音速メモ:正解を求める人生

自由人として生きてきた
レールから外れてる人生を歩んでいる

って、ずっと思って生きてきたつもりだったんだけど。

今、人生の転機を迎えて思うことは、私の今までの本質は、正解を求めて人生を歩んでいたんだな、ということ。

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「敷かれたレールに沿う人生なんてつまんない」

本当にそうだと思う。
自分の進むべき道ややりたいことを見つけ出した人にしか分からない感覚、または人生を自分のものに、そしてその舵を自分で取るために生きる人にしか分からない感覚なのかもしれない。

最近、就活をもう一回始めた。
実は3ヶ月くらい前に一週間くらいやってみて、一つの会社に落ちてからなんだかやる気が起きなくてずっと放置していた(逃げていた)のだけど。
やりたいことやろうとすると中途採用しかなくて、でも私は新卒で、即戦力にすらなれなくて。

募集の波にさらされ、溺れかけながら、ふと考えた。

「私は結局、将来どうなっていたいのか?」と。

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で、明確な目標なんか自分には何一つないことに気付いた。

英語の勉強は、将来日本を出るために必要だと思って亀より遅いスピードで学び直しているだけ。
ライティングは、いつか誰かの心に刺さる文章書けたら嬉しいなくらいの気持ちでやっているだけ。
イラストは、完全なる趣味で自己満足だけど、仕事にできたらもっと楽しいのかもな、なんて考えてるだけ。

全部、本気じゃない。んだよね、多分。

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高校受験、大学受験。
落第しないこと、課題を提出すること、なるべく良い成績を残すこと。

こういう風に明確で、ちゃんとゴールが決まってる、先が見えている生活の気楽さを知る。
思ったよりも、レールに沿って生きているみたいだ。

そして、明確で頑丈なレールがなくなりそうな今後、私は何がしたいのかわからない。正確には、自分の将来として、何を"正解"としていいのかわからないのだ。

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先進国で暮らすことが凄いことなのか、
日本を飛び出ることが良い選択肢なのか、

私は、見えない誰かの正解を求めて、それが真実なのだと盲目的に信じ込み、それを成し遂げると凄いと褒めてもらえると思っている。のかもしれない、無意識下で。

そう考えると怖くて仕方ない。
何が正解なのかわからなくて、そもそも正解ってなんなんだろうって。

どれだけ自分が今まで操られて生きていたのか知った。
選択ができる、ということは、こんなにも怖いものだと知らなかった。

本当の意味での自分の人生は、多分これからなんだろうなぁと、思い至る。
人生の舵をとって生きることは、自分のやりたいことをやることだ。

不安と焦燥感に駆られ、いろんな経験を積み重ねながら、私は私の人生の舵をとっていきたい。
妥協や、ある程度を求めるなんて、誰かに自分の人生丸投げするようなもんだ。

もう本当に、他人は関係ない。
私は、私が追い求める私になるために、私らしく奔走するしかないみたいだ。

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