見出し画像

【試し読み第2回】吉田靖直『今日は寝るのが一番よかった』から、先どり公開!

バンド「トリプルファイヤー」のボーカル・吉田靖直さん最新エッセイ集『今日は寝るのが一番よかった』1月22日、ついに発売!!

【オビあり】今日は寝るのが一番よかった

この1年で立て続けにエッセイ集を刊行している吉田靖直さんが、今回初めての全編書下ろしに挑戦! その発売を記念して本書から1回分を丸ごと公開します(全3回、毎週金曜更新)。この世界のまだどこにも出ていないエッセイを、いち早くお楽しみください!

第2回めは、読む側の想像を超える「違和感」のお話。かさぶたをどうしても剝きたくなってしまうように、吉田さんが気になって仕方がない言葉の不思議さとは? 書籍内では、他にも吉田さんの「疑問」について大ボリュームで収録です。(担当編集・た)

「楽しんでますかー!?」と煽られた時、私は本当に楽しんでいるのか?

 嫌いだ、と言うほど振り切れもしないが、なんとなく自分にとって収まりが悪い、ムズムズする。そんなジャンルの言葉がある。数え切れないほどあるが、思い出そうとするとほとんど思い出せない。
 嫌いと言えるほどはっきり認識することもない言葉は、一瞬違和感を覚えた後は反芻することもなく消えていく。
 仮に覚えていて人に伝えてもあまり共感をもらえないことが多い。

 たとえば私は「シチュー」という言葉が理由もなく苦手だ。「シチュー食べたい」などと言われると気持ち悪く感じ、「そんなもん食うな!」と言いたくなる。
 この感覚は友人には理解してもらえなかった。ちなみにシチューという食べ物自体は好きだ。
 比較的人にわかってもらいやすいのが、食べ物に関するオノマトペの気持ち悪さ。

 たとえば「フワフワ」の蒸しパン、「プリプリ」のエビ、「カリカリ」に揚げたチキン、など。こういう言葉を商品名に入れると売り上げがアップすると夕方のニュースで見たことがあるが、私はなぜか苦手だ。「トロトロ」のチーズあたりが一番嫌かもしれない。
 さらに「トロットロ」と間に起伏をつけられるとなお辛い。芸人の食レポのように「トロッッッッットロ」と目を見開いて言われようものなら、奥歯をギリギリと噛み締めてしまう。

 なぜ気持ち悪く感じるのか。
 はっきりとはわからないが、「トロトロ」のような個人的な感覚を目の前に差し出されると、人の咀嚼音を聞かされている気分になる。あと、トロトロと思うかどう
かは俺次第だから勝手に決めつけないで欲しい、とも感じている気がする。

 ライブのMCでよく言われる「楽しんでますかー!?」という煽りも、それに近い感覚を刺激してくる。
「楽しんでますかー!?」という煽りはもはや定型化していて、オーディエンスが拳を掲げイェーイと答えるまでがセットだ。だから自分も場の雰囲気につられて何となく手を挙げてしまうこともある。
 しかしその時、「俺は今、本当に『楽しい』と思っているのだろうか」という問いが自然と生まれて来る。

 その問いを一度意識してしまうと「楽しいわけではない」という答えに帰結し、逆に冷静になってしまう。
 ライブを観て感動することはある。うまくいけば音楽に没頭し、時間の感覚を少し忘れられることもある。
 しかしそれは、「楽しい」という状態なのかと言われると違う気がする。「楽しい」という領域に重なっている部分もあるとは思うが、一致してはいない。
 そこを大雑把にして「楽しんでますかー!?」とまとめられると、非常に居心地が悪い。

 考えてみれば、ライブに限らずどんな状況においても「楽しんでますか
!?」という質問に心から「はい」と答えられることはないかもしれない。私はいつも、「楽しい」が指す状態に適合していないように感じる。
 「楽しんでますかー!?」という言葉に「イェー!」と返す時、心からそう思えている人の方が多いのだろうか。

 ライブのMCで言うと、「踊ってください!」という言葉も気になる。
 私も演者としてライブをやることがあるので、そう言いたくなる気持ちは理解できる。経験上、音楽に合わせて体を動かすとただじっとしているよりは音楽に没頭しやすい。
 演奏する側としては、退屈しながら聴いてもらうよりは、積極的に踊って音楽に熱中してもらえることが望ましい。だから「踊ってください」と言うのだが、客としては急に踊れと言われても困る。

 まず、「踊る」という言葉自体が恥ずかしい。日本人は他の民族に比べてあまり踊らない印象があるが、その原因の何割かは、「踊る」という言葉特有のダサさのせいだと思っている。
 「踊ろうぜ」と言われると「あえてかっこつけたことを言うギャグ」かと疑ってしまう。日常で使う言葉としては、あまりに演技じみている。
 踊る行為に時代は関係ないはずだが、「踊る」という言葉には昭和のディスコ感が染み付いている気がする。
 言葉のダサさのせいで、クラブ帰りのおしゃれな若者が朝方「はあー踊り疲れたわー」などと言っていたとしてもそれがかっこいいことだと思えず「この人、踊るって言葉当たり前のように使ってるな」とほくそ笑んでしまう。

「踊る」がもっと馬鹿馬鹿しくて可愛げのある言葉、たとえば、「ポペる」のようなものだったらもっと単純に踊りやすいのではないか。
 アメリカに行ったことはないが、アメリカにおける「Dance」という言葉は「踊る」よりももっとポップで日常的な言葉だと思われる。また、「Dance」は「踊る」よりも動作の広い範囲をカバーしている気がする。
 きっと、ちゃんとした形の踊りでなくても、適当に体を動かしていればダンスをしたことになるのだろう。だから何も考えず気軽にダンスすることができる。その感覚が欲しい。

 ただ、現在の日本でライブのMCの時に「踊ってください」を「ダンスしてください」と言い換えたとしても私が思うアメリカ的ニュアンスは出ない。
 だからいまのところ私は、「踊ってください」と言う代わりに「適当に体動かしていい感じでノっていきましょう!」と、やたら歯切れの悪いMCしかできないでいる。
 ただ実際のところ、「踊ってください」というMCで盛り上がっているライブも観たことがあるし、「踊ってください」の言葉に抵抗を感じると言う人に会ったこともない。
 私以外は誰も「踊ってください」に抵抗を抱いていないのだとしたら、私は何と闘っているのだろうと思う。
 このような何とも言えずむず痒い言葉が他にもたくさんあるはずだ。
 そういう言葉が自分にとって譲れないものを象徴している気が何となくする。
 それが何の役に立つのかはわからないが、今後は思い出したタイミングで書き留めていきたいと考えている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?