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『Daizo』として再始動

こんにちは。

『音楽家として生き続けること』を永遠の課題としている、だいぞう(坂本大蔵)と申します。

今回は、2009年辺りに『the T.D.S』としての活動を終了したあと、バンドスタイルでの活動を少し減らし、再び名義を『Daizo』に戻して活動していた時期の話について、書いて行きたいと思います。

・・・

1.事務所を辞めてフリーに

この頃は、事務所との契約更新が迫っている時期でした。

ただ、更新前に自分の中では事務所を辞めることを心に決めていました。

僕の進みたい方向性と、事務所の社長が求める方向性のズレはありましたが、それ以上に

『今一度、全て自分の力と責任で活動をして行きたい』

甘えた環境からの脱却が、一番の理由でした。

社長と同じ夢を追いかけることは、この時点でできなくなり申し訳ない気持ちもありましたが、事務所社長(RED-Zoneの社長でもあります)には、違う形で恩返しをして行こうと決めました。

実際、フリーになってからの活動は、アコースティックソロでの活動も増やしたことで、ペースは上がって行きました。

ライブ活動場所の拡大。

多くの人達との出逢い。

力を貸してくれる人が増えて行く実感。

ここだけの話、ソロでバンドスタイルライブを1人で切り盛りするのは中々大変で、1ライブで20万の赤字を出してしまったこともあり、中々家が借りられねー!まだ車上生活やー!!思ったこともありました(笑)

当時のバンドスタイルのサポートメンバーは、声をかければ無償で力を貸してくれる人達でしたが、音楽を頑張っている同志として、高額ではなくともちゃんと対価を渡したい気持ちと、それに伴う責任感を伝える為、理由を伝えてギャラを渡す様にして行きました。
(それでも受け取らないメンバーもいましたが)

そもそも、赤字を出すことはプロとしてNGだけど、そういう経験のお陰で僕自身もまた、それまでお世話になった人達や、事務所社長のありがたみを、本当の意味で知ることになりました。
(日に日に過去の自分を殴りたくなりました)

事務所を辞めてからの活動は、一つ一つの重みを実感すると同時に、感謝の気持ちも一つ一つ大きくなり、様々な『質』が変わって行くのを実感していました。

次は、この辺りで出逢った人達のことを中心に書いてみたいと思います。

その大きな赤字ライブを出してしまったのは、RED-Zoneでのライブでした。
当時、RED-Zoneでスタッフとしては仕事を続けていましたが、RED-Zoneでライブをする時はそこは関係なく、演者としてハコを借りていました。
社長は『少し値引きするよ』と優しい言葉をかけてくれましたが、それでは事務所を辞めた意味が無い。
逆に値引きを断り、定価で受け取っていただきました。

当時、改めて『Daizo』として活動して行く際に、『ハングリーに行こう』というスタンスで『餓狼』というテーマを基にロゴ化しました。
初めて書いたトライバルアートの原画です。

2.水鏡というユニットとの出逢い

当時のサポートメンバーとして、欠かすことのできないメンバーが謙ちゃんこと、小川謙司氏でした。
(この業界は長く、当時は『XYXX』というバンドで活動をしいました。年齢としても先輩です)

この時期よりも大分前から、RED-Zoneにたくさん出演されていたので、存在自体はお互い認知しており、話す機会もありました。

ある時期から、

『だいぞー君、俺にベース弾かせてよ~』

と言ってくれるのですが、半分顔がにやけてるし、ドMだし(笑)、軽くあしらってました。
(先輩に失礼w)

そんな彼が、当時ベーシストとしてゴリゴリのバンドをやり続けていたのに、突然アコースティックギターを手にして、女性ヴォーカルとユニット活動を始めました。

ユニット『水鏡』の誕生でした。

活動当初は、周りからの批判も多かったそうです。

ただ、僕自身は当時アコースティックの世界にどっぷりはまり、ハードサウンドに少々疲れていたこともあり(笑)、物凄く興味が沸きました。

そして初めて見た『水鏡』は、強烈なヴォーカリスト、世界観ある曲と歌詞。

可能性しか感じませんでした。

その後、意気投合して打ち解けるのに、時間はかかりませんでした。

その流れから、謙ちゃんの人となりも深く知り、僕のバンドでベースを弾いていただくことになりました。

※現在、水鏡は解散していますが、一昨年に水鏡のヴォーカルだった星野馨ちゃんの主催イベントに『Project LOVE&ROCK』で参加させていただいたり、2人とは現在も繋がりがあります。
幾つもの活動を共にし、ライバルでもあった2人のお陰で、たくさん成長させていただきました。
今も大切な仲間であり友達です。

3.怪物との出逢い(褒め言葉)

ライブ活動の場を拡大したことで、様々な場所からお誘いをいただく様になりました。

その中で、とある新宿のライブハウスでライブを行った時に出逢ったのが、日比谷カタンというアーティストでした。

カタンさんのステージを見た瞬間、異次元に連れて行かれ、頭をハンマーで殴られた様な衝撃を受けました。

ご興味ある方は、まずこちらをご覧ください。

こちらのゲームは、スクウェア・エニックスから発売された『ロストオデッセイ』というゲームの、ラスボスバトル動画です。
(プレイしたことはありませんが)

続いてこちらをご覧ください。

この独奏者の方が、日比谷カタンさんです。

先ほどのゲーム音楽を、ギター1本と声のみでカバーされている動画です。

ただ、これはただのカバーではありません。

ご本人は、実際にゲームのBGMに歌で参加されています。

ファイナルファンタジーの作曲家として有名な植松伸夫さんが(僕が大好きな作曲家の1人です)、日比谷カタンさんの音楽を初めて聴いた時に、惚れ込んですぐにオファーを出されたとか。

ファンタジーロックフェス記事参照

初めてお会いした時は、この楽曲の演奏はありませんでしたが、独特過ぎる世界観と、ギター1本での表現力と、引き出しの多さにここまで出来るのか!と、衝撃を受けて吐き気すらしました(笑)

ライブを終えたあと、すぐさま楽屋に挨拶に行き、僕が新たに開催を予定していた『独奏魂』というアコースティックイベントに、熱烈オファーをかけさせていただきました(笑)

僕に独奏の可能性を広げるきっかけをくださった方で、この辺りからパーカッシブ奏法なども身に付けて行きました。

日比谷カタンさんにも何度かご出演いただいた、『個性が強く質の高いアコースティックイベント』をコンセプトに、独奏者限定でシリーズ化した『独奏魂』
お客さんの反響も多く、見応えのあるイベントでした。
(毎回ブッキングも大変でした 笑)

4.怪獣との出逢い(褒め言葉)

カタンさんと出逢った同日、他のアーティストさんのサポートメンバーとして、バイオリンを弾かれている女性奏者がいました。

演奏が始まると、楽しそうにキレッキレ且つ美しい旋律を奏でるのですが、アーティストさんのMCが始まった途端、バイオリンの弓で鼻掻いて変顔しとる。

『なんだこの人(笑)』

これが初見の感想でした(笑)

ただ、演奏になるとバイオリンの音は素晴らしいので、ギャップにもって行かれたんでしょうね。

丁度その頃、自分の楽曲にバイオリンを入れたい!と思っていた時期でもありました。

楽屋で喋る機会があったので、ダメ元で

「うちでバイオリン弾いてくれー!」

と半分勢い任せで誘ったら

「やるやる!いつやるー!」

と、初対面とはお互いに思えない勢いで、即サポートしていただくことが決まりました(笑)

それが、バイオリニスト『NANACO』との出逢いでした。

僕の背後にいるのがNANACO、その背後にいるのが謙ちゃんこと、小川謙司先輩。
ピンクのシャツを来ている彼は、最近結婚が話題になっている、星野源さんのバックで鍵盤を弾いていたこともあるキーボーディストの吹野君
一時的に、参加をお願いしていました。
左は隼、右はサポートとして参加間もなくのRyoju君。

5.妖精との出逢い(褒め言葉)

タイミングとしては、水鏡との出逢いと同時期位になります。

アコースティックスタイルの活動を重ねて行く内に、バンドスタイルライブ時に、ピアノの音が欲しくなりました。

ただ、僕自身はアコギを弾くし、オケや同期ではなく生演奏の音が欲しい!

そう思っていた時期に出逢ったのが、当時『ヴァイスクラング』という、クラシックをベースとした音楽が特徴のユニットで、ピアニスト&リーダーをしていた『綺音(アヤネ)』でした。
※時期的には『水鏡』より前に出逢っていました。

初見は、お嬢様の様な風貌に音大卒ということもあり、少々近寄りがたい雰囲気がありましたが、話してみたら...

『あ、これ脳内妖精的な人やん』

思いました(笑)

ちょいちょいぶっ飛んでる。

しかしピアノは、ピュアで繊細且つ、時にアグレッシブ。

そんな彼女のピアノを聴いて、声をかけさせていただきました。

その後、アヤネのお父さん&お母さんとも仲良くなり(笑)、いつの間にかご家族全員から『大将』と呼ばれる様になり、ご自宅で不定期に開催される『飲み会』に招いていただく様になりました(笑)

気付けば、妹の様な存在になっていたこともあり、現在『Project LOVE&ROCK』は基本4人構成ですが、ワンマンなどの特別なライブでは、妖精さん召喚すると来てくれます(笑)

写真右が綺音(アヤネ)
この時は『Daizo BAND』として動いていましたが、既に『Project LOVE&ROCK』の基盤は出来上がっていました。
※当時ベースは、友樹と謙ちゃんの両者に頼んでいました。

6.最後に

さて、今回は事務所を辞める頃の活動について書いてみましたが、いかがでしたか?

最後に、この時期にこれらのメンバーの力を借りて作った、4曲入りの音源があるので、ご興味ある方はご試聴ください。

上記はCMなので短編集となります。
中でも『おめでとう』という曲は、妹が結婚する時に、式で歌唱の依頼をもらったので、折角なら曲を創って歌おう!と描いた曲です。
この曲、制作開始から10分程度で原形が出来た曲でした。
それだけ、伝えたい言葉が明確だったのだと思います。
ご興味ある方は、以下動画にてフルサイズをご試聴ください。
曲の中でメインコーラスとして参加していただいている女性は、今回の記事にも出て来た星野馨ちゃんです。
(当時、手作りの御飯ご馳走!で参加していただきました 笑)

このCDのジャケットは、メンバーをキャラクター化した絵を描きました。

実際の結婚式の写真です。

色々なことを経験、学んだ上で改めて臨んだこの時期の音楽活動は、大変なことも多かったけど、その分、充実感と喜びに満ちた活動ができていた様に思います。

次回は、番外編としまして本線以外の『別の音楽活動』について、書いてみたいと思います。

前記事で予告した『所持金10,000円で大阪&名古屋ツアー!』も次の記事で!

皆さんの毎日が、心豊かなものになります様に。










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