バンド活動開始~後編~
こんにちは。
『音楽家として生き続けること』を永遠の課題としている、だいぞう(坂本大蔵)と申します。
前回の『バンド活動開始~前編~』に引き続き、バンド活動のことを書いて行きたいと思います。
・・・
18歳の夏。
メンバーに気持ちを伝え『TIARLIS』を脱退。
また、僕の脱退と共に『TIARLIS』は解散となった。
メンバーには理解してくれたことへの感謝。
そして申し訳なさが混同する中、次の活動準備を進めることになる。
・・・
1.ソロ活動開始
歌を歌うにしても『バンドヴォーカル』というビジョンは、全くありませんでした。
それよりも、楽曲制作、全楽器の演奏、レコーディングまで全てセルフプロデュースで行い、自身でプロモーションも行うソロ活動がしたい!と考えていました。
当時はパソコンはなく、インターネットも一般的ではありませんでした。
音楽制作も『生演奏感』を求めるなら、DTMが主流ではない時代。
ソロ活動とはいえ、アコギの弾き語りなどではなくバンドサウンドを求める自分にとっては、オケを作るにも全ての楽器を演奏する必要がありました。
それもあり、当時ソロで全部一人で作る!というやり方は、かなり稀な存在だった様に思います。
まずはレコーディング環境を揃える為、仕事をしては機材購入を繰り返していました。
新たに購入した機材紹介
まず購入したのが、より機能性に優れたMTRである『MD8』
メディアがカセットテープからMDになり、音質は格段に向上。
使えるトラック数も増えて、宅録として当時はかなり画期的な製品でした。
ドラムはリズムマシンではなく、エレキドラム(以下エレドラ)を起用。
今でこそ、5万程度で購入できるエレドラもありますが、当時はエレドラ自体が珍しく、YAMAHAのDTXという初期機種で20万~30万位しました。
それでも、この時代としては破格の値段だった様です。
このギターは『TIARLIS』の時には、既に所持していたESPの『HORIZON』というギターです。
完全にビジュアルに心奪われて買いました(笑)
とはいえ、気軽に買える値段ではなく40万位しました。
人生で初めてローンを組んだ買い物です(笑)
様々な音色が欲しくて、初めて買った本格的なシンセサイザー。
空間系の音に長けていて、音作りも細かくできるので重宝していました。
2.ソロ作品の発表
必要な機材を一通り揃え、早速ストックしていた曲の中から3曲選び、ソロ作品第一弾デモテープを出すことを決めました。
レコーディングのやり方は、本を読みながら覚えて行きました。
また、バンド経験を活かし、ポスター、チラシ、ジャケットも手配。
早く出したい気持ちもあり、構想から3ヶ月後には、3曲入り¥500のデモテープを完成させました。
まずは、お世話になっていたCDショップに販売のお願い。
相変わらず快く引き受け入れてくれる店長で、大々的にポスターも貼っていただきました。
次に、同じくお世話になっている楽器店の店長に持って行きました。
「おおっ!本当に作ったのか!!どれどれ...」
いつも通りの笑顔で、作品を聴きはじめてくれました。
しかし、曲が進むにつれみるみる変化して行く形相。
『・・・こんなひどい物で金を取るんじゃねぇ!!』
本気で叱られ、テープを投げつけられたのです。
当時、僕としては最善を尽くした作品でした。
しかしプロ目線から見て、商品として出せる一定水準に達していない点、レコーディングに関する勉強不足。
当時はその意味を理解しきれず、悔しさもありました。
ただ、今の自分が当時の音源を聴いたら...
同じくぶん投げてます(笑)
のちのち叱られた意味を理解し、感謝に変わって行くのでした。
『思い付いたら即行動』
ソロ一作目は、この性格が仇(あだ)となった『失敗作』となりました。
ソロ1作目『序曲』
思い返せば、なぜ制作途中で店長に聴いてください!と、音源を持って行かなかったのか謎です...。
おそらく早く出したい!おどろかせたい!そんな気持ちの方が勝っていたのかもしれません。
この失敗は、後の作品や人生に大きく活かされることになりました。
ちなみにその楽器店の店長は、現在は僕の地元でもある群馬県桐生市にて、『VAROCK』というライブハウスと、引き続き楽器店を営んでいます。
コロナ禍になる前に、何度かライブの仕事で出演させていただましたが、会うと当時の関係性に戻る感覚が、懐かしくあり嬉しくもあります。
出逢いから20年以上経った今でも大好きな音楽人の一人です。
また、お世話になったCDショップ(当時は書店ビルの中にありました)は、現在無くなっていますが、書店ビル(シロキヤ書店)は現在も営業しており『TIARLIS』の初ライブを行ったホールは、現在も稼働している様です。
3.ソロ作品リリース後
作品の発表後は、更に音楽の勉強に励みました。
次こそ楽器店の店長にも認めてらえる作品を作る!と、第二弾音源のリリースに向けて意気込んでいました。
そんな中『TIARLIS』の元メンバーのベーシストから
「良いヴォーカルと出逢ったので、再びだいぞうにギターで参加して欲しい!」
この様な誘いをもらいました。
実際にそのヴォーカルに会って歌を聴いたら、確かに魅力的な声でテクニックもありました。
ただ、僕自身は『ギタリスト』として活動がしたい訳では無い。
とはいえ、もっとバンド経験をすることは必要かもしれない。
正直、揺れていました。
“音楽で生きたい”
その想いは変わらぬも『何に成りたいか?』と問われると、はっきり答えが出せない時期でした。
『自分は何をしたいんだ?』
自問自答を繰り返し、悩んだ挙げ句...
やってみなきゃわからん!
引き受けることにしました。
バンド名は『Cou:Rage』
再びオリジナル曲も持ち込み、ライブも何度か行いました。
やるからには!と、一通りの活動はしっかりやったし、メンバーとの相性も良く楽しかったことは確かです。
しかし、やはり『ギタリスト』というポジションでやって行くのは違う。
活動開始から約1年...
バンドを脱退しました。
4.ヴォーカルとして
バンド脱退後、ソロ活動の質を上げる上で、歌の基礎を学ぶ必要性を感じ、ボイストレーニングにも通いはじめました。
(しかし、地元では基礎を一から教えてくれる先生に出逢えず、継続して通うことはありませんでした)
同時期、地元では名のあるバンドに声をかけられました。
僕の過去のライブを見てくれたり、ソロの音源も買って聴いてくれた上で、ヴォーカルとして誘いたいと声をかけてくれたのです。
それまで、ヴォーカルとしてバンドで歌ったことはなかったので、興味本位で一度音を合わせることに。
メンバーの演奏も良い。
逆にメンバーからの評価も好感触。
手応えもありました。
『ソロはソロで勉強し続けて、ヴォーカルの腕を磨く為にもやってみよう!』
正式に加入することを決めました。
今までとは異なり、全く知らないバンドの中に一人加入する形でしたが、ここでもメンバーとの相性は良く、馴染むまでのスピードも速かった。
バンド名は『MEVIUS』
メンバーは4人編成。
それまでのバンド活動は、自分が曲を作ることが多かったけど、そのバンドには既に曲数もあり、メンバー全員が曲を作れる強みもあった。
そして、かっこ良くて魅力的な曲が多かった。
リハーサルを重ねる度、音もかっこよくなって行く。
次第に『MEVIUS』にどっぷりのめり込み、自分もこのバンドで曲を作る様になり、ヴォーカリストとしての自信も少しずつ付きはじめていた。
『どこにも負けないバンドになってやる』
気付けば本気になっている自分がいたのです。
5.MEVIUS始動
本格的に表活動をスタート。
これまでのプロモーション活動の経験も活かして、やれることは全部やりました。
そして、一発目のライブはスタンドで500人収容可能なホールを借りての自主企画ライブ。
出演バンドを集め、曲もどんどん生まれ、音源制作も行って行きました。
プロモーション活動にも力を入れての初ライブは、かなり良いステージができた実感がありました。
初ライブを終えてからも、その勢いは増して行きました。
2回目のライブは、人生初ライブを行ったライブハウスを使ってのワンマンライブ。
ライブに向けて、町中でラジカセを抱えて曲を流しながらチラシ配り!なんてこともやりました。
それ以降もライブを重ねて行き、少しずつファンも増えはじめ、曲もどんどん増えて行きました。
『このバンド、このメンバーなら絶対に行ける!』
そう信じて止まなかった。
『MEVIUS』の音源は、初めてCDとして発表しました。
6.MEVIUS解散
活動開始から約一年。
ギタリストがもう1人加わり『MEVIUS』は5人編成となりました。
活動も順調に進み、勢いはどんどん増して行きました。
しかし、それは突然起きました。
大好きな初期メンバーであるギタリストが、交際相手との間に子供ができて、バンドを続ける事が難しいと脱退を申し出てきたのです。
ギタリストとして尊敬しているし、彼の作る曲にいつも魅力を感じていました。
そして、何より相性が本当に良かった。
初めてその言葉を聞いた時は、ふざけんな!という気持ちだった。
しかし、それ以上に
『辞めて欲しくない!一緒にバンドがやりたい!』
悲痛な叫びでした。
そのメンバーのご両親と、交際相手のご両親にも直接会って説得も試みました。
『生活面のことを考えての脱退なら、金銭面で負担はかけません!バンド費用は自分達が持ちます!だから、こいつにバンドを続けさせて下さい!』
・・・しかし、想い届かず。
若さゆえの無知もありましたが、覚えている限りでは3度説得しに行った記憶があります。(ある意味ストーカー)
最終的にはご両親に門前払いをされ、その後は音信不通となりました。
(数年後、彼とは友人として再会し、今は立派なお父さんやっています)
その後、4人編成となった『MEVIUS』で、しばらく活動は続けました。
しかし、自分にとってそのギタリストの脱退はあまりにも大きかった。
これまでのバンドを、自分のわがままで脱退した時、同じ様な気持ちを味わったメンバーもいたのかな?
一緒にやりたいのにできない...
こんなに辛いのか。。
音楽をはじめてから、初めて虚無感に襲われました。
結局『MEVIUS』は、東京進出の話が持ち上がったタイミングで、メンバーとの音楽以外での揉め事もあり、僕は脱退することにしました。
残ったメンバーからしたら『逃げた』と思われるかもしれない。
しかし、半端な気持ちで続けられる訳もなく、そんな状態で続けることこそメンバーに対して申し訳ない。
『もうバンドはやらない』
ソロで生きる覚悟を、確固たるものとさせました。
『MEVIUS』の脱退後、バンド自体も解散となりました。
しかし、もう1人のギタリストとベーシストは2人で東京に進出し、新たなバンド活動を進めて行きました。
ベーシストだったメンバーは、今は音楽をやっていない様ですが、ギタリストだったメンバーは今も活動を行っています。
(後にソロで上京した時に再会し、僕のソロプロジェクトを手伝っていただいた時期もありました)
また、現在活動しているバンド『Project LOVE&ROCK』は、見せ方としてバンドという表現をしていますが、ソロプロジェクトが基盤となっています。
最初は、ライブ時のバックミュージシャンを担ってくれるメンバーとして、一人一人声をかけて集まってくれたメンバーです。
活動を共にし、信頼関係を築いて行く内に、ただただバックで演奏するというスタンスではなく、僕のやりたいことの具現化や、プロモーション面も真剣に考えてくれる様になり、バンド以上にバンドになりました。
『バンドとはこうあるべき』
そんな固定概念にとらわれていた、10代のバンド活動。
それに気付いたのは、上京して色々な人に出逢い、色々なミュージシャンと音を出し、今のメンバーに辿り着いてからかもしれません。
早いもので、現在のメンバーとは10年以上の付き合いになります。
一人一人、モチベーションも高く信頼の置ける人達です。
その話はいずれまた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?