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コエヲタヨリニ 休憩

あみそ組さんのゲーム「コエヲタヨリニ 初代」の二次小説です。主人公が完全オリジナル。


 二十一時十分。窓から見える夜空は深みを増していた。一階から芳しい香りが漂っているのは、管理人が明日に向けて仕込みをしているのだろう。ごま油と醤油の匂いにゴクリと唾を飲むと電話口で歓喜の声が上がった。
『あ! 売店! ねえ! 売店があるよ! 入ってみるね!』
 軽快な足取りからも喜悦が伝わってくる。
『わあ! お菓子とか雑誌とかいろいろ置いたままになってるよ!』
「とても嬉しそうだね」
 妹を相手にしているような気分で尋ねる相川の口角は緩く上がっていた。
『え、いや、おなかが空いててさ』
『流石に賞味期限とか切れちゃってるかな……』
『お、おお? 賞味期限切れてなーい! ねえ! 置いてあるお菓子のほとんどが賞味期限切れてないよ! やったね!』
 電話の向こうでガッツポーズをしている姿が容易に想像できて、相川は「よかったね」と頭を撫でるような声色で返した。
『ちょっとここで休んでもいい? もう足が痛くてさ……』
「いいよ。しっかり休んで」
 二時間近く走り回ったのだから疲れて当然だ。休める時に休んだ方がいい。
『よし! じゃあ、とりあえず、これを、っと。あとでお金は必ず払います!』
 ガサッガサッとプラスチック製の袋を二つ持っていく音、床に座る音によって光景が浮かぶ。
『このお菓子好きなんだよね』
 ピクニックのようにお菓子の袋を開けて目を輝かせている少女の姿が。
『ぽりぽりぽり。ぱりぱりぱり』
「どうしてわざわざ口に出しているの?」
『え? あはは。そっちの方がなんか食べてる感じがするでしょ?』
 バリバリバリ、ボリボリボリと効果音を口に出してスナック類を頬張るりのに、ふと遊び心が湧き出た相川は机の上にあるお菓子のパッケージと袋を開けて一つ手に取った。
「僕も部屋でお菓子を食べているんだ。なにを食べていると思う?」
『え……なんだろう?』
「ヒントは……お菓子界隈で戦争になっているもの、だよ」と、手にあるお菓子を口に入れて音を立てる。
『んーと、この音は……たけのこの里だ!』
「正解。僕は今部屋の椅子に座って机の上に置いてあるたけのこの里を食べているんだ」
『言われなくてもそんな気はしてたもん!』
 抗議する様子も相川の笑みを深めるばかりで、効果は全くなかった。
(妹がいたらこんな感じかな?)
 りのが妹だったら毎日賑やかだなとひっそり笑う相川であったが、視界の隅にある小説を見て今日の課題を思い出した。
(北部か南部のどちらかの言語を選んで翻訳して、その言語の特徴を書かないといけないんだった。翻訳は一応、終わっているし。締め切りまでに時間はまだあるから明日あたりに書いて推敲しよう)
 ノートパソコンは眠りに入っているが、零時になると強制シャットダウンするシステムになっているため、書けるのは明日だなとぼんやり予定を立てていると、お菓子を食べる音と口に出している効果音が止んだ。
『相川さん?』
「ん? なに?」
『いや、なんか急に黙り込んじゃうから何かあったのかなって……」
 袖を引っ張るような声色で尋ねるりのに相川は本当のことは話さずに事実に近いことを話した。
「ああ。さっきまで読んでた本の内容を思い出していただけだよ」
『え? 何を読んでたの?』
「ヒントは『大切なものは目に見えない』で有名な飛行」
『すぐに分かるよ! 星の王子さまでしょ!』
「正解。とは言っても日本語訳じゃなくて本国の方、フランス語で書かれた本を読んでいるんだけどね」
『え?! フランス語解るの!?』
「発音は怪しいけどまあ一通りは」と、なんでもない日常の一コマのように返す相川を無性に試したくなったりのは問いを投げかけた。
『じゃあ『私は東崎りの。音羽山高校に通っている高校二年生』を翻訳して』
「Je suis Rino Touzaki. Un étudiant de deuxième année au lycée qui va au lycée d'Otobayama」
『すごい……けど、もっと難しくなるよ』
「ふむ」
『日本の国旗について説明してみて。フランス語で』
「Le drapeau national du Japon est un rectangle avec 5 verticaux et 8 horizontaux. Il se compose de deux couleurs, blanc et rouge. Un cercle rouge est dessiné au centre, qui est 2,5 verticalement et 4 horizontalement. Le drapeau japonais est aussi appelé le drapeau Hinomaru」
『むむむ……。じゃあ、最後にとっても難しい問題を出すよ! いい?』
「ばっちこい」
『ドクターストレンジラブをフランス語に翻訳しなさい』
「……L'amour inhabituel du Dr。日本語に訳すと博士の異常な愛情、だよね」
 先ほどより答えるのが遅かったものの補足をして答えた相川に、りのは驚愕を超えて尊敬の念を抱いた。
『すごいすごい! 英語もフランス語も話せるなんてとってもすごいよ!』
 すごい! かっこいい! と褒めちぎるりのに、相川は声を小さくして返事をした。
「……ありがとう」
『あ! もしかして……照れてる?』
「照れてない」
《マスター、顔の表面温度が高くなっています。風邪ですか?》
 伝わないようにとそっけなく答えた相川の虚勢は主人想いなAIによって壊された。
「Mori、黙って」
『ほうほう』
「フクロウの真似かい?」
『いやぁ、相川さんの照れた顔見れないのが残念だなって!』
「……僕も君がほっぺたに食べカスをつけてお菓子を食べている顔が見れなくて残念だよ」
 電話の向こうでニヨニヨしているだろう少女に仕返しをする相川は大人気なかった。
『ちょっ、そこまで行儀悪くないわよ!』
 プンスコと怒りながらりのは『失礼ね!』と吐き捨てた。
『それに電話だからね。仕方ない、よ……』
 言葉尻が弱々しく途切れた。
 しばしの沈黙の後、りのは昏い声色で呟いた。
『ここ……出口なんてあるのかな……』
 アパートの窓が外の強風でガタガタと揺れる。少女の心境を代弁するように。
『本当はね、結構怖いし。不安に感じてるんだよ……そういう風には見えないでしょ。それは多分……相川さんのおかげ。一人だったら絶対に動けてないよ。誰かと一緒なのがこんなにも心強いなんて知らなかった。だから、ありがとうね。信じてくれて。ここまで一緒に進んでくれて』
 一気に捲し立てたりのは、ふーっと疲れを吐き出すように息を吐く。
『大丈夫、だよね……』
 雨に濡れた子犬のように心細い声。
『私……ここから、出られるよね?』
 崖っぷちから目を逸らしたくてしがみつくような声。
『怖くて……本当は怖くて……』
 歯が鳴り掠れ出す声、詰まり出す吐息、溢れそうになる中身を必死に押さえ込もうとする様子は相川の胸を掻きむしり、凛とした声色と口調で縋りつく手を握りしめる。
「大丈夫。出られるよ。絶対に東崎さんをここから脱出させる」
『うん……そう、信じる。怖いけど頑張らなくちゃ』
 無理矢理立ち上がろうとして力が篭らない声で奮い立たせても恐怖や不安は拭えない。
『ねえ……お願いがあるの。この先何があるか分からないけど……最後まで電話を切らないでいてくれる? 私を、助けてくれる?』
 立ち上がらせるための言葉が欲しいという意図が読み取れないほど相川は鈍くない。一度知り合った人の声や言葉を聞き逃さないために、その人の祈りや願いを叶えるために、りのの胸に打ち込むように宣言する。
「ああ。約束するよ。絶対に電話を切らない。東崎さんに何かあったら出来る限り力を尽くして助けるよ」
 電話越しであるため、相川のこの言葉が本当なのかどうか分からない。顔も姿も見えないのだから。だが、自分より年上かもしれない人がプライベートの時間を削ってまで自分の話を聞いてここまで一緒に着いてきてくれた。馬鹿なりのでも打算や欲得でここまでしないだろうと分かっている。
 だからこそ、相川の宣言が、誓いが、嘘ではないと確信した。
『ありがとう……本当にありがとう』
 先ほどとは違う震えがりのを支配し、瞳から雫を溢れさせた。
 五回ほどぐすんと鼻を啜りながら拭う音が上がった後、深呼吸をして落ち着いたりのは意を決してずっと前から聞きたかったことを尋ねた。
『……あのね、一つ聞きたいことがあるの』
「なに?」
『どうして私の話を信じてくれたの?』
「…………」
 どう答えようか考え出す相川に、りのは尋ねた理由を話す。
『自分で言うのもおかしいけど、こんな電話かかってきたら普通はおかしいって思うし。警察に通報するかもしれない。でも、相川さんはそうしなかった。どうして?』
 答えないという選択肢もあった。君を助けたかったからという美辞麗句を並べることもできた。だが、相川はそれらを選ばず、これまでの気持ちを素直に述べた。
「……実を言うと、東崎さんが新宿駅にいつも乗っていると聞くまでは信じ切れていなかった」
『え……』
「半信半疑だったんだ。演技にしてはタチが悪すぎるし監禁されているのが嘘だとしてもそれをわざわざ吐く理由がない。君の言う通り、正気を疑われるだけだ。けど、演技である可能性、嘘をついている可能性は捨てきれなかった」
 ふーっ、と息を吐く。電話越しだから相手が話を飲み込めたのかは分からないが、続けても大丈夫だと判断して【信じた】理由を話す。
「でも、東崎さんの監禁されている場所が廃病院で明かりが通っていないと聞いてまさかと思ったんだ。電子ロックされている扉以外の電子機器、監視カメラは死んでいる。しかもその上、音羽山高校で集団登校することになって新宿駅を利用していると特定されかねない情報を渡してくれた」
 少女を知るために疑って探って考え抜いた末に相川は信じると決めた。
「電話越しだから少ししか分からないけど、東崎さんが嘘をつくのが下手で何事にも一生懸命なのは分かる」
 りののひたむきな様子と素直さが心を動かしたのだと言えば、電話口で息を呑む音がした。
『……だから、信じたの?』
「信じているから、僕は東崎さんをここから脱出させたい。脱出させてどこかで落ち合いたい」
『え?!』
「今の通話記録を警察に出すためだ。それに僕達はお互いの顔を知らない。顔合わせぐらいはした方がいいだろう」
『うーん……確かに。別々だとイタズラだって受け付けてもらえないけど、一緒だと話は聞いてくれそうかも』
 よし! と柔らかいものを叩く音の後に安定した吐息がこぼれた。
『一つ気分転換になぞなぞ出してもいい?』
「いいよ。どうぞ」
『じゃあ……いろいろな種類があって時には、それは勇気や感動を与えることもあるし凶器になることもある。それでいて震えているものはなーんだ』
 無意識に口元に指を添えて相川は思案する。
「たくさん種類があって、勇気や感動を与えたり、凶器にもなって、なおかつ震えているもの、か……」
 噛み締めるように呟いて情報を要約する。
(指しているものは一つだけ。でも、その一つがたくさんの感情を与えている)
 新聞やSNSなどの情報媒体なら観る人聴く人がさまざまな感情を抱くだろう。だが、震えているものとなると、音を鳴らすものになる。
 たくさんの感情を与えていて音が鳴っている一つの情報媒体。まさか、と思ってスマートフォンを耳から離す。
《どうしました?》
 白銀の髪に緋色の瞳という神秘的な外見の女性ことMoriがキョトンとした表情で尋ねる。
 AIの声は震えていない。感情があるように見えるが、そうプログラムされているだけでよく聞くと無機質だ。
「……いや、なんでもない」
《そうですか。困ったことがありましたらいつでも聞いてください》
 ニコリと微笑む姿は大抵の人間の胸を射抜くものだが、見慣れている相川は「いつもありがとう」と返した。
 返事をして、相川は喉に手を当てた。
「あー。あーあー」
 手に伝わる感触から相川はスマートフォンを耳に当てて答えた。
「声、かな」
 言葉を発するたびに声帯は震える。言葉と声は切り離せない情報媒体であり、ピグマリオン効果やゴーレム効果という研究結果が出るほどに声もしくは言葉が与える影響は計り知れない。
『正解! 答えは声でした!』
 ピンポンピンポンピンポン! という副音声が聞こえそうなほど声は明るかった。
『私、相川さんの声に勇気をもらえている。ありがとうね』
「どういたしまして」
 一転して静かな口調で感謝を告げられた相川は新緑も霞むほどの微笑みを浮かべた。
 柔らかく温かな雰囲気を感じ取ったりのも『ふふっ』と笑って立ち上がった。
『よし! 休憩はここまでにして、先に進みますか!』
「そうだね。ついでにここから出たら何か食べに行こうか」
『もう予定立てるの?! 早くない!?』
「お菓子だけで満足できるの?」
『う……正直言うと物足りない』
「今のうちに何を食べようか考えておいたら?」
 未だ廃病院から抜け出せておらず、行く手を遮る罠も仕掛けられている。
 それでも二人は希望を持ち続ける。
 ここから出られる可能性があるのなら、それを諦めてはいけないのだから。



*補足
○相川が答えた日本の国旗。
「日本の国旗は縦五、横八の長方形である。白色と赤色の二色で構成されている。縦二.五と横四にあたるやや中央に赤色の丸が描かれている。また日本の国旗は日の丸の旗とも言われている」

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