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晴走雨書#13-競馬①-

初めて出会ったのはいつだろう


記憶がおぼつかない幼少期から走る馬をテレビで見ていた気がする


黒毛に白い流星が走る無骨な馬に、栗毛に夕陽が煌めくかっこいい馬、芦毛の馬体に黒のブチが散らばる可愛らしい馬


見た目に限らず

パドックで厩務員さんに構って欲しい馬やパドックではやる気がないのに返し馬から突然気が入る馬、全レースから馬具を変えて見違える馬


競馬に関する最古の思い出は、2004年11月28日府中のジャパンカップ


この時齢8歳


当時はギャンブルが何かとかあまりわからないまま父親と一緒に馬が走っているのを見ていただけだった


ここに至るまでテレビでは毎週末見てたとは思うが、定かな記憶がないので本当にいつから馬を見ていたのかは誰も知らない


かすかに残るジャパンカップ、当時の最強格はゼンノロブロイもちろん1番人気


この年の天皇賞・秋に勝利し、このジャパンカップを制し年末の有馬まで戴冠し見事、秋古馬三冠を果たす名馬中の名馬である


ちなみにこの天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念を同一年に全て勝つ秋古馬三冠を達成したのは、世紀末覇王と呼ばれ大阪杯がG1昇格をする前にグランドスラムを達成したテイエムオペラオーとこのゼンノロブロイだけなのである


近年だと外国レースに挑戦したり、過密ローテーションを避けるために秋古馬三冠に挑戦する馬が少ない印象だが、年末に向けてこの3レースを制覇する馬が現れると競馬界も一層盛り上がるのではないかと思いついつい期待してしまう


昨年末イクイノックスのジャパンカップを生で見た私は、かなり期待していたが、馬の疲労もあってか未来も見据えての繁殖入りとなった


閑話休題


そんな名馬と呼ぶにふさわしいゼンノロブロイのことなど若き日のダイズ少年の目に入らず、当時応援していたのはコスモバルクである


この馬は新馬戦条件戦など、スタートが地方出身のいわゆる成り上がり系の馬だったのである


いまだに地方競馬出身でJRAのクラシック三冠に真っ向から挑む馬は少ないと思う


そんな中、地方競馬で勝利を重ねたのち、皐月賞、日本ダービー、菊花賞と全ての三冠レースでしっかり戦ってきた当時のコスモバルクはアイドルホース的な立ち位置にいた


もっと過去に遡るとオグリキャップやハイセイコーのようなポジションだ


そういった世間の盛り上がりが子供には良かったのか、本当に何も知らない8歳の少年はコスモバルクが勝つと信じ込んでいた


この時父親に連れられて行った府中の東京競馬場、10万に近くを迎え入れたスタンドは人混みがすごく、ハズレ馬券が散らばり焼きそばなどのソースの匂いが立ち込める中、馬券を買うために長蛇の列が並ぶ


父は競馬が好きなので朝から会場入り

馬場内の遊具や乗馬コーナーなど子供でも楽しんで時間を過ごせる東京競馬場だが、やっぱり朝からいるとメインレースまでは正直もたない


少し疲れた頃に15時を迎えおやつを食べいよいよメインレースを迎える準備に入る


ポジションは大欅を超えた4コーナから直線に入りかける位置を見渡せる場所


ゴールから600m離れたこの位置でも満員で返し馬が始まると各々が応援する馬と騎手に激励を飛ばす。


冬のなり色褪せ始める芝生と傾く夕陽


世界がセピア色になる時ファンファーレがなる



スターターがステップを上がるとともに観衆の高揚が叫びとなりこだまする


スターターがフラッグを構えると、それまでの喧騒は一瞬のうちに吸い込まれ、流れ始めたファンファレに合わせてリズムを刻む


この10万人が心を通わせる瞬間は8歳児にもかなり効くらしい



あれだけ四方八方に何の調和もなく叫んでいた人間たちが突然一斉に同じ方向を向くのである


きっとあの時、競馬とはいかに人間を惹きつけるのか


体全体で味わったせいでいまだにその傷は癒えない


この歳になってもふとした瞬間に競馬場へ足を運びたくなるのだ


レースの結果は1番人気のゼンノロブロイが3馬身差の完勝、コスモバルクは2着という結果


応援していた馬が勝てないのはもちろん悔しいのだが、それ以上に今後の人生に大きく影響する体験になったことは当時の僕にはわからなかったが、20年前のジャパンカップ以来競馬のニュースを見たくなると目を向けてしまうし、部活に熱中していた中高時代のブランク以外は常にそばにある


軽い気持ちで書きはじめたら少し長くなってしまったので、ここから数日大豆の人生と競馬の関わりを振り返っていきたい。



次回、少年とディープインパクト