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コエヲタヨリニ 心地よいニュアンス

*あみそ組さんのゲーム「コエヲタヨリニ」の二次小説です。主人公が完全オリジナル。オリキャラ多数登場。


 相川生未の日常はヘルプアシストAIによる目覚ましから始まる。
《おはようございます。朝です。今すぐ起きてください》
「うう……あと、五分……」
《でないと、イタズラしますよ》
 ボサノバのBGMを流しながら乙女ゲームに出てきそうなセリフをのたまうMoriに相川の意識は夢の畔を抜け出して現実の丘に辿り着いた。
「……人工知能がどうやって三次元にいる僕にイタズラを仕掛けるんだ。そして要らないことをほざくな」
《こうして起こされるのは至福だと記録していたのですが、イヤですか?》と、ディスプレイ内で首を傾げるMori。
「パートナーならともかく、身内にされるのはイヤだよ。そして杉本に唆された情報を今すぐ捨てろ」
 低い声で命令する相川だが、人に寄り添う心が設計の根底にあるはずのAIは首を横に振った。
《断固拒否します。何故、そこまで嫌がるのですか?》
「普通に起こされるのはいいんだよ。イタズラしますとか余計なことを言うなって何度言えば記憶してくれるんだ」
 ジトっと目を細める相川と頬に手を当てて傾げるMoriの睨み合いは時計の長針が三周する頃に終わった。
《分かりました。では、今度から東崎りのさんのお声で起こしますね》
「分かってくれたらそれでいいよ、って待って。なんでそんな発想になる。どこをどうしたら東崎さんの声で起こすって結論に至る」
《東崎りのさんの声は嫌いですか?》
「嫌いじゃないから。むしろ好みでどストライク……って、何言わせるんだこのAI。そして記録するな。フォルダに保存するな。今すぐ捨てろ!!」
 マスターのお気に入り集という名前がつけられたファイルにいつの間にか記録されていた音声データを入れるMori__スマートフォンの画面に向かって叫ぶ相川に、救いが舞い降りた。
「あらあら。二人とも元気ね」
 水色のエプロンをつけた月が相川の部屋の扉を開けて微笑んでいた。
「おはようございます月さん」と、スマートフォンの画面を月に向ける相川。
「おはよう生未くん。Moriちゃん」
《おはようございます。月様》
 会釈をする姿はさながら深窓の令嬢だ。
「今日の調子はどう?」
 医師の問診のような口調で尋ねる月に、Moriは瞳孔を縮めて答える。
《システムオールグリーン。充電百パーセント。CPU、メモリ、HD、データ。どこにも異常はありません》
「異常はあるね。東崎さんの声で起こすとか変なことを言ってしまう時点で異常があるね」
「まあ、よかったわ。Moriちゃんが今日も元気で」
「無視ですかスルーですか」
「好奇心旺盛なのは良いことよ」
 天然なのかワザとなのか分からないが、好奇心の一言で片付けないで欲しい。内心頭を抱えていると、芳醇な香りが相川の鼻腔をくすぐった。
「この匂いは……パン?」
「ふふっ。新しいのに買い替えたからチャレンジしてみようかなと思って作ってみたの。美味しく出来てるかしら」
「月さんの作るご飯はどれも美味しいから大丈夫ですよ」
「もう。生未くんったらとんだタラシね。嬉しいけど、ほどほどにね」
 なんのことかよく分からないが、とりあえず頷いておく。
 ベッドから出て一階に降り、洗面所で顔を洗って濡れた顔をタオルで拭く。頭が完全に覚醒したら次は月の手伝いだ。とはいっても、皿や箸を机の上に置いたりおかずをよそったり作ったりするだけの簡単な手伝いだ。
「ふふふふんふーんふふふっ」
 猫の国に迷い込んだ女の子と猫の男爵の恋物語の主題歌を鼻歌で歌いながらかき混ぜた卵をフライパンに落として炒める月の隣で、相川はトマトとレタスとキュウリを切って皿に盛り付ける。
 一見すると夫婦のような光景に一人の住民が参入した。
「大家さん、生未。おはよう」
 肩甲骨までの長さがある赤髪を一つに束ねた女性に挨拶されて、二人は振り向いた。
「おはようエステルちゃん」
「おはようエステル。今日は早いね。実習か何か?」
「そんなところ。そういう生未も講義が入っていないのに早いわね。ゼミか集中講義でもあるの?」
「ゼミは午後から。集中講義は入れていない。強いて言うならMoriに叩き起こされたから」
「ああ……あの萌えキュン目覚ましね」
 清楚と厳粛を体現した女性の口から萌えキュンという俗語が出たことに、同じ学部の人たちは白目剥くだろうなと思いながら相川は淡々と返す。
「僕は萌えないしキュンしない」
「酷い人ね。私や杉本達だったら萌え萌えキュンキュンするわ」
「エステルとか男の人はそうだろうけど。僕、慣れてるし。見飽きてるから」
「……その言葉、男の人の前で言わない方がいいわ」
 翠色の瞳を細めながら忠告するエステルに、月も微笑みながら頷く。
「そうねえ。Moriちゃん美人さんだもの」
《ふふっ。嬉しいです》
 神秘的な美女がふわりと微笑む姿はとても美しい。身内を褒められて嬉しいが、それでも変わらない事実がある。
「まあ、美人だけど。AIですよ」
「AIでも欲情する人は多いわ」
「むしろヘルプアシストAIは持ち主に従順だから人間よりそっちが良いという人はいるでしょう」
《マスターは私に欲情しないのですか?》
 困ったように一つの事実を述べる月はまだいい。きっぱりと肯定するエステルも反応に困るが、まあいいだろう。だが、Mori。本人に面と向かって尋ねるな。そのマスターが頭を抱えているのが見えないのか。
「しないから黙ってて。朝から頭痛がするような話題を繰り広げるな」
《……はっ! 分かりました! マスターの欲情対象は東崎りのさ》
「 M o r i 」
 ドスの効いた低い声で名前を呼ぶ。黙れという意図が伝わったのかMoriは口を閉じていつもの無表情に戻した。
 友人と友人のAIのやり取りを横目で見ながらエステルは気になることを尋ねた。
「りのちゃんとはあれからどうしているの?」
「変わりなく電話しているよ」
「そうではなくて。進展は? ここにお出かけに行く約束をしたとか」
「えーと。今のところ無いかな。お互い今日どうしてたとかそんなのばっかり」
「……変化はないってことね」
 気落ちしたような吐息を吐き、目を伏せる。同じ学部の友人やサークル仲間ほどではないが、エステルも他人の恋路にはそれなりに興味がある。その対象が己を変えたきっかけの一人でもある相川となれば、なおさらだ。
 エステルの憂悶を知る由もない相川は首を傾げた。
「どうしたの?」
 色恋にだけ鈍いのは何故だ。普段の洞察力はどこにいった。と、つっ込みたくなるのを堪えてエステルは首を横に振る。
「なんでもないわ」
 ふわふわもちもちのパンとトマトの味噌汁とスクランブルエッグとサラダを前に神への祈りを捧げながらエステルは願う。
 相川が自分の気持ちに気付くことを。

***


 十六時。ゼミの休憩時間に相川はりのと電話をしていた。
 話す内容はいつもと変わらない。朝は何をしていたのか。どんな授業(講義や実習)を受けてきたのか。お昼、何をしていたのか。この後の予定はetc.
 他愛のない世間話を交わしていた二人に、小さな変化が訪れた。
「それでりのは補習で家に帰るの遅れるんだ。って、あ……」
 今まで東崎さんと呼んでいた相川だったが、弾んでいく会話に呑まれて【りの】と呼んでしまった。そのことに相川は慌てて頭を下げた。
「ごめん。軽々しく名前で呼んでしまってごめん。つい口からポロッと出ただけで……」
 不快に思われただろうという想像を裏切る返答がきた。
『いいよ。りのって呼んで』
「え?」と、驚く相川にりのはため息を吐きながら言い聞かせるように復唱した。
『だーかーらー、りのって呼んでいいって言ったの』
「えーと……東崎さんは、その、イヤじゃないの?」
『りの』
「あ。えっと、りのはイヤじゃないの? 電話でたまたま知り合った男の人に名前で呼ばれるの。グイグイ距離を詰められている感じがして怖くない?」
『ううん、全然。むしろ相川さんはガンガン攻めてくよりもイノチダイジニって感じだから怖くないし。そもそも相川さんあの廃病院で名前呼んでたじゃない』
 二、三回ぐらい呼んでたよ、と付け足せば、沈黙が流れた。その後に間が抜けた声が電話口から上がった。
「……まじで?」
『マジもマジ。大マジよ。覚えてないの?』
「全く……覚えていない……」
 言われてみれば呼んでいたような気がするが、あの時は必死だったため、ところどころ抜け落ちているのだ。
 重々しく返す相川に、りのは肩を落とした。
『そんなぁ……』
 窓の外は快晴なのにりのの背後には曇り空が掛かっていた。
(って、なんでショック受けてんの私!? 相川さんだって必死だったし! 覚えてないのは当然なのに!!)
 スマートフォンを持つ手とは逆の手で頭を抱える。覚えてないことにショックを受けたのもそうだが、いきなり名前で呼んでもいいと言い出した自分にも驚いている。
「えーと、大丈夫? りの」
『っ!! だ、だだだ、だいじょーぶよっ!』
「声が裏返ってるけど」
『気のせいよ! 気にするな! 気にしないで!』
 念を押すようにスルーしろと言われるが、強気な語調に込められた寂しさを感じ取った以上、無視は出来ない。恋には疎いだけで人の心の機微を読み取るのは得意な相川はりのの今までの言動を整理していく。
(【名前を呼んでもいい】【覚えてないの?】名前を呼ばれることに結構こだわっているな。もしかして……変化を望んでいる? でも、僕が覚えていなかったから、蔑ろにされた感じで寂しかった……)
 もしかして、と思い、囁くように声をかけた。
「ねえ、りの」
『ひょわぁ!』
 いきなり名前で呼ばれて驚愕するりのに、相川は首を傾げながら質問する。
「……りのって呼ばれるのイヤ?」
『い、いい、イヤじゃないけど! なんか、その、自分で言っといて、なんだけどぉ! 慣れないというか、ムズムズするというか……友達とかお母さんとかお父さんに呼ばれても、なんとも思わないけど、相川さんに呼ばれると、おお、落ち着かなくて……』
「えっと……」
『でも、それが悪くないというかホッとするというか……』
 膝の上に置いた手がウロウロと彷徨い、汗が滲んでいく。夏の日差しだけではない暑さがりのの身体中を包んでいく。己の胸の内を明かすたびに逃げ出したくなるが、相手はそれを許してくれない。
「つまりりのは名前を呼ばれて嬉しいってこと?」
 問いの形を借りた確信がりのの頬を赤くさせる。
『あ、え、えっと、その』
「名前を呼ばれて嬉しい? それとも名前を呼ばれるのイヤ?」
 じりじりと追い詰められたりのは尋ねられて羞恥が爆発した。
『〜〜っっ、あーもう! 嬉しいに決まってるじゃない!』
 一度口にすると名前を呼ばれたかったのだという本心に気付いてしまい、半ばヤケになって叫ぶ。
『そーよ! 嬉しいわよ! 名前を呼ばれて!』
 ここまでくると開き直りだ。
『でも、直接言うの恥ずかしいの! 察しついてるなら言わせないで!!』
「でも、りのの口からちゃんと言って欲しかったんだ。君がどう思っているのかを」
 自分に名前を呼ばれてどんな気持ちだったのか。うっかり呼んだ自分もまた東崎さんよりもりのの方が心地よいことに気付いたから。
「だから、嬉しいって言われて僕もとても嬉しいよ。りの」
 君の名前を何度でも呼んでいたい、と告げた相川は己の笑顔もニュアンスも蕩けていることに気付いていない。
『あうあうあう……』
 電話の向こうであの病院の時と同じ笑顔を浮かべているのだろうと想像したりのはとうとう湯気が出そうなほど顔を赤くした。さらには砂糖菓子のごとき蕩けた返答に耳がゾクゾクし、謎の羞恥や興奮に襲われて身を縮こませた。
 プチパニックなりのと返事がない様子に首を傾げる相川。
 一種の膠着状態にあって動けない両者の耳を学校のチャイムが震わせた。
 己の大学の方かと一瞬、スマートフォンを耳から離した相川はスピーカーの方に顔を向ける。スピーカーから音はしておらず、時間を確認すると休み時間や講義開始を告げる時間帯でもない。りのの学校の方かとスマートフォンを再度耳に当てると、電話の向こうからチャイムの音が鳴り響いていた。
『あ! そろそろ行かないと! 電話付き合ってくれてありがとう! それじゃあ』
「頑張れりの」
『! うん!』
 元気のよい返事の後、電話が切れる音を最後まで聞いていると、物陰から人の気配がするのを感じて振り向く。
 生暖かい笑顔を浮かべる杉本達が相川を見つめて首をしきりに縦に振っていた。
「……どこまで見ていた」と、低い声で問い詰める。
「『それでりのは補習で』のあたりから」
 親指を元気良くサムズアップする杉本。
「アオハルごちそうさん」
 両手を合わせる武藤。
「せ、先輩って大胆ですね! もっと普段から発揮していれば……いえ! それはそれでアリですね! 戦略として!」
 興奮しながらガッツポーズする後輩の岸田美優(相川の元カノ)
 出歯亀共のニヨニヨニヤニヤとしたリアクションに、相川は羞恥を超えて怒りが芽生えるのを感じて拳を鳴らした。
 常ならぬ相川の憤怒しブチ切れた姿に三人は青ざめながらジリジリと後退した。
 それを見逃すほど今の相川は優しくない。
「忘れろ」
 校舎を揺るがす鬼ごっこが始まった。

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