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逆ぼったくり喫茶/麻布天

 20世紀後半、某国のあまり豊かでない街に、その喫茶店はあった。喫茶店と呼ぶにはかなり大型なそこは、大抵の値段は通常の半額以下、コーヒーに至っては5分の1の値段という破格の喫茶店だった。人々は値段の秘密を聞こうとはしなかった。何故なら人々は知っていた。マスターも従業員も、この街では知らぬ者はいない程の犯罪組織であったから。犯罪組織といっても、善良な市民を危険に晒し、悪逆無道の行いをするような集団ではなく、弱きを助け強きを挫く。ニッポンでは「鼠小僧」と呼ばれるような組織だった。

 ……その日は燦々と太陽が照りつけ、なんの種類かも判らない虫の鳴く音が鳴り響く夏の日だった。年不相応な装いをした少女がフラフラと迷い込んできた。年不相応な衣装に身を包んだ少女 がフラフラと迷い込んできた。少女は扉を開きながらドアベルの音と共に倒れた。音に気付いたウェイターがすぐに少女に駆け寄った。

「! アンタ……大丈夫か! ひどい熱だ……誰か診れる奴呼んでくれ!」

……「熱中症と脱水症状、それと過労だな、足が傷だらけなのをみると、相当歩いてきたんだろう。一先ず、応急処置だけしておこう。安心しな。ちゃんと正規品だ」

 状況が落ち着くと新入りが余計な口を開いた。

「それより良いんですかい? コイツ、かなり金目になりそうなもん着てるじゃねぇですか。しかもこの膨らみ……俺たちゃ貴族の金で成り立ってるもんでしょ?」

 話し終わる前に新入りの口に鉄拳が飛んできた。

「馬鹿野郎! こいつの足が見えんのか! 必死で…必死で何かを求めてたんだ……。何かは分からんが、子どもがこんなになって求めて来んなら、それに応えるのが俺たちだ! そこに貴族だどうとかは関係無ぇ!」

 マスターの怒号に萎縮した新入りは、それ以上口を開くことは無かった。


 暫くして、少女は目覚めた。埃っぽくて物が散乱した部屋を眺め、ナイトテーブルに置かれたメモを見た。

「動けたら降りてこい」

 階段を降りると、男達が仕事終わりの一服をしていた。

「む、起きたんだな。一応問題ないか診てみるか」

「そんなんは後でいーだろ。今は…ほれ! 飯だぞ」

 目の前に出されたのは、真っ赤でドロッとしたパスタ料理と、大きめのマグに注がれたミルク。普段とあまりにもかけ離れた料理でも空腹には抗えず、少女は恐る恐る口に運んだ。

 一口食べると、普段食べ慣れてるものとのギャップで顔をしかめた。その直後、少女の頬を涙が流れたと同時にフォークを口に運ぶ速度が加速していった。衣類が赤く染まったころ、少女の腹の虫は鳴き止んだ。ふと男達に顔を向けると、少女はたちまち爆笑の渦に包まれた。赤く染まったのは少女の衣類だけじゃなかった様だ。

「あ〜笑った笑った。さてと嬢ちゃん。アンタがここまで来た理由や身分とかを洗いざらい吐いてもらおうか?」

 マスターが葉巻を吸い始めると、少女は口を開き、マスターの葉巻が全て灰になるまで話した。自らが裕福な家庭の生まれであること。両親からは自慢の道具として育てられたこと。そんな両親が嫌になったからひたすら宛もなく歩いたところ、この店についたこと。全てを話し終わった時、マスターは少女の話を反芻し、ゆっくりと口を開く前に銃声と共に正面の窓ガラスが全壊した。その場の全員の反応は、油断から1秒遅れで戦闘へと転化した。ウェイターが机に突っ伏したままの新入りをどかし、机を盾に内腿の銃を取り出して応戦して、マスターの指示を待つ。

「撃てる奴らは迎え撃て! 撃てない奴は今ので負傷した奴を裏に持ってけ! 医者! アンタも裏行って手当てしろ! 嬢ちゃんは俺の側にいろよ? 今動いたら逆に危険だ!」

 少女はただ怯えた目で頷く事しかできなかった。今襲撃しているのは両親の関係者であろうことさえ、マスターの耳には入らなかった。


……「無事だったか? 嬢ちゃん」

 辺りの匂いが硝煙から血の匂いに変わったところで、マスターは少女に話した。

「稀にあんだ。襲った貴族の恨みで逆襲されることはよ。私兵雇って来んだよ。それにしてもタイミング悪かったなぁ」

 少女は震えながら首を横に振り、襲撃者の目的が自分であることを話すと、マスターは続けた。

「アンタ、やっぱり愛されてんじゃねぇか。どうやってここにいるって分かったか不明だが、それも誘拐されたアンタのために死物狂いで捜したんだろう」

 今にも泣きそうになる少女の肩を掴み、マスターは続ける。

「やっぱり……アンタは家に帰りな。迎えは呼んでやる。今ならまだ俺らのことを誘拐犯だと思ってるんだから、無理矢理逃げてきたって言えよ? アンタはこんな掃き溜めからは早く消えて、両親の元で育てられた方がずっと幸せになるんだ。いいな?」

 帰りたくないと泣きじゃくる少女を尻目に店内の掃除をする従業員たちの本心は、皆少女と同じような気持ちだったが、マスターの指示には逆らえなかった。「真実」を知るまでは。


 ……翌日の別れ際、少女が食事代として荷物を取り出すと、新入りが声を上げた。

「それは! 俺が見ようとしてた膨らみの中身か!」

 マスターが中の直方体を確認すると、目を見開いた。

「コイツは薬か! しかもこの大きさ……この国じゃ所持してるだけでヤバいことになるぞ……まさか! 両親のねらいは……」

 両親のねらいを知った後で少女を帰らせようとする奴はだれも居なかった。親が大事そうに持ってたことしか知らない少女は尚も渡してくるが

「コイツは食事代としちゃ多すぎるな。嬢ちゃん、俺らにぼったくりをさせる気か? コイツをくれるってなら、お釣りとしてこの街に嬢ちゃんの居場所を作ってやるよ。だから、こんな掃き溜めでも良けりゃ、アンタに奢らせてくれないか?」

 少女はまたその場に倒れ込んだ。
 今年の夏は種類が判らない虫の声が1つ増えた。

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