メンタルと身体の関係について

こんにちは、誕生月で喫茶店のケーキが何度でも半額なのをいいことにいつもよりたくさん通っているだっこんです。ケーキなんて滅多に食べられないからね!


さて今回は配信でやってほしいというリクエストがあったテーマです。配信前に文章にしておくことで、私も視聴者もわかりやすい(わからないところを質問しやすい)と思うので、ちょっと予習というわけです。配信が終了したら有料記事にしようかな。


というわけでメンタルのお話なんですが、みなさん「メンタル」という言葉にどんなイメージを持たれているでしょうか。スポーツや競技をする人は「うまく整えないと結果が出にくい」とか、「メンタルヘルス=精神科」というイメージを持たれている方が多いかもしれませんね。

メンタル(mental)を改めて辞書で引いてみると、「心に関するさま。精神的。心理的。」とのことです。イメージと大差はなさそうですね。しかし、こういう「当たり前」を確認して地固めをしていくことってとても大事だと思うんです。定義をひとつひとつ共有していくことが唯一「認識」を共有する手段だと考えます。定義は大事。

今回はそんなメンタルと身体の関係について掘り下げていきます。先程の定義に従って言い換えれば「心理状態と身体の関係」ですね。


私がこのテーマで最初に思い浮かべるのは「病は気から」という言葉です。これも辞書を引いてみると、「病気は気の持ちようによって、良くも悪くもなるということ。」となっています。まさに「心理状態と身体の関係」を表していると言えるでしょう。

もうひとつ思い出すのは「火事場の馬鹿力」です。例によって辞書を引いてみると「切迫した状況に置かれると、普段には想像できないような力を無意識に出すことのたとえ。」ということです。これもドンピシャで「心理状態と身体の関係」と言えるでしょう。

このように、古来?から伝わる諺や言い回しの中にも、メンタルに関するものが結構あります。あとは「気持ち」を始めとして「気」という漢字が含まれる言葉はメンタルに関するものが多かったりします。「強気」「弱気」「元気」「活気」「暢気」「短気」などなど…よくよく考えると「病気」もそうかもしれませんね。

といった感じで、みんな気持ちと体に深い関係性があることはなんとなくわかっているんだけど、なかなか具体的にどういうことなのかはわからないので、ガムシャラに頑張ってみたり、体育会系思考で「気合で解決!」みたいなことになりがちなのかなぁと。実際それができちゃう人が一定数いて、なまじ結果を出しちゃうからもてはやされて、同じようにできない人はダメ人間扱いされて腐っていく…自分を含め、この流れでドン底まで堕ちた人はたくさんいるんじゃないでしょうか。あまりにも悲しい。


ここで改めてメンタル(精神、心理)について考えてみましょう。人の心とは…と哲学的になりそうですが、ここではあくまで理系思考でいきます。

人間のメンタルとは思考や感情であり、それは脳(の一部)が司っています。もっと言えば、脳が処理している膨大な情報のひとつに心理状態も含まれることになります。「心理状態は脳が処理する情報のひとつ」。そして、その膨大な情報を処理した先に求める至上の目的は「生存」及び「種の保存」です。これがとても大切なので、もう少し掘り下げていきます。

メンタルの他に、脳が処理している情報は本当にたくさんあるのですが、わかりやすいところでは「五感」ですよね。目で見て、耳で聞いて、鼻で匂いを、舌で味を、肌で感触の情報を得て、脳に伝えて、処理しています。そしてその「五感」を感じているのは「身体」です。

逆に、脳から身体へ情報を伝えることも大切な仕事です。身体を動かす指令を出しているのは言うまでもなく脳ですし、普段意識しませんが臓器も脳からの情報でコントロールされています。(厳密にはお互いホルモンでフィードバックしながらいい状態を保とうとしてる)(ホルモンの話もそのうちしたい)

この「情報を処理し、命令を発する」側を「中枢神経系」、「情報を感知し、命令を受け取る」側を「末梢神経系」といいます。脳を首都(中枢)、手足や臓器を地方都市(末梢)と考えれば、上り線と下り線があるような感じです。

末梢「こんな情報があるよーどうするー?」

中枢「じゃあこうしよう!」

末梢「わかったー!やりまーす!」

みたいな。で、全細胞が一丸となって目指しているのが先程の「生存」と「種の保存」という目標、ということになります。これをいかにスムーズにクリアしていくかということが生命の命題ということになってます。私のような独り身にはキツいことですが。

閑話休題。この「生存」という課題をクリアしていくうえで、五感などの各種センサーから得た情報を脳が処理分析し、出来るだけ最適な答えを導き出し、必要な行動を各部署に伝えて行動させる…これが生物の基本的な行動パターンになります。そして生き残ったもの同士で交配することにより遺伝情報をシャッフルして多様性を持たせ、少しでも「種」としての生存率を上げようとしています。

感情を持たない生物は、ここまでの話でだいたいの行動に説明がつくかと思います。いわゆる「本能」というやつです。しかし、生命が進化し、脳が発達していくにつれて、徐々に感情、メンタルを持つものが出てきます。生存第一である「本能」を「感情」が凌駕するということです。「どの生物から感情を持つか」を議論しだすとまたエラいことになるので避けたいところですが、概ね納得してもらえそうなところでは犬や猫、もっと言えば哺乳類には感情がありそうです。鳥類もありそうかな?両生類や爬虫類ぐらいからは怪しくなるでしょうか。魚類は…なさそうかな…

そして、感情…メンタルを持つ生物は、メンタルを崩すことによって体調も崩したり、場合によっては自殺したりします。悲しい。でも考えてみると、なんだか理に適ってる気もしてきます。一緒に考えてみましょう。


先程から「メンタル(感情)は脳が処理する情報のひとつで、最終目標は生存及び種の保存」だと言ってきました。さらに、メンタル(感情)を持つ生物は進化してきたものだけ、とも。

この「進化した生物」とは、単細胞からどんどん細胞を増やし、役割を分担し、機能を特化させ、環境に適応してきたものです。個としての完成度をどんどん高めてきたわけですね。しかし、それだけでは対応しきれなくなってくる。そこで生物は個ではなく協力して全となる群れ…「社会」を形成し出します。「社会」の中で「個性」が生まれ、強いものが残り弱いものは淘汰されて、より洗練されていきます。


ここから先は本当に持論というか突飛な話になりますが、考え様によっては「社会」がひとつの「種」としての「生物」と言えるのではと、私は考えています。人間という種は、社会全体でひとつの生命…みたいな。もっと言えば、70億の人間ひとりひとりが「ヒト」という生物の細胞ひとつひとつみたいなもん、というか。群れの中から幾らか犠牲を出してでも、全体がより良く生き残れる道を選ぶわけですからね。

「アポトーシス」というものがあります。これは、古くなった細胞が、次に生まれてくる新しい細胞に場所を譲るために自ら崩壊する「細胞の自然死」のことです。成長期以外では、細胞が増え続けたらパンクしちゃいますから、場所を譲る必要があるんですね。より良い状態を維持するために必要な、遺伝子に組み込まれたプログラムです。この言葉と仕組みを初めて知った時の私の感想は「メンタルやられてる時の私じゃないか」でした。自分に価値がないと感じて消えてしまいたい、いらない存在だと思ってしまう。せめて他の人に自分の使ってるリソースを譲っていなくなりたい。凹んでる時はそんな気持ちになるものです。こう考えると、メンタルがやられてる時に死にたくなるのも遺伝子に刻まれたプログラムな気がしてきます。自分がもうダメだと判断したら、社会のために早く場所を譲ろうという本能ということですね。

逆に、イケイケで調子がいい時は「俺最強ー!!!」みたいになってなんでもできそうな気がしてくるものです。「俺が必要か?必要だろ?そうだよなー!」みたいな全能感で盛大にやらかした経験、一度くらいはあるんじゃないでしょうか。そして凹む、と。このようにメンタル的に高まりすぎるのも問題です。「過ぎたるは及ばずが如し」で、周囲との足並みが乱れてしまいます。身体で言えば急に胃液が出過ぎて痛くなるとかでしょうか。そして周囲から「やめろバカ!」と怒られてシュンとなるみたいな。

一方、遺伝情報が壊れてアポトーシスをしなくなった細胞の代表格が癌細胞です。遺伝情報が壊れてるからもはやなんの細胞かもあやふやになり、手当たり次第栄養を吸収して自己増殖を繰り返し、周囲を侵食して環境を破壊し、最終的に全てを巻き込んで自分もろとも滅びます。これって失うものがないからと大量殺人や猟奇事件を起こす、いわゆる「無敵の人」っぽいなぁと、私は思っています。もしくはヤケクソの破壊を伴うデモとか、破滅思想のテロ。こういう「ルールや制御から外れて混沌を起こすもの」を私は「悪意」と呼んでいます。


時間がなくなってきたので一旦中断。


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