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雨傘/灰染よみち

 傘もささずに歩く。水溜まりも踏みしめて、少し細い横断歩道を渡る。信号は赤く光っているが、田舎なので少しも怖くはない。仮に轢かれたとして……、私ははっとしてその思考を捨てた。

 川は氾濫していた。橋から見下ろして、それを実感する。ここから飛び降りれば、そのまま流されて海の藻屑に……、私はもう一度知らんぷりをした。どうしてそう思ったか、私には分からなかったから。

 高校の授業は午前中に終わり、部活へ、塾へ、或いは各々の自宅へ、みんなそれぞれ向かっていく。遊びに行った人もおそらくいるだろう。私も、そのうちの1人だった。向かう先は自宅から徒歩15分程の位置にあるショッピングモール。今日そこで私は、中学の頃の「友人」と会う約束をしている。彼とは中学校を卒業して以来一度も会っておらず、授業を受けている最中もワクワクしながらいた。自宅に着いた私は、急いで制服を脱ぎ、お気に入りの私服を見に纏う。そして洗面所の鏡で身だしなみを整えて、外へ。少し強めの風が、私に冷たく吹きつける。私はそそくさと自転車に跨がり、目的地へと向かった。

 ショッピングモールには約束の5分前に着き、私はそのままフードコートまで歩いていった。入り口から近い位置にあり、見慣れたハンバーガー店やうどん屋などが立ち並ぶ、やや簡素な構成のフードコート。席も多く、幸いなことにこの時間はかなり空いていた。これなら彼を探すのも楽だと、ほっとする。奥へ奥へ、進んでいくと、案の定すぐに見つかった。何、大切な「友人」なのだ。2年程会っていなくても分かる、間違いはない。私は彼に呼びかけ、そこへ……、とそのタイミングで気が付いた。彼の横には、知らない女性がいた。彼の恋人? 私はその女性の正体を想像した。しかし認めることを拒むように、何かが欠け落ちていくような感覚がする。ショッピングモール内の環境音も、その時、私の耳からサッと消え去っていく。

「えっ、その人は、誰……?」

 鼓動が早くなる。「友人」というたった1単語が頭の中を支配していく。そしてそれすらも消え去った時、ガチャンと大きく響いた音によって私は我に帰った。転倒した衝撃だろうか、使え物にならなくなった自転車が雨に曝されている。先程までいたショッピングモールではなく、冷たいコンクリートの上に私は座り込んでいる。この状態が何を示しているかなど、それはもうはっきりしているはずだ。それでもどうしてここに居るのか、飛び出してしまったのか、分からなかったから、私は自転車の下敷きになっている小型の傘を持ってただ歩くしかなかった。


 お気に入りの服は、雨水を吸って重くなっている。雨は止んで、虹が空にかかっている。子供の頃通い詰めた駄菓子屋を通って、昔誰かと一緒に遊んだ公園を通って、受験期お世話になった塾を通って、その帰りによく行ったコンビニを通って、私は歩いていった。手に持っている、使いもしなかった傘を投げ捨て、遂に隣街との境界線を越える。昔暮らしていた街の境界線、便宜上引かれただけなのに距離も遠くはないのに、ここを越えるといつも不思議な気分になるのだ。本当はきっと、理由も分かっている。不思議な気分になる理由も、びしょ濡れになってここに居る理由も。思わず、苦笑がこぼれた。

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