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サロメ:その魅惑的なイメージはいかに生まれたか?

 西洋画において、中世から描かれてきた題材に”サロメ”があり、彼女の描かれ方は時代ごとに変化し、そのイメージが変わってきました。今回は「概念が遷移し、その形態をも変化させる」例として彼女を取り上げます。母の言いなりであった少女はいかにして、官能的な女性に変貌したのでしょうか?まずはサロメが登場する聖書の物語を紹介します。

【サロメの物語】

ー登場人物ー

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サロメ:兄ヘロデとヘロデヤの子。

兄ヘロデ:サロメの実父。

ヘロデヤ:兄ヘロデと結婚。サロメの実母。兄ヘロデの死後、ヘロデ王と結婚。

弟ヘロデ:兄の死後、ヘロデヤを妻とする。サロメの義父。※以下、ヘロデ王

洗礼者ヨハネ:ヘロデ王により、囚われの身。

ー聖書の一節を改変ー

 サロメはユダヤ王である兄ヘロデとその妻ヘロデヤの子でした。ある時、兄ヘロデが死に、その弟である弟ヘロデ(以下、ヘロデ王)がヘロデヤを妻としました。その事を洗礼者ヨハネが「この行為が近親相姦にあたり不貞である」と説いたのです。王妃ヘロデアはヨハネの説教に腹を立て、いつかヨハネを殺したいと願っていました。そして、その時はやってきます。

 ヘロデ王の誕生日、その祝宴でサロメは舞を披露し、それがあまりにも素晴らしかった為、ヘロデ王はサロメに褒美を与えると言います。サロメは母ヘロデアに、この申し出で何を求めるべきか伺いを立てたところ「ヨハネの首を」と答えたのです。そして、サロメはヘロデ王にヨハネの首を要求し、ヨハネは斬首され、ヘロデヤの願いはかなったのです。。。

 この物語をもとに多くの芸術家がサロメを題材に作品を残しております。そしてその描かれ方は徐々に変化して行くのです。では始めに、中世ではどのようにサロメが描かれていたのでしょうか?

【中世のサロメ像】

 多くの作品でサロメがヨハネの首を持ち、それに視線を送るものの、どこか引目を感じるような雰囲気で描写されています。上述したように、聖書の中では母に指示され、それに従っただけの少女という事から、その殺人に積極的に参加しておりません。つまり、中世のサロメは”母から自立していない少女”として描かれているのです。

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ティッチアーノ《洗礼者ヨハネの首を持つサロメ》1515年頃

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カラヴァッジョ《洗礼者の首を持つサロメ》1605年


【19世紀のサロメ像:モロー】

 この流れに変化を与えたのがギュスターヴ ・モローのサロメでした。彼は生涯多くのサロメを描いており、描き方は中世とは異なり、エキゾチックで掴みどころのない女性として画面に現れます。またサロメの身に着ける衣装は中東やアジアを思わせる物です。この表現からサロメは魔術的で、西洋的でない異様な雰囲気を醸し出す人物として認識されるようになったのです。

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ギュスターヴ・モロー《出現》1876年

 《出現》からわかるように、この時点でのサロメは依然、”母から自立していない少女”ではないでしょうか。なぜなら、彼女の視線はヨハネの首へ向いてはいるものの、直視できておらず、ヨハネと対峙しているようには見えないからです。ところが、モロー以降のサロメは母から自立し、性の目覚めを果たすのです。


【19世紀のサロメ像:ユイスマンス】

 モローから影響を受けた詩人のユイスマンスは、著書『さかしま』において、モロー作品を大絶賛します。加えて、いままでサロメになかった性的魅力や官能性といったイメージを付与します。以下、『さかしま』の登場人物がモローの『出現』を見て語っている一部です。

瞑想的な、荘重な、ほとんど厳粛な顔をして、彼女はみだらな舞踊をはじめ、老いたるヘロデの眠れる官能を呼びさます。乳房は波打ち、渦巻く首飾りは擦れ合って乳首が勃起する。汗ばむ肌の上に留めたダイヤモンドはきらきら輝き、腕環も、腰帯も、指環も、それぞれに火花を散らす。

 このように、ユイスマンスはモローの作り上げたサロメを土台にし、より官能的で魅惑的な女性として表現しました。この瞬間、サロメは”少女”ではなくなったのです。さらに、『さかしま』から影響を受けた人物が、彼女を母から自立した存在、かつ性的に奔放な人物へと変貌させるのです。


【19世紀のサロメ像:オスカー・ワイルド】

 ユイスマンスに影響を受けたオスカー・ワイルドは、彼の著書『戯曲:サロメ』(1891年)において、聖書の物語から大きく逸脱した表現をしました。それはサロメが洗礼者ヨハネに恋するという内容です。元の物語にはそのような記述はなく、中世の絵画には見られない要素ですよね。加えて、ワイルドはサロメにもう一つ、イメージを付与します。それが”ファム・ファタル”です。運命の女という意味で訳されるファム・ファタルは、男をその官能的な魅力で破滅させ、死に追いやる言葉として認識されております。その先駆けとなったのが、ワイルドが作り上げたサロメ像なのです。具体的にどのような表現があったのでしょうか。

①ヘロデ王がサロメを性的な目で見る。

②サロメは色仕掛けでヨハネの見張り番を魅了し、ヨハネの禁固を破らせる。

③ヨハネの見張り番はサロメに恋をする。

④サロメはヨハネに恋をするが、生い立ちをなじられる。

⑤サロメは必ずヨハネに口づけをすると誓う。

⑥性に奔放で淫らなサロメを見たヨハネの見張り番は自害する。

⑦聖書と同様に舞、その後ヨハネの首を自ら求める。

⑧首だけになったヨハネに口づけをし愛を語る。

 以上、8つの要素からサロメが淫らな人物として描かれているのが分かります。このようなファムファタル的イメージに加え、自ら行動し選択する、自立した女性になっている事が注目すべき点です。聖書や中世の表現では、母の言いなりでヨハネに対峙しない少女だったサロメが、『さかしま』と『戯曲:サロメ』では自我と性に目覚めた女性として描かれているのです。

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オーブリー・ビアズリー『オスカー・ワイルド『サロメ』挿絵』1894年

【20世紀のサロメ像】

 20世紀に入り、心身ともに自立したサロメは、その個性とさまざまな図像で私たちを魅了します。シュトゥックにおける彼女はその官能性を高め、幻想的な音楽とともに舞う、淫靡な人物として、映画ポスターでは陰鬱な雰囲気を醸し出しながらも、その目はハッキリとこちらを捉え、その意思の強さを感じます。

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フランツ・フォン・シュトゥック 《サロメ》1906年

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セダ・バラ主演《サロメ》1918年公開の映画ポスター

 これらの例はほんの一部で、オペラや小説、ポピュラー音楽を通して彼女の個性は分化と拡張を繰り返し、その魅力の深め、広げ続けているのです。

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