考えています。
それは何かというと、
そこ(好きだと感じるもの)から外れそうだと事前に思ってしまったものを、避けてしまう
という可能性です。
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ものすごく単純化しますと、わたしはチョコミント味が大好きなので、アイスクリーム屋さんに入っても他の味に挑戦できずいつもそれを選んでしまいます。
そんな感じです。
ポップなんちゃらキャンディーバニラシナモンミックス、みたいなのは選べない。
そんなセンスのないフレーバーがあるのかないのかは別にして。
冒険をしなくなる、視野が広がらなくなる、好みが一辺倒のままになってしまうんですね。
未知のモノにどんどんと手を出すタイプの方がいることは承知しているので、
上記はいとだま自身の性質に対してのお話ですよ。
ちっさい毛糸玉の、ちっさい性質。
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この恐怖も感じつつ、どうしても分解して突き詰めようとしてしまう、己の『好き』。
分析をし過ぎた結果、視野のせめぇ、器のちいせぇ、てやんでぇな人間にだけはならぬようにせねばなと、
肝に銘じているこの頃でございます。
でもやっぱり、チョコミント注文しちゃうんだなぁ。
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読んでくださってありがとう、ではまた。