見出し画像

コエヲタヨリニ ステージ13

*あみそ組さんのゲーム「コエヲタヨリニ 初代」の二次小説です。主人公が完全オリジナル。


 夏枯草が芽吹く六月下旬。梅雨も終わりに近づきつつある頃の夕方五時三十分。相川は部室棟の屋上でぼんやりしていた。
(あれから二週間、か……)
 りのの両親と顔合わせはしたもののそれ以降は特に進展は無かった。連絡先交換はしたものの、全く話していない。事件後ということもあってお互い落ち着く時間が必要だろうと判断して電話をかけなかった。そう、今は特に急いで電話をする用事もないからかける必要はない。落ち着いたら、時間が取れたら、電話をすればいい。
 いつか、そのうちと考えて相川は自嘲した。
(そんな保証どこにもないのに)
 家族が亡くなった時もあの時も平穏な日常はいきなり破られたではないか。訣れは突然やってくる。叶えたい【いつか】は来てくれない。ただ待っているだけでは何も変わらないのだ。
(……電話、かけてみるか)
 スマートフォンを立ち上げてロック解除をし、電話のアイコンをタップする。連絡先を開き、お目当ての人物までスクロールして辿り着くが、名前を見た瞬間、発信をタップできなかった。
(なんて話しかけよう……いや、いくらでもあるだろ。なにをビクビクしてるんだ僕)
 思い立ったものの中々行動に移せない己に呆れても指は宙を彷徨うばかりだ。家に帰って改めてかけ直そうと思ったその時。

 甲高い電子音ーー着信音が鳴り出した。

 090-671-914。今まさにかけようとしていた番号からの発信に相川は驚きながらも応答をタップする。
『あ、もしもし? 久しぶり』
 二週間ぶりに聞く少女の声はあの日よりも活発で燦々と煌めいていた。緊張が少し見受けられるが、恐怖や怒りのような負の感情は感じない。むしろ期待や喜びに近いものを感じる。
(まさかーーいや、まさか、ね)
 自分と同じことを考えていたのではないかと思いながら相川は手を振るように返事をする。
「久しぶり」
『元気してた?』
「可もなく不可もなく元気だよ。そっちは?」
『私は自分の部屋でくつろいでいるところ』
「そうか」
 会話が途切れる。久しぶりに会ったからか彼女のことをよく知らないからか何を話せばいいのか分からない。いや、話していけば、回数を重ねていけば知っていくことだし。会話なんて他愛のない雑談をキッカケに転がっていくものだ。事実、仲の良い友人達や先輩後輩、ゼミの教授や近所の人とそうやって親しくなっていたではないか。なのに、りのが相手だと今までに会った人のように対応出来ない。初めて会った時は出来ていたのに。関係や始まりが特殊なせいか。
 どちらにしても沈黙が流れて重く気まずい。
「それで、なにか用?」と、相川は穏やかな口調で沈黙を破った。
『別に用はないけど……用がなくちゃ電話しちゃいけない?』と、拗ねたような口調で聞き返すりの。
「そんなことないけど」
『そっちはなにしてんのよ』
「やること特にないから屋上でぼーっとしていた」
『なら、いいじゃない。電話くらい付き合いなさいよ』
「はいはい」
『返事は一回!』
「Ja」
『ヤー? なにそれかけ声?』
「ドイツ語で【はい】って意味だよ。確かにかけ声っぽいけど違うから」
『それならそうと言ってよ!』
「Oui.今度からそうするよ」
『言ってるそばから破ってるし!』
「I'm sorry」
『普通にごめんでいいのになんで英語なの?!』
 ツッコミを乱発するりのに相川は思わずくすくすと声を上げて笑った。
『笑うなー!!』と、抗議するりのだったが、相川の次の言葉に勢いをなくした。
「東崎さんが元気そうでよかった」
『あ……』
 安堵と気遣いを滲ませた声から相川の微笑みを連想し、顔を赤らめた。相川の容貌は目立った特徴が無く口を閉じていると平凡で無個性に見える。だが、一度話を交わすと目が離せなくなるのだ。あの廃病院で会った時も、病院で再会した時も、そして今もーー。
(って、これじゃ私が相川さんに、ほ、惚れてる、みたいじゃない!?)
 熱を逃すように顔を横に振り、深呼吸をする。
(これはアレよアレ。吊り橋効果ってやつよ。相川さんは恩人でお兄ちゃんみたいだけど、それとこれとは話は別だし。それに相川さんだって、私のこと特に意識してないだろうし……)
 さっきのボケの連発も二週間前の時と同じ気遣いの一種だろう。友人同士でもよくあるやり取りで、そこに特別な感情はない。なにより相川は年上で成人で大人だ。年下でちんちくりんで自他共におバカな自分を相手にするはずがないのだ……。
(自分で言っててなんか悲しくなってきた)
「……東崎さん?」
 突然の沈黙に戸惑う相川の呼びかけにりのは我に返った。そして電話をかけたかった目的を思い出し、本題を切り出した。
『そ、そういえば私を閉じ込めた犯人、まだ警察が追ってるんだって。あの廃病院に犯人に繋がるような手がかりが一切残されてなかったみたいで……警察も苦戦しているらしいの』
 持たされていた携帯電話、大男が持っていたマチェットや鉈は現場に残されておらず、残されたのはメモ書きのみ。
『……なんでも、同じような犯行を繰り返しているような愉快犯、なんだって……』
 廃病院の地下から三人の遺体が見つかったこと、その中に行方不明となっていた柳瀬教授の遺体があったこと、メモ書きの内容を踏まえた上での警察の推論であった。
『早く捕まってくれたらいいけど……』
「東崎さん……」
 名前を呼ぶが、言葉が出てこない。彼女にどんな言葉をかけたらいいのか分からない。下手な同情も慰めも効果は無いだろう。名探偵なら【じっちゃんの名にかけて!】とか【真実はいつも一つ!】とかビシッと決めて犯人を追い詰めるが、自分はただの一般人だ。お酒が飲める年齢になった大学生だ。犯人を捕まえるのは警察の仕事である以上、首を突っ込まない方が良いだろう。だが、不安がるりのをこのままにしておけず、どうすれば彼女を安心させられるのかと唸っていた。
『あ!』と、電話口で叫ばれて思わず肩を跳ねた。
「どうしたの東崎さん?」
『あの時の猫、しっかり見つかったんだよ!』
 若干強引な話題転換だが、嬉しそうに伝えるりのに相川もつられて笑った。
「よかったね」
『警察が廃病院で保護してくれて私に教えてくれたの! 野良猫みたいで、飼い主を見つける必要がなかったから、私の家で買うことにした!』
 椅子が回転する音が聞こえる。
『今、私のベッドの上で寝ているよ』
 相川の心臓が跳ねた。猫がベッドの上に寝ること自体珍しいことでもなんでもないのに、なぜかドキドキした。
(東崎さんのベッドってどんなデザインだろう……って、何考えてるんだ僕は!)
 年下の少女のベッドと聞いてドキドキするとか変態か!! と心の中でシャウトする相川の懊悩など当然ながら知らないりのは呑気に尋ねた。
『ねえ? 猫につけた名前聞きたい?』
「変な名前にしてないよね?」
『へ、変な名前って、なによ! 私が変な名前つけると思う?』
 電話の向こうで頬を膨らませているであろうりのに、相川はぼそっと一言。
「……エザンノル」
 廃病院での黒歴史を掘り起こした。
『ちょっ、あの時のことは忘れてよ! 失礼ね! てか、パーフェクトな名前を発表させろ!』
「はいどうぞ」
『猫の名前発表するよ!』
『猫の〜名前は〜』
 ドゥルルルルル、とドラムロールが流れる。
『にゃんごろうです!』
 パンパカパーンという効果音が似合う声色で発表された相川は眉間を揉んだ。目を数回開いて閉じてを繰り返し、深く息を吸って吐ききった後、電話の向こうでニコニコと笑っているであろうりのを悲しませないために笑顔を作った。
「……素敵な名前だね」
 笑顔は笑顔でも苦笑いであったが。
 その場にいたらビンタされていたが、幸いなことに電話であったため、相川の困り切った様子を知らないりのは食い気味に頷いた。
『でしょでしょ! 名前決めるのに六時間もかかったんだから!』
『にゃんごろう〜〜かわいいよねえ〜〜もう、おへそ見せて。恥ずかしくないの? えいえい』
「…………」
 ニコニコと頬を緩ませてにゃんごろうを見つめているであろうりのを思い浮かべて相川はモヤっとした。りのの笑顔に、ではなくりのにここまで可愛がられているにゃんごろうになんとも言えないモヤモヤを抱いた。相川も猫は好きだしストレス発散に猫動画を観たりする。他人が猫かわいいと言ったら「そうだね。僕も愛でたいな」と返すが、りのが相手だと何故か言えない。りのの笑顔がにゃんごろうに向けられていることにモヤっとしているのは……。
(いやいやいやいや、それは無いそれは無い。会って二週間の女の子にそれは無い。しかも、猫にヤキモチとか断じてあり得ない)
 スマートフォンを持つ手とは反対の手で追い払うようにブンブンと横に振る相川の耳に可愛らしい鳴き声が届いた。
『あ! にゃんごろう! どこに行くの?!』
『にゃあん』
『あ! こらーー! にゃんごろう!! 待ってーー!!』
『にゃーん。にゃーーん』
 何やら焦った様子のりのを尻目ににゃんごろうが部屋中を駆け回っているであろう音が電話口から聞こえた。
『ああーー!! にゃんごろうが部屋のドアノブ壊したーー!!』
『嘘でしょ!? 部屋の出入り口そこしかないのに!!』
 鼓膜を突き抜けんばかりの嘆きに今すぐ業者呼べとつっこみたくなったが、できなかった。
『……扉のドアノブが、根本から、折れちゃったよ』
『これじゃあ、部屋から出れない……』
 しょぼんという効果音が聞こえるぐらい落ち込んでいる年下の少女に対して無粋だろう。たとえ正論でも言っていい時と悪い時がある。
 とりあえず頃合いを見て業者に依頼したら、と提案しようと考えていた相川だったが、唸り声が止まったりのの提案に面食らった。
『あ! 相川さん、こういうの得意でしょ? 部屋から脱出させてよ!』
 おねだりのごとくサラッと難しいことを要求された相川は額に手を当てて空を仰いだ。夕焼け空キレイ。
(どうしよう。いろいろ言いたい。いろいろ言いたい、けど……!!)
 困っている人を見たら放っておけない性分のせいかどうかは知らないが、りのに頼まれると何故か振りほどく気にはなれないのだ。相手が男でも女でも年上でも年下でも関係なくやんわりと断るのに。
(……部会まで時間はまだあるし)
 逡巡の末に相川は地面に腰を下ろした。
「全く仕方ないな君は」
 呆れたような口調の端々に庇護を滲ませて返事を待っているであろうりのを催促した。
「状況説明よろしく」
『! うん!』
 パアアアというエフェクトが似合う声色で喜びを露わにするりののこういうところが放っておけないのかもしれないと相川は思った。
『それじゃあ恒例の状況説明をするよ』と、張り切った様子で口火を切る。
『私は二階の自分の部屋にいます。出入り口の扉のドアノブが根本から折れちゃってて部屋から出れない。部屋にあるものを言うね。えーと、タンスでしょ。ベッドでしょ。本棚でしょ。勉強机でしょ。あとはベランダもあるよ。以上、状況説明終わり』
 状況説明を元にイメージする。りのの真正面にある扉。りのの後ろには勉強机がある。本棚やベッドは勉強机の横か目の前、タンスは勉強机かベッドの横か目の前だろう。情報が少ないせいで部屋の位置関係がいまいち把握しにくい。
(もう少しいろいろ話してもらおうかな……って、何考えてるんだ僕は。馬鹿か)
 今は彼女を部屋から脱出させるためにどうすればいいのか考えるのを優先するべきだと強引に切り替えて質問をする。
「ベランダ……窓を開けたら洗濯物を干すスペースが東崎さんの部屋にあるの?」
『ううん。隣にあるよ』
「隣か……窓を開けてベランダに渡って部屋に入って行くのって出来る?』
 とんでもない提案にりのは真っ青になって強張った。
「ええ?! ちょっ、それは……ちょっと、怖い、かな……お、落ちそうだし。それに、ベランダは、中からしか開けられないタイプだし。無理無理!』
「なるほど……分かった。別の方法を考えてみよう。怖がらせて、ごめんね」
 頭を撫でるような声色にりのは思わず頭を下げそうになった。撫でられたいと思ってしまった自分を思い切り張り倒した。
(相川さんのこの声、卑怯よ! で、電話でよかった! 現場にいたらナデナデされてたわ!! 恐るべし相川さん!!)
 わなわなと慄くりのの懊悩を知らない相川はこんな事態を起こした元凶について尋ねた。
「にゃんごろうはどうしてるの?」
『ベッドの上で寝てるよ』
「にゃんごろう……」
 猫が気ままな生き物なのは分かっているが、素知らぬ顔は無いだろう。
 眉間を揉みながら次の場所を尋ねる。
「本棚には何かある?」
『漫画とかゲームとか並んでるよ』
「普段は何を読んでいるの?」
『めがね忘れがちな好きな子とかアトリエオブトライアングルハットとか』
「恋愛ものとか結構読むんだね」
『そりゃあ年頃だもの。気になるし興味あるし。こ、恋ってのを、一度は、体験してみたくない!?』
「まあ、気にはなるけど……」
『でしょう!?』
「食い気味に同意を求められても……もしかして恋をしているの?」
 尋ねた瞬間、沈黙が流れた。ダラダラと汗をかくほどに顔の表面温度が上昇中の少女はどう答えようか悩みに悩んで身体を縮こませた。
「相手は誰?」と、聞かれて、りのの中で何か大事なものを無視されたような気がした。そして。
『……わ、』
「わ?」
『分かるわけないでしょぉーーーー!!』
 羞恥やら照れやら幼い恋心やらが小爆発した叫びがスマートフォンを通して相川の鼓膜を殴った。
「ううう………」
『あ、相川さん、大丈夫?!』
「あー、うん、視界がちょっとクラクラする程度だから大丈夫」
『うっ……叫んだのは、悪かったけど……でも、いきなり聞かれて、答えられるわけ、ないでしょう!? 私、まだ高二よ! 十六よ! これが恋よ! って断言できるほど大人じゃないの!』
「僕にも分からないことだから振らないで」
『尋ねてきたの相川さんでしょ!』
「それはちょっとした好奇心からで、別に恋バナをしたいわけでは。って、それよりも今は部屋から脱出しないと。それで、勉強机には何かある?」
 中国自動車道のR=200のコーナの如く急激で強引な話題転換にりのは頬を引き攣らせながらも状況打破のために答えた。
『勉強机は埃がかぶってる……何も言わないで』
「……うん」
 スパナをCの形がした鉄の棒と言った時点でりのの知識量がよく分かるので、生温い笑顔でスルーした。現場にいたら頭に拳骨を喰らわされていただろうアルカイックスマイルで。
「えっと、他にはタンスだね。タンスの中は」
『タンスには下着とかが入ってるよ。って、何言わせてんのよ!?』
「ごめん」と、コンマ数秒で頭を下げる相川の瞳は泳いでいた。気まずさと好奇心で揺らいでいた。
(……それよりも厄介だな。シーツとカーテンを使って一階に降りるという手もあるけど、引っ掛けられそうな場所は無さそうだし。ベランダの柵に巻いて降りるのもいいけど、東崎さんの心臓がもたない……)
 りのの安全面も考慮してなんとかベランダに行けたら、と思案に暮れる相川の目の前を白猫が通り過ぎていった。
 白猫は屋上の柵から隣にある建物の給水塔に飛んでいき、軽やかな足取りで建物の奥に入って行った。その光景に相川は一筋の光明を見出した。
「東崎さん。小銭ある?」
『え? 小銭? うん。あるよ。引き出しにいくつか』
「よしっ。じゃあ、レジ袋ある? 小さいサイズでもいいんだけど」
『うーん、無いよ。なんで?』
「……無いなら仕方ないね。それじゃあ靴下はある? あったら助かるんだけど」
『タンスの引き出しにあるけど……って、相川さん、まさか靴下フェチ!?』
 斜めにアクロバットした誤解に相川は仰天して柄にもなく声を張り上げた。
「違う!! 僕はそんな趣味を持ってない!! 単純に靴下に小銭を入れて欲しいだけだ!!」
『あ……な、なるほど。勘違いしてごめんね』
 じゃあ相川さんの趣味やフェチってなんだろうと本人に聞かれたら脳天チョップを喰らわされること間違いなしなことを考えながらタンスと勉強机の引き出しを開けた。
『よくわかんないけど、やってみるね』
『つま先部分に入れて縛ったよ。なんかぶんぶん振り回すと武器になりそうだから【ぶんぶん靴下】と名付けよう!』
(……一応、ブラックジャックって名前があるんだけど。まあ、言わないでおこう)
『で、これをどうするの?』と、戸惑うりの。
「窓を開けて隣のベランダに向かって思い切り振り回してみて」
 器物損害というとんでもないことを提案してくる青年に、りのは思わず「パードゥン?」と拙い英語で聞き返した。
「窓を開けて隣のベランダに向かってブンブン靴下を思い切り振り回して」
 律儀に説明してくれるのはありがたいが、ちっとも嬉しくない。
『え!? ええ!? あ、いや……割ることはできるけど……なんか、こう、人としての、尊厳が……』
「あとで窓ガラス代は払うから」
 相川とてこのようなことを人にさせたくないのだが、脱出の手段が限られる以上、りのの精神安全面を考慮するとコレしか無いのだ。
 アフターケアもすると言われた手前、無碍にはできず、りのはブンブン靴下を握りしめて椅子から立ち上がった。
『ああ、もう! 分かったわよ! ちゃんと払ってよね! ええい!!』
 窓の開く音、ヒュンッと風切り音の後、窓ガラスが割れる音がした。
『よぉし! 一発で命中! 廊下に続くベランダの窓が割れたよ。だけど、小さすぎて人間では通れないね』
「東崎さん以外に通れそうな生き物がいるじゃないか」
『え?』
「にゃんごろうに渡ってもらうんだ」
『なるほど……にゃんごろうなら通れる』
 ベッドの上で毛づくろいをしているにゃんごろうをジッと見つめた後、抱き上げて中断させた。
『にゃんごろう、いい?』
『にゃーん』
『あの窓を出て、廊下に出て、反対側から扉を開けるの』
「あの、東崎さん。猫にそんなの分かるわけ」
『元はと言えばあんたの責任なんだからちゃんとやってよ』
『にゃーん』
「んふっ」
 元気のいい鳴き声に笑いのスイッチが入った。
『いけ! にゃんごろう! 君に決めた!』と、同時に窓を開ける音が上がった。
「ふふふっ、くくくっ」
 笑い袋が爆発しないように口元を押さえて堪えるが、行き場を失った衝動は相川の身体を震わせる。
 相川の格闘など露知らずなりのは更に笑い袋をつつく。
『やった! にゃんごろうが廊下に行ったよ!』
「よ、よかった、ね……ふふっ」
『これで廊下側から扉を開けてくれれば!』
「そ、そうだね……」
 お願いだからシリアスやめて。と言いたいが、自身の口は答えるのに精一杯だ。
 当然ながら相川の綱渡りなど知らないりのは廊下にいるであろう飼い猫に指示を出した。
『にゃんごろう! 頼む! ドアノブを、ドアノブを押してぇ!』
「んふっ、あはははっ」
 耐え切れず笑い袋が爆発した。
『にゃーん』
 ドタバタと騒がしい足音。
『にゃんごろう!』と、声を弾ませるが、返ってきたのは扉のドアノブを押す音ではなく元気よく走り回る足音であった。
『あ、にゃんごろう? ねえ……? あ……にゃんごろう、一階に行っちゃったみたい、なんだけど。ガクッ!』
「ま、まあ、にゃんごろうが一階から降りてくるのを見たら利香子さんが助けに来てくれるよ。多分」
『そこは断言してーー!!』
 最後の一言に部屋中を揺るがすほどの叫びが電話を通して相川の鼓膜を直撃した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?