“ぼっち”を生き抜く力
前回の続きと言うか、アップデートしたことを綴りたいと思います。
一ヶ月ほど前に書いた記事に書いた考えを、今の僕は疑っています。
チームや繋がりの大切さを学生に問てきましたが、そもそも僕自身はチームや繋がりを大切にしてきたのかということに疑問を感じたからです。
記憶している限り、小学生の頃の僕が、仲間がチームの道具を運ばず遊んでいた時、びっちりバットが入ったビール瓶のケースを一人で運んでいたのはチームの為ではありません。
高校生の頃、チームのことを考えて行動することなど一度もない学生だったとでしょう。
でも、大人になり指導者側になり、周りの指導者のスタンスに影響されるように自分も同じ思考になっていったのではないかと感じています。
今僕が毎朝腕立て伏せから始まり、腹筋、ランニングと繰り返していることも、体重をコントロールしていることも、もちろん体のためと言うこともありますが、学生に言葉で伝えるだけではなくて、自らが自律できている姿勢を感じさせることができなければ、伝えたことも伝わらないだろうと感じている部分もあります。
チームや繋がりということは、もちろん大切でしょう。
1人で生きて行くことは、難しいことです。
でもそれ以上に、自分と向き合うこと。孤独と向き合うこと。が大切なのではないでしょうか?
そして、その自分や孤独に負けずに強くなっていく自分を感じられることが大切なのではないでしょうか?
ひとりでもあきらめずに、ねばり強く強い自分になっていく変化を、成長を感じることが、大切な気がしています。
そうして自分と向き合い、変化することや成長することに視点を向けることができていたら、必要とされたいとか、大切にされたいという承認欲求や、チームや繋がりを意識した、「チームのために」や「誰かのために」という気持ちも薄れ、自己の成長と共に、自分の身の回りが良くなっていくという状況が作れるのではないかと考えています。
自分の価値を再考する
と仮定してみました。
新型コロナを通して、僕らは孤独を強いられました。
そして、だからこそ繋がりやコミュニティを求める人は、最近の災害を通しても強くなっていくような気がしています。
でも、人は孤独を生き抜かなればいけない生き物であるということは、変えることのできない事実だと僕は感じています。
僕は、何度もnoteで綴ってきましたが、幼少の頃から寂しがり屋で、ひとりぼっちでいる孤独を感じる時間を多く過ごしてきました。
そしてその中で、行動は受動ではなく能動的に主体的であることを、自らの経験を通して学びました。
そして、その積み重ねの中でも何度も孤独感を感じ、手を差し出してくれる人の優しさに触れながら、さらに自分自身の成長を求め今に至ると感じています。
僕自身が体現しながら得てきた知識が価値になる。
だから、僕は自分を追求することをあきらめることはありません。
もっともっと孤独を味わいながら変化を成長をし続けます。
そして、自分と向き合うことをあきらめてしまいそうだけれど、ほのかに“強くありたい”と願う人にご協力できるような関わり方ができる自分でありたいと思っています。
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僕の活動に関心を持っていただきご支援いただける方はよろしくお願いします。一人でも多くの人が心が弾むような生活が送れるように悩み事をひとつひとつ丁寧に対応していきたいと思います。がんばります!!