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コエヲタヨリニ ステージ10&11

あみそ組さんのゲーム「コエヲタヨリニ 初代」の二次小説です。主人公が完全オリジナル。
*暴力暴行の描写あり。不快に思われた方はプラウザバックをして閉じてください。


 二十三時三十分。傘はおろかレインコートすら身に着けていない相川は顔に濡れて張り付いた髪や目に入ってくる雨雫を拭って目の前の建物を睨みつけた。
「病院に、着いた、っ!」
 正面玄関の扉は立ち入り禁止と書かれたテープや有刺鉄線で塞がれている。内側だけでなく外側からも開けることが出来ない扉に用はない。
《ここに喧嘩をした相手がいるのですか。仲直りしてください》
「言われなくても!」
 裏口に回り、扉を勢いよく開けて突入する。
《机に七つのルールが書かれた紙が置いてありますね》
「ここが東崎さんの監禁されていた部屋……」
 外からしか開かない扉、窓がなく机以外何もない小部屋に眉を寄せる。二つの扉が開いているから閉塞感や圧迫感は無いが、殺風景な光景は否が応でも緊張を煽られる。
 いきなり襲われて目が覚めたら見知らぬ部屋に閉じ込められて所持品を全て奪われて携帯電話だけ支給されて赤の他人に電話しないと殺すと脅されたりのの恐怖と不安でいっぱいいっぱいな様子を思い返して、相川は懐中電灯を持つ手の力を強めた。
(目的は分からない。分かりたくもない。でも、日常を壊した犯人を、家族とのおしゃべりを楽しみにしていた東崎さんの時間を奪った犯人を、許さない)
 相川は知っている。帰りを待ってくれる人がいることの嬉しさを、温かいごはんを一緒に囲んで食べる美味しさを、そばにいてくれる人がいるから頑張れることを。
 家族を愛し愛されてきた記憶が、過去に犯した罪が、己に課した誓いが、相川を突き動かしていく。
 必ず助け出して家に帰すと改めて決意し建物の奥に続いている扉の向こうを懐中電灯で照らす。
「あとは東崎さんがどの道を行ったか、だな……」
 フロントポケットから取り出したスマートフォンの画面には【通話中 04:02:30】と表示されている。
(まだ繋がっている。どうなっているか分からないけど、犯人にこっちの動向を迂闊に話すわけにはいかない。でも、繋がってることを東崎さんに知らせておきたい)
 左右に分かれている廊下に、りのが行く先を報告していたことを思い出した相川は即座に指示を出した。
「Mori、こっそりと記録再生してくれ」
《わかりました。再生開始します》
 電話の向こうには届かず、主人にしか聞こえないように細工を仕掛けた通話記録が再生されていく。
『私は今窓のない小さな部屋の中にいるの。それで、目の前に扉があるんだけど、開かないの。あ! ロックが外れた! 開いたよ! なんで暗証番号が分かったの? 廊下が右と左に続いている。とりあえず右へ進んでみるね。うう……暗くて、やだな……これ一人だったら進めないよ。電話でも誰かと一緒でよかった……』
「Gehen Sie direkt in den Flur……」
 ドイツ語で呟きながら右へ走っていく。
 確認のために途中で足を止めてエレベーターのボタンや非常ボタンを押すが、音は鳴らない。監視カメラのランプは光ってない。電子ロックされている扉以外の電気系統が死んでいることに、りのと通話している時にはしなかった舌打ちをしながら廊下の突き当たりにある手術室に入る。
 火がついたアルコールランプ以外の光源が無い薄暗い手術室に懐中電灯を向けた瞬間、相川は息を呑んだ。
 真ん中にある台の上に寝かされた人形は相川が想像していたマネキンではなかった。
「これは……怖いな」
 人間に近いデザインをした球体関節人形。腰の長さぐらいのくすんだ金色の髪、紅色の瞳、少女というより大人の女性の容貌だ。エタノールで濡れた腹の下ーー子宮に位置する箇所には「The culprit who changed me」と赤いペンキで書かれている。
 場所のせいか球体関節人形のせいか英文のせいか、腐臭のように漂う生と死の狭間にある生々しさに相川は眉間に山を作りながらも通話記録に耳を傾ける。
 気味が悪くて一刻も早く立ち去りたいが、りのの行く先を知っておかないと迂闊に動けない。
『突き当たりには……手術室だ……。やっぱり入らないとダメ、だよね。えっと……中は暗くて、よく見えない。手術台と棚がかろうじて見えるけど……。あ、人形が寝かせられてる。よく見たら横には手術道具があって、大きな包丁とか鉈とかもあるよ。あ! 壁に大きな穴が空いてる! そこから先へ進めそうだよ! 廊下を右に進んでみるね』
 懐中電灯の光を手術台から横に動かす。メス、鉗子、刃先の曲がった鋏、ピンセット、針、持針器、鉤など一般的に使われる手術道具の横に中華包丁やノコギリや鉈が置かれている。凶器から迸る想像以上の不快感は自衛心を駆り立てた。
「……一応、持っておくか」
 犯人への威嚇のために拾った後「Vas a ir a la derecha?」と、今度はスペイン語に変えて右に進みながら知らせる。
 エントランスの抜け穴に掛かっている脚立を慎重に上がっていき、辿り着いた廊下を走っていく。
 その先に見えた『キクスオ』の看板に相川は歩調を緩め、スマートフォンを持つ右手首に紐を通した懐中電灯を売店の手前に向ける。
「ここか。東崎さんが休んでたところは」
 コイケヤのポテトチップスとアポロチョコの残骸、食べた痕跡。りのが座っていたであろう位置から見た光景は静寂と無秩序に満ちている。Moriが側にいる相川でさえ忌避感を覚える光景を前にりのは弱音を吐くまで気丈に振舞っていたのだと改めて知った。
『誰かと一緒なのがこんなにも心強いなんて知らなかった。だから、ありがとうね。信じてくれて。ここまで一緒に進んでくれて。よし! 休憩はここまでにして、先に進みますか。今、売店から更に廊下を進んでいるよ。あ、分かれ道だ。右と左に行けるんだけど、左に進んでみるね。お、何か見えてきた』
「Sono sicuro che è rimasto da qui」
 廊下を歩きながらイタリア語で左に進んでいることを知らせる。
 その先の図書室に陳列されている本棚には『オセロ』『リア王』『悪徳の栄え』『美徳の不幸』『毛皮を着たヴィーナス』『罪と罰』『悪童日記』『ゴリオ爺さん』『人間失格』『斜陽』『セメント樽の中の手紙』など、悲観的かつ虚無的な色合いが強い本が並べられている。
(見ててあまり楽しくないな……病院の図書室なら、医学書か児童向けの本が並んでいるはずなのに……それらしいものが見当たらない)
 犯人の趣味や嗜好なのだとすれば、色々と心配だ。悪い意味で。
 奥の壁の本棚の方へ足を進めていく。一冊だけ空白がある本棚が右横にスライドされていて、廊下が見えている。
 相川の記憶が正しければ、廊下の先は時間外受付。
(ここに東崎さんが、犯人が、いる)
 心臓の音が煩い。周りの音が遠くなる。手足の先が冷たくなっていく。唇が乾いて、息がしづらい。
 ピロンと機械音が鳴る。画面には富根総合病院の3D地図が表示されており、Moriの固い声が上がった。
《マップ確認しました。ここから先は地下室です。ご用心を》
「了解」
 スマートフォンをズボンのフロントポケットに仕舞って、扉が開かれたままの地下室に足を踏み入れる。
 奈落のように暗く深淵のように先が見えない暗闇は冥府や地獄を想起させると同時に死の気配が生ぬるい風となって相川の肌を撫でた。
「……持ってきて正解だな。早く東崎さんを見つけて連れ出そう」
 地下への階段を一段ずつ数えながら降りていく。十二、十三の次は床であり、カウントを止めて開いたままの扉の向こうへ進んでいく。
「暗くてよく見えないな……」
 懐中電灯が照らし示す電気のスイッチまで足を進めた瞬間。

「うう」

 背筋を突き刺す寒気と殺気に相川は思考も反応もなく反射で避けた。
 先ほどまで自分のいた場所をみるとマチェットの鋒が床に刺さっていた。マチェットの柄、持つ手、その先の容貌へと視線を上げていく。
 顔は麻袋で覆われており、服装は映画の殺人鬼を連想させるもので、声はくぐもっているものの変声期を終えて一段と低い成人の男であった。
 大男の容貌はネット上で騒がれている【和製レイザーフェイス】に似ていた。
(まさか、こいつがあの)
 結論を出す時間も考察する暇さえ大男は与えてくれなかった。
「ううっ」
 微動だにしない相川を殺せるチャンスと捉えた大男はマチェットを床から抜いて再度振り上げる。
 リノリウムと鉄の不協和音に、相川は息を呑みながら後ろへ下がる。風切り音と共に振り下ろされたマチェットの先端が床にのめり込む。
(こいつ本気で……!)
 死への恐怖は生存本能を駆り立て、殺されたくない一心で相川は咄嗟に鉈を振り下ろした。
「ぐう"う"っ」
 マチェットを床から抜き終えた大男の肩に一筋の線が入り、鮮血が溢れ出る。
 傷口を押さえて呻く大男と鮮血に塗れた鉈は相川に『殺人未遂』と『正当防衛』という現実を突きつけた。


***


 大男が去っていくのを呆然と見ていた相川は後ろから聞こえる足音に我に返り、懐中電灯を向けた。
 背中までかけ流している亜麻色の髪、猫目がちの瑪瑙色の瞳、カーディガンを羽織った少女はオドオドとした様子で顔を左右に振ったかと思うと、相川を視界に収めた途端、目を見開いてゆっくりと近付いた。
 その様子に相川は少女が【東崎りの】だと思い、呼びかけようとして口を閉じた。
(違う。声で感じた印象と全く違う)
 相川と少女の距離があと十歩のところで相川は口を開いた。
「君は誰だ?」
 論理でも推理でも分析でもない。ただの直感で尋ねた瞬間、少女は僅かに瞳を瞠り。

「ふふふふ、あははは」

 ナニカに怯えていたとは思えないほどの嗤いをこぼした。
「私が電話をしていた相手なのかどうか疑ったわね?」
 りのの声は初夏の新緑を思わせる眩しく明るい声だが、少女の声は真冬の強風を想起させるほど冷たく乾いたものだ。
「声を聞いて分かるでしょ? 私は貴方と電話をしていた相手ではない」
 監禁されていたもう一人の被害者という可能性が消えた。怯えた演技をしてまで相川に近づいた意図は少女の背中から見え隠れしている銀色の鋭い輝きが答えであり、電話をしていたというワードから一つの答えが浮かんだ。
「まさか……君が東崎さんを閉じ込めたのか?」
「正解。よく疑ったね。よく気づいたね」
 パチパチと乾いた拍手が暗闇に響く。
「これでゲームは終わり。ああ……終わっちゃったか……」
 夕暮れ時のチャイムに名残惜しげに友達と別れる子どものような表情と声色はこの場に不釣り合いなもので、少女の異質さを強調した。
「それよりも東崎さんはどこだ?!」と、焦燥を露わに詰め寄るが、返ってきたのは虚ろな笑い声。
「……ふふふ」
「彼女の心配よりも自分の心配をした方がいいんじゃない」
 嘲りのこもった冷笑のあと、表情を無にして少女は背中を向けた。
「それじゃあね」
 家に帰るような足取りで暗闇へと歩いていく少女を捕まえるために相川は走り出した。
「待て!!」
 手に持っていた鉈を放り捨てて。

 自衛の武器を捨てたこの瞬間を、大男は待っていた。
「う"う"」
 濁りが混じった呻き声に相川は思わず足を止めた。止めてしまった。
「え? っうっ!」
 まさか、と思い、声のする方へ顔を向けた瞬間、顔に軽い衝撃が走り、視界が赤くなった。
(この感触、匂い……ペンキか?!)
 前髪と目の辺りを濡らしているペンキで目潰しされたのかと分析し、このままでは良くないとペンキを拭い落とそうとするが、出来なかった。
 こちらに向かってくる足音。顔を上げる間もなく、大男の足が相川の横腹を蹴り上げた。
「がぁっ!」
 百七十センチと平均身長であり、常日頃から鍛えているわけでもない相川の身体は蹴られた衝撃であっさりと床に倒れ込む。
(懐中電灯が!)
 倒れた際に落としてしまった明かりを拾おうと手を伸ばすが、大男によって踏み壊されてしまう。
 赤で覆われた視界には大男が映っている。
 ーー自分がさっきまで使っていた鉈を拾い上げて、ゆっくりと近づいて来ている。
 ズボンから避難警報に似たアラート音が鳴り出す。
《攻撃がきます! 危険です! 逃げてください!》
 Moriに言われるまでもなく相川は咳き込みながら手足に力を入れて立ち上がろうとするが、大男がそれを許さなかった。
「ぐぅっ!」
 鳩尾を蹴り上げられた際に身体が軽く浮いて壁に衝突する。腹部と背中に走る衝撃に相川は息を詰めた後、ゲホッゲホッと濁った咳を上げた。
《どうして逃げないのですか!?》
 いつになく焦った声色で尋ねるMoriに相川は呻きながら律儀に答えた。
「目が、見えなくて……」
《え?!》
 驚き戸惑うMoriの声、鉈を引きずる音、大男の足音、目の前の殺意と殺気……。
 それらを前に相川はふとサークルに所属している一個上の先輩の言葉を思い出した。
(視覚障害者や全盲者がいる世界は人それぞれだよ。真ん中に黒い点があるという人もいれば白いモヤの中を歩いているようだと言う人、紫色や緑色の世界だという人もいる。それが瞼を閉じても開いても変わらず続くんだ)
 踊るようにキーボードに指を滑らせる全盲の男性は変わらず笑っていた。
 音と声と感触と香りだけで生きてきた彼の世界がどんなものかは分からない。自分は自分、先輩は先輩なのだから。
 だが、分かっていることは三つ。
(じゃあ……僕の最期は、赤色の、世界に、なるのか……)
 開いても閉じても赤色に支配された視界に映る大男によって殺されるということ。
 逃げたくても逃げられないということ。
 そしてーーーー。

(ごめんね東崎さん……約束、果たせなくなった……)

 東崎りのに永遠に会えないということ。


 視界の隅に光る銀色を焼き付けるように相川は目を開き続ける。
 瞳に入ってくるペンキが気持ち悪かった。

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