自然に翻弄される
年明け早々、地球人としてちっぽけな翻弄される存在を認識せざるを得ず、結構メンタル的に潜ってしまった。人的ミスや戦争など、湧く感情をエネルギーに変えて未来へつなぐ課題にできればまだ自分を鼓舞できるのだが、自然はこんな大地震が起きてしまうとすべての感情を通り越して無力さだけ残していく。文字通り力がゼロなのでなんのエネルギーにも転換しようがないのだ。
…とはいえそうも言っていられない。あれから毎日自分の無力さと向き合いながら4日には仕事に出かけ、いつになく温暖な年明けに「雪かきしなくていいから楽だな~」なんて過ごした日々もつかの間。
気温は相変わらず0度前後と高いものの、6日の夜中から雪は深々と降り積もる。翌7日、隣の神社ではどんど焼きのために神社守の方々が重機で除雪を開始し始めた。ありがたい…。とにかく私は薪を運んで家を暖め、玄関前の雪を手搔きで除け、除雪機を稼働させなくては。
朝1時間、お昼に2時間、夕方1時間…それでも雪はどんどん降り積もる…「これはいくら何でも異常でしょ…」とつぶやいたころにやっと警報が出た。3回の除雪が無駄に思えるほどの積雪…今も深々と降り積もる。掻いても掻いても増えていく雪に恐怖すら感じる。
大量の降雪は、台風や大地震のようなエネルギーインパクトが無いのでなかなか実感がわかないが、兵糧攻めに近いじわじわとしたひっ迫感を感じる。今、家を失い避難生活を送る方々の苦労に及ぶはずもないが、ちょっとは目の前の「生きること」に集中しなくてはいけなかった今日一日は、少しだけメンタルの調子が戻ってきた。ただ単に体を存分に動かしたからちょっと気分が爽快になった、ということもあるかもしれない。
でも大きいのは必死だったから。視野に入る画面の情報を眺めて何もせずに鬱々としているよりは、「自分にできること」に集中して車を掘り起こしたり、除雪車を修理したり、鉄スコップで雪を掬うことに集中していたほうが、私の脳には良い方に作用したのだ。
精神的に無力感がある時は、無い力を無理やり発揮せざるを得ない環境に身を置くことが有効なのだろう。その時に発揮できる力というのはプリミティブな筋力や体力なのだろう。
今、真夜中のこの時間も除雪車がひっきりなしに稼働している。いつにない陽気と共に少々散漫だった私の集中力が少し落ち着いてきたかもしれない。
取捨
選択、優先順位をつける…というとどこか失礼をしているんじゃないか、と言う恐怖や、もし間違えていたら?という意気地の無さが邪魔して結局何もできずにいるのが私だ。でも、生きるか死ぬか、生活を維持できるか、今何をすべきか、究極の状態に陥った時に先に体が動くのはありがたい。それしかできない状態がありがたい。
頭を空っぽにして、今一度何をすべきか感じ取れる身体さえ持っていれば、自然の大きな力に翻弄されつつも、まるでサーフィンのように乗りこなしていけるのではないだろうか。…と期待したい。