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【試し読み第1回】吉田靖直『今日は寝るのが一番よかった』から、先どり公開!

 バンド「トリプルファイヤー」のボーカル・吉田靖直さん最新エッセイ集『今日は寝るのが一番よかった』1月22日、ついに発売!!

【オビあり】今日は寝るのが一番よかった

 この1年で立て続けにエッセイ集を刊行している吉田靖直さんが、今回初めての全編書下ろしに挑戦! その発売を記念して本書から1回分を丸ごと公開します(全3回、毎週金曜更新)。この世界のまだどこにも出ていないエッセイを、いち早くお楽しみください!


 第1回めは、先輩の家に居候している吉田さんと、隣の家屋に住むそのお父さんとの「すれ違い」のお話です。慣れない相手との会話に頭を使いすぎるところに、吉田さんの人間関係が垣間見えます。本書で他にも出てくる先輩のお父さんとのエピソードは、なんか切ないです。(担当編集・た)

居候のついた小さな嘘

 ある年の正月に帰省した際、先輩の両親に日頃のお礼として持って行きなさい、と親から地元の特産品を渡された。
 ありがたく受け取り、「今回は絶対にちゃんと渡そう」と心に誓った。それまでも幾度かそういった土産を託されたことがあったのにタイミングを窺っているうちに渡しそびれ、結局いつも自分で食べて消費する羽目になっていたからだ。


 先輩の両親は私と先輩が暮らす建物と隣接した一軒家に住んでいた。2棟間の距離はわずか10メートルほど。訪ねようと思えばいつでも訪ねられる距離だが、私は先輩の両親と会うことを極力避けていた。息子のバイト先の後輩だというフラフラした若者が自分の所有する物件に何年も住み着いているのはどういう気持ちなのかわからないが、きっとあまり喜ばしいことでないだろう。


 しかしこちらが避けていようと、家の前ですれ違ってしまうことは多々あった。
 できる限り爽やかな若者を装って笑顔で挨拶をしていたつもりではあるが、平日の昼間にいつも半パンとビーサンで歩き回っていれば社会的な信用度を下げるのには十分だ。
 それでも私と会うたび、先輩のお父さんは「おお吉田、元気か?」と気軽に声をかけてくれたし、お母さんの方は、「別にいつまで住んでたっていいからね」とまで言ってくれたこともあった。


 先輩の両親が底抜けに心の広い人なのか、それとも心の奥にモヤモヤを溜めながらも優しく振舞ってくれているのか。
 優しさを無邪気に受け入れてしまえるほどの肝っ玉の太さは持ち合わせておらず、と言いながら家を出て行くわけでもなく、ズブズブと環境に甘え続けていた。引け目を感じている私からはオドオドした態度が滲み出ているはずで、顔を合わせる機会が多ければ多いほど相手は不信感を募らせるだろう。 外出しなくてはならない時間になっても、家の前で先輩の親が立ち話していると察すると扉を開けられず、気配が消えるまで10分ほど玄関で待機してから家を出る。その結果バイトに遅刻したことも何度かあった。


 どうせ居候をするのならもっと堂々と振舞って、時候の挨拶に出向き、日頃の感謝なども伝えた方がお互い気持ちがいいに決まっている。
 常々そう思っていたが、親から地元の土産を渡され、状況を整えてもらうまで行動に移せなかった自分が不甲斐ない。
 インターホンのボタンを押した瞬間、この期に及んで「留守であって欲しい」と強く願った数秒後には解錠の音が聞こえ、先輩のお父さんが戸を開けてくれた。

 今まで一度も家を訪ねたことのない居候の急な訪問に少し驚いているようだったが、地元の土産を渡ししどろもどろに挨拶をすると「上がって茶でも飲んで行けよ」と勧めてくれた。
 年はおそらく70前後、品のいい江戸っ子という感じの人だった。思ったことをズバズバ言う印象があったので、いつか我慢の限界に達して厳しい言葉で追い出される不安を感じていた。


 実際、私が居候を始めた当初は「訳のわからない奴を家に連れてくるな」と先輩と大げんかしたと聞いた。
 しかしその後、私が大学の文学部卒だと先輩から聞き、引越しの荷物にも本が多かったのを見て態度が軟化したらしい。お父さんは定年まで出版社に勤めていたそうだ。
 住み始めた当初に本の貸し借りをしたこともあった。どんな感想を伝えたらいいのかとビクビクして借りっぱなしにしているうちに数年が経ち、そのままうやむやにしようとしてしまったのだが。


 出してもらったコーヒーを飲みながら、バンドや仕事のことをできるだけ印象が悪くならないように話した。ボロが出るのを恐れ、会話の弾まない返答しかできない。
 テレビの横に高さ1メートルほどの大きなスピーカーがあった。「いいスピーカーだろ。聴いていくか?」と、勧められるままにポール・マッカートニーのCDを流してもらう。知らない曲だなと思いながら感想を考えていた時、先輩の近況について尋ねられた。


 思ったことを何でもはっきり言いそうなお父さんだが、息子の話題を出す前には一瞬の逡巡を感じた。
 先輩はお父さんとあまり折り合いが良くなく、数年間ほとんど会話をしていなかったようだ。人の家庭のことながら何か安心させられることを言いたかった。
 しかし、ここで勝手に先輩の気持ちを想像して語るのは出すぎた真似のように思えた。「元気そうですね」「最近は遅くまで働いてますね」などと薄い客観的事実を述べることしかできず、「そうか、あいつは本当どうしようもねえからな」と言われ会話が途絶えた。


 どのタイミングで帰るべきか悩んでいたところに、突然「お前、酒は飲む方か」と聞かれた。
 私はその頃週の半分くらいは飲みに行っていたし、比較的酒に強い方だ。
 普段なら素直によく飲みますと返すのだが、ここでの返答は慎重になる必要がある。フリーターでバンドマンの上に、普段は酒ばかり飲んでいるイメージを与えてしまっては、居候として致命的な気がする。今はフラフラしていても根は真面目で、バンド活動やバイトに没頭している若者だと認識してもらっておいた方が後々のためにいいはずだ。
 そう判断した私は、あまりお酒は飲まないと答えた。
 「そうか、近くにいい店があるから行ったことあるかと思ってよ」と言う顔は少し残念そうに見えた。


 先輩のお父さんはあの時、単純に飲みに誘おうとしてくれていたのだと思う。先輩の話ももう少し掘り下げて聞きたかったのだろう。
 すぐに発言を訂正したくなったが、今更前言を撤回する言い訳を思いつかない。そのまま苦笑いでごまかしている時間が、さらに拒否の意思を強く見せているように感じつつ、何もできなかった。
 家を出る時、「なんかあったら連絡しろよ」と電話番号を交換してもらったものの、すぐに普段のビクビクした生活に戻った私は結局一度も連絡しなかった。


 もっと正直な気持ちで話がしたかった。
 自己保身のための嘘をついていなければ、きっと一緒に飲みに行っていろんな話ができただろうし、世代を超えて本の話でもできたら素敵だっただろうと思う。
 あの時の嘘を思い出すと、今でも申し訳ない思いに駆られる。小さな嘘が、まあ結果オーライ、とならないこともある。






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